考証学 1〜5
考証学 1〜5



 TRCのホームページが新しくなったので、「Sムーンの仮面ライダー考証
学」というタイトルで何か書くようにと本部からご依頼を受けた。
「考証学」とはいかにも大袈裟だが、頭についた「Sムーンの」を外して頂け
るならばと引き受けることにした。
この一年、私はTRCの旧掲示板等一切書き込まなかったし会報Amigoの
編集からも離れていたので書くのは久しぶりである。
その間、何も書かなかったのはTRC以外の場所で「仮面ライダー」に関係し
た出版・事業等に協力を求められ、応じた挙句に裏切られ、不愉快な思い
をさせられる事例が続き正直うんざりしていたからである。
本来ならば実名を挙げて糾弾してやりたい奴が何人もいるのだが、この場
には相応しくないので控えよう。
ただ、仮面ライダーのファンであるならば誠実なファンであるべきだ、とは申
し上げておきたい。
出演者を欺いたり、約束したギャラを支払わなかったり、拝借した資料を隠
匿したり、故意に取材内容を歪曲したり、肖像権を侵害したり、等々は論外
である。





 TRC相談役として常日頃お世話になっている平山亨先生が先月19日に
満80歳のお誕生日をお迎えになられた。
ご自身でまだまだ現役だと仰られるお言葉通りに『仮面ライダー』劇場作品
の上映会等にゲストとしてお出かけになられたり、東映のOB会やお祝いの
会が続いてあったのでTRCとしては平山先生満80歳のお誕生日をお祝い
する会を今のところまだ開かずにいる。
が、先生のご健康と益々のご活躍を祈念するのはTRCメンバー一同共通
の想いだろう。
練馬で行なわれたお祝いの会には仮面ライダー1号・2号のダブルライダー
も駈け付けて会を盛り上げたそうである。
4月3日は『仮面ライダー』放映開始の記念日でもあった。
『仮面ライダー』のテレビ放映が開始されたのは1971年(昭和46年)4月
3日土曜日の夜7時半のことである。
前番組は『魔女はホットなお年頃』というドラマで、平山先生によると主演の
新藤恵美は当時なかなかの人気女優だったのだそうだ。
その最終回を受けての新番組予告では当然ながら『仮面ライダー』第1話
「怪奇蜘蛛男」のフィルムから編集された予告編が流されたはずなのだが、
残念ながら現在のところ行方不明となっている。
平山先生に伺ってみたところ、『魔女は』の最終回のフィルムのお尻にくっ
ついたままになっているのかもしれないね、とのことだった。
『仮面ライダー』の予告編には本編未使用のカットを繋いである場合が多く
あり、その意味でも第1話予告編のフィルムは捜索する価値がある。







 先日、私はムスタング代表と二人で新居にご引っ越しなさったばかりの平
山亨先生を訪問し、遅れ馳せながらお誕生日のお祝いのご挨拶を申し上
げてきたのだが、駅前にあるホテルのレストランで食事をしながら先生のお
話を伺っている最中「それ、仮面ライダーですよね?」と言って話しかけてき
たのはその店のウェイトレスの女性だった。
彼女がそれと言ったのは、私たちが平山先生の80歳のお誕生日の記念に
と額装して持参した仮面ライダーの写真をのことで、例の腕組みをして立っ
ている旧1号のモノクロのスチールを見て彼女はそう言ったのである。
彼女は37歳で小さい頃にテレビで『仮面ライダー』を見ていたと言い、そん
な彼女に「こちらはその仮面ライダーをおつくりになった東映の平山亨プロ
デューサーです」と私はご紹介するのだが、平山先生も「そう、あなた、見て
いてくれたの」とお喜びになられ、しばし笑顔でお話がつづくのだった。私に
してみればこうした場面は決して珍しい事ではない。

平山先生のみならず真樹千恵子さんや佐々木剛さんとご一緒しているとき
にも同様の出来事が何度もあった。
さすがは仮面ライダー!!
誰もが知っていると言っても過言ではない国民的ヒーローである。





 石ノ森章太郎氏によって作詞された主題歌「レッツゴー!!ライダーキッ
ク」の三番で、仮面ライダーのマスクについては「緑の仮面」と歌われてい
る。先日もこの件について平山先生がお話をしてくださったのだが、最初に
出来上がってきた仮面ライダーのマスク(もちろん旧1号のFRP製のAタイ
プ)の色は歌の詞のままに緑色だった。
「そしたら渡邊亮徳部長から怒鳴られてね、緑の仮面とは何事だ!緑色の
ヒーローなんてあるか、ってね。
だって絵を見せたじゃないですか、って言っても聞かないんだから。
それで仕方なく八木さんに頼んで、申し訳ないんだけどって、そうしたら八木
さんがいやぁーな顔してね、やっぱりせっかく作ったものを直したくなかった
んだろうね。それであんな黒みたいな色で塗り潰しちゃったんだよ」
八木さんとはエキス・プロダクションの八木功氏、絵とは石ノ森章太郎氏に
よる仮面ライダー・ホッパーキングのイラストのことである。

この一件もあって仮面ライダーのマスクの完成は遅れ、1971年2月7日の
生田スタジオでのクランク・インに間に合わなかった。
『仮面ライダー』の第1話、本郷猛がショッカー基地の改造手術台に横たわ
っているシーンから、最初の撮影は始められたのである。





 仮面ライダーが仮面ライダーたる証、言うまでもなくそれは仮面とオートバ
イである。
1970年の末になってもMBSから番組制作の正式決定が成されないのに
業を煮やした内田有作・生田スタジオ所長が、見切り発車でエキスプロに
発注したその仮面(マスク)は現在では仮面ライダー旧1号のAタイプ・マス
クと呼ばれる。
これについては折田至監督と三上陸男氏のおふたりが粘土原型を検討し
ているスチールを関連書籍でしばしば目にするが、旧1号のマスクのメイキ
ング・スチールは、他にも残されている。
マスクのオリジナル・デザインは周知の通り石ノ森章太郎氏、それを元にし
て三上氏によってさらにデザイン画が描かれた。

原型は水粘土によって彫塑され、そのまま石膏によって三分割となる型が
造られて、最終的にFRPによって成型され仕上げられている。
この仮面ライダー旧1号のオリジナル三分割石膏型はCアイやクラッシャー
部分の型といっしょに現在も国内某所で有名コレクター某氏によって保管さ
れている。
また、マスクにはアクション用に造られたラテックス製のものもあったが、成
型に使用された型はFRP製マスクの型と同一のものである。



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