『相場師秘聞』
〜波瀾曲折の生涯〜
    

投機街を彩る巨人伝!

鍋島高明著

河出書房新社
    

商品番号:M−9 定価2,000円

<書評>

★週刊ポスト 2006年12月15日号

 著者、鍋島高明氏のライフワークである「相場師」がまた一冊の本になった。誰もが知っているような有名な相場師だけでなく、歴史の狭間に隠れてしまっているような人たちも、丹念に資料を渉猟し、生き生きと描き出して見せている。
 それにしても、古希を迎えた氏の情熱はいささかも衰えを見せない。300頁ほどの本書に登場する人名は400人を下らない。参照文献は130冊を超えている。それ以外にも、たとえば国会図書館に足を運んで明治時代の古い新聞記事を掘り起こすなど、日本の相場師の登場人物の人となりや活躍ぶりを後世に伝えるのが自らの義務だと思っておられるのだろう。
 氏が日経金融新聞に連載している(月曜日)「ニッポン相場師列伝」は毎回楽しみに読んでいるが、登場人物はすでに80人を超えている。こうなったらぜひ100人に挑戦してもらいたい。これはという人物を掘り起こすのはだんだん難しくなっていくと思うが、氏の調査が自分にまで及ぶのを草葉の陰(?)で待っている人がいるはず。
 私は痛快な話を読むのが好きだ。スポーツでもいいし、それこそ大食いの人の話でもいいのだが、常人にはとてもできないようなことをいとも簡単にやりのけてしまう痛快さがいい。相場師もそんな人たちだ。大儲けしたかと思ったら、そのすぐ後にはすってんてんになってしまう。それでも決して懲りない。氏の著書に登場する人物は相場史を彩っている人たちだから、結局は相場で大損してただ消えていった人たちとは違う。尊敬され、数々の逸話と伝説を残した人々だ。鍋島氏の手腕でそうした史実に接することができるのは喜びである。
 今回取り上げられている人物の中に一人だけ新聞記者が混じっている。日本一の相場記者と言われる野城久吉だ。明治20年代に東京日日新聞で政経欄を担当していたが志願して相場面を担当し、単に上げ下げだけを報じる紙面を一新したと言う。その取り上げ方を見ても、新聞記者出身の著者の憧れの人であることは明らかだ。



★日本橋 平成18年12月号

 株の上げ下げの背後に蠢く人間模様。著者の興味は一貫してそこにあり、それをモチーフにこれまで数々の相場師列伝をまとめてきた。ちなみにこれら株にまつわる人間ドキュメントには、数字にない人間臭さが横溢しており、<鍋島本>人気の底流となっている。日本一の相場記者野城久吉、大阪北浜の錬金術師島徳蔵、一癖二癖いや三癖もありそうな伊藤延などなど。文人が語る東京証券取引所のある鎧橋界隈の興味深い内容も含め、人間万事塞翁が<株>的なおもしろさがある。



★日経金融新聞 11月6日付 「行間を語る」★

 本書に登場する相場師の中で、一番多く行数を割いたのは倉増こと倉沢増吉である。野間宏の小説『さいころの空』の重要人物、猪沢復吉は倉増がモデル。倉増は「一代で億万長者の地位を獲得する最短距離は相場である」と、相場界に突進する。「突貫小僧」とか「弾丸将軍」の異名をとるほど勢いよくもうけたが、損も派手で、一度ならず自殺を試みる破目に陥る。
 昭和三十年代の兜町で最もマスコミを賑わせたのが倉増だった。「証券宗株価倍増教の教祖」などと週刊誌は持ち上げた。
 「私の生涯は金力と権力に対する反抗と闘争の生涯だ。私は誰よりも株を愛し、株に生き、株に死ぬる覚悟を決めた。ここ三―四年で五十億円は兜町から吸い上げたが、……相場師おというものはついているときにほどほどに引き上げることだ」
 大手証券の支配力が強まる中、倉増は素人の投資家を結集、「全日本投資家連盟」を結成する。今日大流行の投資ファンドのさきがけを成すもので、数の力にものを言わせて、モノ言う株主として名乗り出る。村上ファンドに先駆すること四十年、だが、恐喝容疑で逮捕される。歴史は繰り返すか。



