考証学76〜80

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 『仮面ライダー』のスチールを調べているとき、単独ではそれが第何話の
スチールなのか特定が困難で悩まされる事がある。

新1号が一人でジャンプしていて背景には空しかない、そんなスチールが1
枚あっても、それだけで第何話撮影時のものか判別する事はまず不可能な
のだ。
しかし、旧1号ならば不可能ではないだろう。
スーツやマスクを手掛かりにして第何話のスチールか知ることができる。
その他でも、旧1号編に関しては制作本数が限られている事もあって検証
できないスチールはほとんどない。
だが、稀に???と思わされるスチールがない訳ではない。
例えば、本郷猛が変形前のサイクロン号で一般道を走行中の何気ない1枚
のモノクロのスチール。

果たして、これは第何話撮影時のものなのか?

結論を先に述べれば、これは第10話「よみがえるコブラ男」のAパートで本
郷猛がスナック・アミーゴへ到着するシーンの本編スチールである。
旧1号編の藤岡氏の場合、出演本数が10本と少ない中で、頭髪のセットの
具合が意外と大きな手掛かりとなったりする。
第1話の藤岡氏ならば髪の毛だけで判別が可能だろう。
2種類あるネクタイの柄やワイシャツの色が白かブルーか、何か手掛かりを
捜し出す。

そうしてロケ地で見当をつけてDVDで確認をする。
しかし、それでもまったく判らないスチールはあるもので、本編の撮影とは
無関係に撮られたようなスナップは判らない。

そんな旧1号編の未確認スチールが、私にはまだ何枚かある。



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 『仮面ライダー』の2号編を開始するに当たり東映サイドで新たに企画書
がまとめられる事はなかったが(平山亨プロデューサーによる手書きの文
書のみ)、MBSでは表紙に番組企画書と記されている番販資料(セールス
シート)が作成され製本もされている。

ドクガンダー成虫の単体スチール(他では見ない珍しいもの)が掲載されて
いる事から配布時期は少なくとも6月下旬以降となるが、何故か2号ライダ
ーではなく旧1号のスチール(小河内ダムでのもの)が使用されていて、制
作サイドでも1号と2号の区別がまだ充分に把握されていなかった事がうか
がえる。

注目すべきは、そこに掲載されているキノコモルグ対一文字隼人のスチー
ル2点であり、これらは制作第19話「悪魔のレスラー ピラザウルス」の撮
影時に生田スタジオの外で撮影された毎日放送の特写スチールで、他に2
号ライダーとピラザウルスも参加して、カラーとモノクロの一連が記録され
た。
この特写はおそらくスタジオ内にプロレスのリングを設置しての2号対ピラ
ザウルスの最終決戦が撮影された日と同日の撮影と思われ、毎日放送の
番宣スチールとしてリング上でのピラザウルスの単体やライダー対ピラザウ
ルスの本編スチールが残されている。

また、この試合を観戦している子供のエキストラは旧1号編放送時にテレビ
や新聞(毎日新聞)の告知によって一般から募集された小学生たちで、小
野寺丈氏(クレジットは石森丈)が御出演なさっていた事はよく知られたエピ
ソードである。

撮影終了後には改造サイクロンと2号ライダー、一文字隼人、ピラザウルス
といっしょに記念撮影も行なわれた。



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 『仮面ライダー』の各エピソードについて、番組の放送日には制作時期か
ら凡そ2ヵ月のタイムラグがある。
もちろん、ガマギラーやベアーコンガーのように極端な例外もあるが、その
ラグはクランクインから順当にキープされ続けていた。
したがって、2号編の開巻エピソードであるサボテグロン編の制作時期も放
映日である7月3日の2ヵ月前、即ち5月上旬と見当をつけて間違いはな
い。
事実、4月28日の時点において2号編のコンセプトは未だ決定が成されて
おらず、竹橋の毎日放送東京支社ではそれを議題に制作打ち合せ会議が
開かれていた。
この会議は平山亨プロデューサーの「(本郷猛を)殺しちゃならねぇ!」発言
で有名な会議だが、毎日放送・左近洋一氏によって詳細な議事録が残され
ている。

「左近さんていう人は几帳面な人でね、細かーくメモをとっておいてくれて
ね。僕、こんな事言いましたか?いや、平山さんが言った通りに書いてあり
ます。うんにゃ、ならねぇ、(笑)、殺しちゃならねぇ(笑)、いくらなんでもこん
な事言わないよって言っても、いいえ、言いましたって。だから、殺しちゃな
らねぇ、って書いてあるんだけどね(笑)」(平山亨先生インタヴュー/TRC
会報Amigo10&11合併号より)

この日の会議の出席者は以下の通り、『仮面ライダー』の制作に関わって
いらっしゃった上層部の錚々たる顔触れが御出席なさっている。
渡邊亮徳、平山亨、阿部征司、内田有作、折田至、山田稔、伊上勝、滝沢
真理、加藤昇、広瀬隆一、庄野至、石井照子、左近洋一、他(敬称略)

この会議に際して、「仮面ライダー検討・確認事項」というタイトルの覚え書
きが配布されている。その中の項目のひとつに「配役について」として「緑川
ルリ子」の名が上げられている。

