三栄産業株式会社というカイシャについて
 
昭和25年5月、坂田秀雄氏が社長として創業したカイシャ。電気露出計”

サモカオートマート”、スライド幻灯機”ロマンスライド”、35ミリカメラ”サモ

カ35”などを製造し、北米・カナダ・南アフリカ・オランダなど、海外を中心

に広く販売に努めた。なお、昭和29年9月には営業部を独立させ、サモカ

カメラ株式会社を銀座東2の8に設立した。

以下は、「写真工業 昭和28年12月号」へ、同社(恐らくは社長自身)が

寄せた回顧と新年度事業展望の一部である。

(前略)終戦後遅まきにスタートした弊社でしたので、名も無い地
盤も無いただ一個の商品と申すだけの価値しか無く、唯一の希望は
「値段に比例した品質を正直に見て戴く」ほかに頼る術もなかった
のです。「世間で受け入れてくれそうですから出して見ましょう」
という卸屋さんの商談を頼りに、少しでも安く良い品をとただ懸命
に、赤裸な工場人として汗にまみれて過してまいりました。(中略)

「独想的製品即ち模倣で無く、自ら生んだ血の通った真面目な商品
のみが自らの道を開き得る」との弊社の精神で生産し得たと自認し
ております。(中略)

然し業界には早や猛烈な競争が起こっていま6×6判二眼レフは既
に60種になったとか、ライカ判は30種を越えたとか、市場は愈
愈生産過剰。売行不振で一部に値崩れが見られております。工場は
金づまりに依る経営難、借入返済にからむ増資と日本の他種工業が
行づまりつつある同じコースを知らぬ間に辿っているのではないで
しょうか。(後略)

昭和30年代の始め社長坂田氏は急逝し、事業は早くも存続が危ぶま

れる事態に立ち至った。しかしこの危機は回避され、暫くは事業が継続

した。カイシャ整理の事情が何であり、その時期がいつだったのかにつ

いては、今後の調査に待ちたい。

なおサモカカメラについては、classic camera biginner`s club の tibikoronさんも
すこぶる興味をお持ちです。そちらのほうも是非ご参照ください。