★先物ジャーナル 11月6日付 「自著を語る」★


 増田貫一は大正米騒動下、最も目立った相場師である。時の政府は米価高騰は相場師たちが先物市場で買いあおっているためだとにらんで増貫や伊藤延、岡半ら名うての相場師の摘発に乗り出す。大正バブルで諸物価高騰に頭を痛めた政府は前年、暴利取締令なる法律を用意していて、その適用第一号として身柄を拘束されたのが増貫である。
 当時の新聞をめくっていると、朝日、東京日日、都新聞ら主力紙がこぞって社会面で顔写真入りで大きく取り上げている。東京毎日新聞に至っては、「増貫一代記」と題する連載読み物を始めるありさまで、さながら英雄扱いである。もともと、増貫は人気のある相場師だったから、マスコミは好意的である。
 対する農商務相仲小路廉は高級官僚から大臣に就いたエリートだが、市場の実態を知らない。増貫たちを市場から追い落とせば米価は沈静化するとタカをくくっていた。増貫は令状を持ってきた役人を前に気炎を上げる。
 「一体暴利令などは実業家の意見を聞くでもなく、単にテーブルの上の考えで作ったもので、米価の調節などできるはずがない。天下の米はいかに大臣が騒いだとて、どうなるものか。米の相場は自然の需給で決まるのだ」
 ここで無理に米相場を抑え込むと、端境期にはかえって暴騰するぞと主張するが容れられず、懲役二カ月に処される。増貫はすぐに控訴、控訴で大審院(最高裁)にまでいくが、敗訴に終わる。外の相場師が転売命令を受け入れたのに対し、増貫だけは建玉の転売を拒否した。「自分の信念で買った米だから売らん。売買は営業の自由である」と頑張って、獄中につながれる。増貫予言は的中し、米相場は暴騰、米騒動が勃発、寺内正毅内閣は瓦解、仲小路農相も退任する。
 増貫の最期がはっきりしないが、獄死したとも伝えられる。嗚呼、増貫よ。本書は、そんな一癖も二癖もある相場師たちの物語である。



★フューチャーズトリビューン 10月24日付★

 本書は「相場師異聞〜一攫千金に賭けた男たち」(平成14年刊)の続編に当たり、投資日報社発行の「商品先物市場」の連載を加筆修正したもの。歴史に残る凄腕相場師らの生涯を、写真や資料を交え読みやすく解説している。本書の舞台でメインとなる約100年前の兜町、蛎殻町と現在とは単純に比較できないが、市場創設の黎明期においてその存在感を存分に発揮した面々の表情を見ると、現在ではあまりいない、どこか一本筋の通った凛々しい印象を受ける。
 時代の変遷とともに市場の再編が急速に進んでいるが、本書では「横浜市場を仕切った面々」として、横浜先物市場の足跡を辿っている。4月1日付で東京穀物商品取引所に吸収合併された横浜商品取引所は、その末期においては出来高も低迷を極めたが、かつては東京米穀商品取引所、大阪堂島米穀取引所、大阪三品取引所と並び日本を代表する取引所であった。取引所法制定の翌年となった明治27年、横浜先物市場の本流となる横浜蚕糸外四品取引所が発足し、「亀善」と呼ばれた原善三郎が初代理事長に就任した。なかなか筋の入った人物でお世辞も追従も好まず、生糸の輸出商時代には「値引きを迫る客とは話し合っても時間の無駄」と言い放って席を立ったという。さらに冗舌を嫌い寡黙を旨とした人物で、こうしたタイプが取引所の理事長とあれば我々新聞記者にとって甚だ困る。亀善は生糸相場で莫大な富を得て、明治元年には横浜財界の中心人物となった。
 そのほかに興味深い人物として野城久吉を挙げる。日本一の相場記者と呼ばれ、著者が「師と仰ぐ人物」としているが、筆者も格は違えど一応同業者として憧憬の念をもって熟読した。同氏は明治22年東京日日新聞入社後、自ら志願して相場面を受け持ったという。当時の相場面は物価の上げ下げを報じる程度で一般読者も読み飛ばす有様であったが、同氏は広く経済界の状況を報道し、かたわら財界の有力者を訪問して意見、感想を聞き、紙面1ページをさいて盛んに商況記事を掲載する等の紙面改革を行い、商品市況面の礎を築いた。その業績を見込まれ、大正元年の死亡時には異例となる社葬で見送られた。本名のほか数種のペンネームを使い分け、とにかく書きまくったらしい。2〜3ページの原稿はあっという間に仕上げ、その文章がかなりの名文だったというから、牛歩に違わぬ筆者にはうらやましい限りである。

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