平山亨先生がお書きになられたメモによると、

ショッカー組織の根はヨーロッパにあることを知った本郷猛は隼人に日本の
守りをゆだねて空路旅立ちます。
ライダーが本郷猛とは知らぬルリ子はしかし本郷が受けた旅券の書類の一
部から彼のヨーロッパ行きを知りすべてを投げ打って彼のあとを追いまし
た。(平山亨プロデューサー/「新仮面ライダーの設定について」より)

これがこのまま採用されていたならば、もしかしたら第14話に緑川ルリ子
がワンシーンでも登場する可能性があったという訳である。
しかし、4月28日の左近氏による議事録には次のように記されている。

緑川ルリ子は本郷の後を追って外国へ、14話にも出ない。


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 『仮面ライダー』第14話の劇中において、緑川ルリ子の動向は一文字隼
人の次のようなたった一言で片付けられている。

一文字「ルリ子さんも後を追って行きました」

平山先生によると、このような処置は脚本家である伊上氏の発案であった
そうなのだが、そもそも緑川ルリ子=真樹千恵子さんの降板を決断したの
は平山亨プロデューサー、その人だった。

品田「子供の頃、真樹千恵子さんが出なくなったのがショックでした」

平山「あぁ、あれはね、本郷猛と一緒にヨーロッパに行ったなんて事にしち
ゃってね、あれは真樹さんに言い訳なんだけど、僕には変なところがあって
ね、今まで本郷猛のことを、猛さん、猛さん、て慕っていたのが今度は一文
字隼人が来るじゃない。それで、あら、一文字さん、なんてにっこり笑ったり
してごらん、本郷猛から一文字隼人に乗り換えたって思われるでしょう、」

品田「そんな、先生、考え過ぎですよ(笑)」

平山「だからね、そんな時はヨーロッパへダーッと行ったとかね、そんなふう
にして離しちゃうの。僕にはそんな世界観があるんだなぁ、」

以上は、2006年11月4日に練馬区大泉学園勤労福祉センターで開かれ
た「平山会」の席上での御発言であり、品田とは元レインボー造形企画の品
田冬樹氏である(全文はTRC会報Amigo10&11に掲載)。

ルリ子さんにしてみればそのような決定は唐突であり、楽しかった学校へ急
に行かれなくなってしまったようで悲しかった、と話して下さったが、周知の
ようにすぐに『コートにかける青春』への出演が決定し人気も急上昇するこ
とになる(そう言えば『コートにかける青春』について、以前、私はルリ子さん
が髪をショートカットになさったと書いてしまったが、CM71さんからご指摘
を頂いた通り、ウィグを着用してのご出演だったそうである。

主演が決まって制作サイドからは切るように求められたものの、どうしても
切る気にはなれなかった、と仰られていた。
そんなルリ子さんのヘア・スタイルは現在も当時と変わりない綺麗なストレ
ート・ロングのままである)。

最後に考証学78の添付画像について、講談社のオフィシャル・ファイル・マ
ガジン・仮面ライダーVol.4では同じスチールが毎日放送のスチールとして
掲載されているが誤りである。
正しくは当時所属なさっていた山村聡事務所のセールス用のスチールであ
る(79添付画像も)。



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 朝日ソノラマから昭和46年8月25日に初版が発行された『仮面ライダー
怪人大画報』の表紙には、一見したところ2号だがよく見ると2号ではない
仮面ライダーが描かれている。 

マスクの色が旧1号ふうの青、Cアイは赤で鼻筋は白、クラッシャーはおそ
らく銀色を表現したものだろう。
そしてこの仮面ライダーのジャケットには肩から腕へかけての銀色の線が
ない。
無版権のパチものならいざ知らず、私はこの表紙イラストのような仮面ライ
ダーが実際にあったのかもしれない、と考えている。同時に表紙に描かれ
ているサラセニアン、コブラ男、ゲバコンドルを見ると極めてリアルに描かれ
ており彩色も正確だ。

資料として何らかのカラー・スチールが参考とされたのは明白だろう。

ただし仮面ライダーに関しては、私はこのような仮面ライダーのスチールを
モノクロでしか知らない。
それは2号ライダーのプロトタイプとして準備され、生田スタジオ外で撮影が
行なわれたおそらくエキスプロのスチールだが、第13話のトカゲロン編撮
影時期のものだろう。
第13話で使用された旧1号最後のマスクはBタイプであり、第14話で使用
された旧2号最初のマスクは旧1号のAタイプをリペイントしたものである。
つまり、旧1号のBタイプのマスクを使用して第13話の撮影が行なわれて
いたのと同じ頃、エキスプロでは旧1号のAタイプのマスクをリペイントして2
号ライダーのマスクの開発が行なわれていた訳である。
その過程で旧1号のマスクの色のままセンターに白線が入った状態のもの
があった可能性は充分に有り得るだろう。
だが、モノクロのスチールしか用意されなかったが為にイラストレーターが
他の旧1号のスチールを参照した可能性も否定はできない。

何れにせよ、この旧2号のプロトタイプに関しては今後の取材のひとつのテ
ーマである。





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