120. 吹雪刑事と、拳銃について


1.吹雪登場編の拳銃について

      射撃の名手、SP隊員の吹雪杏子が射撃した、拳銃の 「口径」 のセリフには疑問があります。


吹雪・立花のセリフでは次のようになっている。

   吹雪 「ブローニングの22口径です。」
   立花 「22口径なら・・この距離で・・」

この話の内容なら、杏子が撃った拳銃は、拳銃の中でも小型だから、防弾チョッキを貫通できなかった。と聞こえる。
しかし”どうもおかしい”と思う。 22口径ではないだろう。

あのときSP吹雪杏子が銃弾を浴びせた拳銃は、22口径では有り得ない。


<理由は3つ>

1)SP吹雪が持つ拳銃は、22口径にしては大きい。
   左側の画像が、SP吹雪がもっている拳銃
   右側の画像が、ブローニング25口径拳銃

   25口径でもポケットサイズと言われるほど小さい。
   SP吹雪杏子がもつ拳銃は38口径と思われる。

2)SP隊員が、警備の時に実際に使用する拳銃は38口径である。
        (この件については、拳銃に詳しいチャボ&飛鳥さんに確認しました)

(SPに必要な拳銃の能力)
  SP隊員の職務は、武器をもった暗殺者と対決し一瞬でも速く倒すことである。
  高いマン・ストッピングパワー (対人阻止力) が求められる。
  22口径のような小さな拳銃では到底対抗できず、SP本人だけではなく、警護している人に危害が及ぶ。

3)杏子は1人で派遣されて来ている
   このとき吹雪杏子は 「1人だけ」 で派遣されてきている。SP数人の中の女性一人ではない。
   この状況で”殺傷力の高い拳銃”を、杏子が携帯していないはずがない。


2.日米の脚本家・小説家の 「銃」 の知識について

上記の口径の誤りは、脚本家の知識不足だと思うが、銃の知識は監督・俳優もあまり判っていないらしい。
たしかに銃の知識は、本を何度も読み直しても複雑である。しかし口径は基礎知識であるがそれでも知らない人が多い。
但し、銃に詳しい人によると、欧米のアクション小説家でも 「銃の名称や、口径の誤りは多い」 との事で、日本の脚本家だけが、特にレベルが低いというわけでもないようである。

例外は、ハードボイルド不朽の名作 「マルタの鷹」 の著者ダシール・ハメットで、銃の知識が豊富だったようである。
ダシール・ハメットは、本物の探偵出身だから当然なのだろう。

 名画「マルタの鷹」のミス

「マルタの鷹」 は、小説・映画ともにハードボイルドの名作中の名作である。
ところが映画 (1941年) の方には、拳銃のミスがある、殺人に使用された拳銃として 「リボルバー拳銃」 が映る。
ところがハンフリー・ボガード演ずるサム・スペードが 「45口径のオートマチック拳銃」 だと言ったのである。
これに、誰も気付かなかったとは信じがたいほどであるが、この名作にしてである。

3.草鹿刑事の22口径拳銃

吹雪刑事の時の22口径が誤りであったことに気づいたのか、翌年の草鹿刑事登場時には22口径が小さい拳銃であることが、描かれている。
草鹿刑事は射撃が下手なうえに、持っているのは22口径か25口径の拳銃。
草鹿の使用法は明快で 「相手の近くまで行って、急所を確実に撃って倒す」 である。その使用法には自信を持っている。

勿論、「SP」 にこれは出来ない。突然どこに現れるか判らない襲撃者に、その場ですぐに対抗できなければならず、決して近づいていく時間的余裕はない。

4.22口径の2つの使い道

1)一般には、女性の護身用と言われる。(軽くて威力は小さいが、威嚇用には使える)
2)刺客が使う拳銃とも言われる。つまり油断している相手にそっと近づいて急所を狙って射殺する。
  小さく隠しやすいので向いている。アメリカ西部開拓時代はギャンブラーが隠し持っていたとも。

