最初の平民宰相(へいみんさいしょう)

 原 敬 (はら たかし)
  
● 活やくした時代   1856年〜1921年
                江戸〜大正(たいしょう)時代

● 活やくしたこと

  1856年 南部藩(なんぶはん 岩手県)の家老の原直治(はら なおはる)の子として生まれる。

  1868年 戊辰戦争(ぼしんせんそう)がおこる。
  
          幕府軍と新政府軍の戦い(幕府軍が負ける)
                  ↓
           南部藩は幕府軍についたため、家老の原家(はらけ)は落ちぶれる。

  
1871年 東京(もとの江戸)に出てくる。
           生活が苦しい中でも、勉強にはげむ。

  1879年 司法省(しほうしょう)法学校を中退し、新聞記者になる。

  
1882年 外務省に入る。

  1895年 外務大臣の陸奥宗光(むつむねみつ)に認められる。
         外務次官(外務大臣を助ける役目)になる
         「外務省に原あり」と評判になるほど腕をふるう。

  1898年 大阪毎日新聞社の社長になる。

           新聞にいろいろな企画を出し、読者を3倍にふやす。

  1900年 立憲政友会(りっけんせいゆうかい)に入る。
         伊藤博文(いとう ひろぶみ)の内閣の郵政大臣(ゆうせいだいじん)になる。

  1902年 衆議院に当選する。

  1906年 西園寺公望(さいおんじ きんもち)の内閣の内務大臣(ないむだいじん)になる。

  1914年 立憲政友会(りっけんせいゆうかい)の総裁(そうさい)になる。

        
第1次世界大戦がおこる。
               ↓
        物の値段が上がり、国民の生活が苦しくなる。
        米騒動(こめそうどう)が全国に広がる。

  1918年 
内閣総理大臣となる。
          原敬は軍人、貴族と関係がなく、平民からでたはじめての首相となる。
           
「平民宰相(へいみんさいしょう)」とよばれ、期待される。
                     ↓
           しかし、労働運動のとりしまり、汚職事件、物の値段の上昇でいっそう
           国民の生活が苦しくなり、批判が高まる。

  1921年 東京駅で暗殺される。(66才)



● 人 物 評

 
原敬(はら たかし)は、軍人や貴族以外の平民からでた内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)である。その点において意味がある。それまでの首相は軍人や貴族から選ばれていた。平民からの首相だけに国民の原敬への期待は大きかった。このころ、第1次世界大戦のため、物の値段が上がり、国民はたいへん生活に苦しんでいた。その苦しみを平民出身の原敬なら分かってくれると思ったのであろう。だが、立憲政友会や貴族、軍人などとの関係から、どうしても思うような政策をとれなかったのかもしれない。原敬にとって、国民からの大きな期待が一番の重荷だったのかもしれない。


歴史人物いちらんへもどる