江戸幕府(えどばくふ)の政治を確立した将軍

  徳川家光 (とくがわ いえみつ)
● 活やくした時代   1604年〜1651年
                江戸時代

● 活やくしたこと

  1604年 2代将軍の徳川秀忠(とくがわ ひでただ)の次男として生まれる。
         幼名は竹千代(たけちよ)
         
「生まれながらの将軍」とされる。

  1615年 
大阪夏の陣(おおさかなつのじん)で豊臣氏(とよとみし)がほろぶ。
         徳川家康(とくがわ いえやす)が竹千代(たけちよ)を3代将軍と決める。
             弟の国松(くにまつ 後の松平忠長)とのあとつぎ争いに決着がつく

  1616年 徳川家康が病死する。

  1620年 成人して、徳川家光(とくがわいえみつ)となのる。

  1623年 徳川家光が3代将軍になる。
           「幕府に不満がある者は早々に領地に立ち帰って戦(いくさ)の準備をせい。
            いつでもお相手いたそう。」といって、幕府の力を大名に見せつける。

         実際は父の徳川秀忠が大御所(おおごしょ)として政治を行う。

  1632年 徳川秀忠(とくがわ ひでただ)が病死する。
         徳川家光の政治がはじまる。

  1634年 老中(ろうじゅう 将軍をたすけて政治を行う)
         若年寄(わかどしより 老中を助ける)の職をつくる。

  1635年 
武家諸法度(ぶけしょはっと)を一部改める。
         
参勤交代(さんきんこうたい)を確立する。
            大名は1年交代で江戸と領地とを行き来する制度。

  1636年 徳川家康の墓所である
日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)が完成する。

  1637年 
天草四郎(あまくさ しろう)が島原の乱(しまばらのらん)をおこす。
            4万人ほどのキリスト教信者と農民が重税にたえかねて、反乱をおこす。
                      ↓
            幕府は反乱をおさえるのに苦労する。

  1639年 ポルトガル船が来るのを禁止する。

         鎖国(さこく)
が完成する。 
            外国との貿易を制限する。
オランダと中国の2か国とのみ長崎の出島で貿易する。

  1651年 死 去(48才)



● 人 物 評

  徳川家光(とくがわ いえみつ)は、徳川家康(とくがわ いえやす)と徳川秀忠(とくがわ ひでただ)がつくった江戸幕府を完成させたといえるだろう。企業(きぎょう)でも会社でもそうだが、3代目のありようが、その後を決めるという。3代目が企業や会社をつぶすということはよくあることだ。徳川家光は、土居利勝(どい としかつ)や松平信綱(まつだいら のぶつな)の有能な家臣に支えられて、江戸幕府の制度を確立させ、いっそう勢力を強化することに成功した。そして、260年に及ぶ江戸幕府による平和な時代をつくりあげた。徳川家光は、3代目としての重要な役割を責任をもってはたしたといえるだろう。



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