5.吹雪杏子のGメンでの拳銃

彼女がGメンの女刑事になってからは、銃身の短い38口径のリボルバーを持っている。
  注)一般的には、銃身が短いと命中精度が落ちるが、技術の進歩であまり低下しない拳銃が開発されている。
拳銃の変更はSPから女刑事へと変わったためで、私服刑事は 「隠しやすく・携帯しやすい」 ので、銃身の短い拳銃の人気が高いとの事である。

アメリカの警察でも最近はオートマチック拳銃に変わってきているが、1980年代半ばまではリボルバーが殆どであった。

301話「盗まれた女たち」 の、吹雪刑事の拳銃
      警官が持っている銃身の長いリボルバー拳銃を、杏子が使用する場面がある。


6.天才ブローニング

吹雪杏子のセリフに出てくる 「ブローニング」 について、
銃製造の歴史にも才能豊かな人がいるが、正真正銘の天才と言えば 「ジョン・ブローニング ただ1人」 と言われるほどの才能を発揮した。

ブローニングが開発し、コルト社が製作した45口径の自動拳銃 「自動拳銃1911A1」 は、アメリカ軍が1911年に制式銃に採用したもので、以来74年間も制式銃の座を譲らなかった、オートマチックの名銃である。 (画像)

この銃が、政府支給と言う事で、「ガバメント」(GOVERNMENT) と俗称されるようになり、単に拳銃で「ブローニング」と言えば、このコルト社の 「ガバメント GOVERNMENT」 を指すと言われる。

Gメン第6話の、「コルト自動拳銃1911A1」というタイトル名こそ、ブローニングの拳銃「ガバメント」の正式名称である。 ちなみにGメンの 「G」 は、ガバメントの略語である。


7.銃弾の貫通力について

防弾チョッキへの貫通については、銃の威力に比例しないらしい。
つまり威力が高ければ、防弾チョッキへの貫通力は高いと単純に思っていたが、そうでもないらしい。
拳銃ガバメント 「コルト45口径」 は、殺傷能力は高いが、防弾チョッキを貫通する力が弱いと言われる。
逆にロシアの拳銃トカレフは、防弾チョッキの貫通力が非常に高い (トカレフの銃弾を通さない防弾チョッキの価格はかなり高いとのこと)。 しかし、殺傷能力はそれほど高くないとの事。


8.拳銃の殺傷能力

私は、拳銃に胸を撃たれれば一撃でのけぞり、即死または戦闘能力が無くなるだろうと思っていた。
ところが、事実はそうではないケースもあるらしい。銃の歴史で有名なのはアメリカ軍が闘ったモロ族。

<アメリカ軍 対 モロ族の戦士>
時は1902年。  フィリッピンの原住民、勇猛果敢なモロ族がアメリカ軍に襲い掛かった。
アメリカ軍は彼らの胸に、38口径の銃弾を次々と撃ち込む。 モロ族の戦士はこれで倒れるはずだった。
しかし彼らは倒れなかった。装てんされた全弾(6発)を胸に撃ち込んでも、彼らは倒れず、空になった拳銃を持つアメリカ兵を殺すまで倒れなかった。

これが一例や二例ではなく、数多く起こったらしい。

アメリカ軍は、38口径に対する不信感から危機感を感じ、西部開拓時代に男たちが使っていた、倉庫に眠っている45口径の拳銃を本国から急遽取り寄せて、モロ族に対抗した。

これ以後、アメリカ軍はマン・ストッピングパワー(対人阻止力)を重視して45口径の拳銃に傾倒し開発を進めた。
いくつものメーカーに発注し、試射実験により1社に決めることとなった。
この競争に勝利したのが、天才ブローニングが開発し、コルト社が製作した拳銃だった。
これが、前記6.の、45口径拳銃「ガバメント」がアメリカ軍の制式銃となった。

