武士の政治をはじめて確立した功労者

  源頼朝 (みなもとの よりとも)
● 活やくした時代   1147年〜1199年
                平安〜鎌倉時代

● 活やくしたこと

  1147年 源義朝(みなもとの よしとも)の3男として生まれる。

  1159年 
平治の乱(へいじのらん)がおこる。
         
         【平治の乱(へいじのらん)】
           源氏と平氏のあらそいに貴族がまきこまれた戦争

            [ 摂関家 ] 藤原道憲  対  藤原信頼
            [ 武 士  ] 平 清盛   対  源 義朝
                      ↓
                     勝利
        
                      ↓
           平清盛(たいらの きよもり)と源義朝の権力争い。
           平清盛にやぶれ、父 源義朝は殺される。
           源頼朝はとらえられ、池禅尼(いけのぜんに)(平清盛の継母)に助けられる。 

  1160年 源頼朝は静岡県の伊豆(いず)に流される。
         「平氏にあらずんば、人にあらず」
             源氏(げんじ)がおとろえ、平氏の栄える時代になる。

  1180年 以仁王(もちひとおう)の「平氏をうて」の命令を受けて、兵をあげる。
                    ↓
         石橋山の戦い(いしばしやまのたたかい)で平氏の軍にやぶれ、千葉県ににげる。

                    
         関東で源氏に味方をする武士を集め、鎌倉に入る。
                    ↓
         富士川の戦い(ふじがわのたたかい)で平氏の軍をやぶる。

        
侍所(さむらいどころ)(武士を統率する役所)をおく。

  1184年 弟の源範頼(みなもとの のりより)、源義経(みなもとの よしつね)に平氏の軍
         を追わせ、戦いをさせる。
(源平合戦)(げんぺいがっせん)
                    ↓
         平氏(へいし)を京都から追いはらう。

         
政所(まんどころ)(政治・財政を管理する役所)をおく。

  1185年 源義経が
壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏をほろぼす。
         源義経と対立するようになり、源義経をうつ。
         
守護(しゅご)(軍事・警察の働きをする)と
                              地頭(じとう)
(年貢を取り立てる)をおく。

  1189年 にげていた源義経が、東北地方の藤原氏(ふじわらし)にうちとられる。
         東北地方の藤原氏(ふじわらし)と戦い、ほろぼす。

  1192年 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)となる。

  1199年 死 去(53才)


● 人 物 評

  源頼朝は、それまでの貴族中心の政治をやめ、「武士の 武士による 武士のための政治」を行う幕府を開いたことが最大の功績である。この鎌倉幕府(かまくらばくふ)のしくみを元にして、室町幕府(むろまちばくふ)、江戸幕府(えどばくふ)がつくられることになる。その意味で、はじめて幕府のしくみを整えた源頼朝の功績は大きい。武士であるはずの平氏が貴族化して、全国の武士の反感をかった点も影響しているであろう。ただ、じゃま者とはいえ、、弟の源範頼(みなもとの のりより)、源義経(みなもとの よしつね)を殺すことで、源氏の一族がへり、3代で源氏の直系がたえることになるが残念である。
執権(しっけん)(将軍を助ける役目)の北条氏(ほうじょうし)の思うつぼではなかったのか・・・・。


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