(注)38口径ではモロ族の戦士は、なかなか倒せなかったが、彼らは狂信的な戦士であり、通常ならばこれほど不死身で
   はないので、一般的には38口径が使用されている。


9.19世紀に「コルト」が発明した拳銃

  1)騎兵隊が苦戦したインディアンの戦術

19世紀の前半。騎兵隊はインディアンとの戦闘に苦戦していた。
当時の銃は発砲すると、次の弾丸を装填するのに時間が掛かった。
ところが、騎兵隊が銃を一発撃つあいだに、インディアンは数本の弓矢を放てた。
さらにインディアンは、騎兵隊に一斉射撃をするように仕向け、そのあと騎兵隊に突撃する戦法を取っていた。
騎兵隊はこの戦術のために苦戦していたのである。

  2)コルトの発明した夢の拳銃

1830年。16歳のサミュエル・コルトは船に乗っていた。
その時、船長のあやつる舵をみているうちに、回転式の連発銃が作れるはずだと発想した。

天才的なヒラメキとはこのことだろう。
それまで銃を連発式に出来ないかと多くの人が考えていたが、みな失敗していた。
    (それまでは、例えば2連発にしようとすれば、銃身を2本セットしようとしていた。つまり5連発にしようとすると5本の銃身が必要で、
     素材は鉄であるからものすごく重くなり、実用的ではなくなる)

彼は弱冠18歳から、回転式つまり 「45口径 リボルバー拳銃」 の試作を開始し、22歳で開発に成功する。
当初の売り込みは失敗したが、ウォーカー大尉の協力を得て製造を続け成功をおさめる。

  3)インディアンに大勝利

そして騎兵隊が使用することとなったが、コルトが発明した5連発の拳銃の威力は絶大で、騎兵隊が一斉射撃した後に、突撃してきたインディアンに連続射撃で銃弾の雨を降らせ、インディアンに大勝利を収めた。
これがキッカケとなり、コルトのリボルバー拳銃は大量生産に入った。

日本の時代劇では、江戸時代なのに連発式の短筒(拳銃)で連射していることが良くあるが、当時は世界中のどこにも、あのような連発銃は存在していない。

  4)コルトが開発した、世界初の 「大量生産方式」

ヘンリー・フォードによる「分業と流れ作業による大量生産方式」は、自動車の大量生産方式として有名であるが、
じつは1850年にサミュエル・コルトが考えたのが世界初と言われる。

  5)コルト社が 「西部劇の代名詞」 の拳銃を開発

<コルトの死と、エリザベスの奮闘>
  1862年 52歳でサミュエル・コルトが病死。
  1864年 コルト社の工場は南軍の放火?により焼失。 (南軍には連発式の拳銃がなかった)

と大悲劇に次々と見舞われたが、
幸いにもコルトは亡くなる6年前に結婚しており、その妻エリザベス・コルトが経営の能力を発揮する。
夫の遺志をついで会社再建に奮闘し、従業員たちもエリザベスのもとに結集して会社を建て直し、エリザベスは工場を延焼しにくい構造で建設する。

そして9年後の1873年
コルト社は、リボルバー拳銃の歴史上最高の名銃の開発に成功する。
あらゆる西部劇に、まるでそれしか拳銃がなかったかのように登場する
「ピースメーカー」 である。(右の画像)
西部劇と言えば、どの監督も俳優も使ったあまりにも有名な"あの銃"である。

この拳銃は"45口径"で威力が高く実戦的で、6発装填できる。
ピースメーカーの人気は130年後の今も健在で、何度も製造中止になりながら製造が再開され、現在も同じ製法で作り続けられていると言う。

この同じ1873年には、ライフルの名銃 「ウィンチェスター銃」 も開発されており、 1873年は銃の歴史にとって重要な年となった。

ついでに書くと、20世紀になってからコルト社は、前記6.の拳銃 「ガバメント」 や、
軍用ライフル 「アーマーライトM16」 も製造している。


上記7.あたりから吹雪刑事の話題から外れてしまった。

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