考証学6〜10

考証学6〜10



 仮面ライダーがライダーである証、そのマシーンはサイクロン号と呼ばれ
る。フルカウルの旧サイクロン号のデザインは石ノ森章太郎氏ではなく三上
陸男氏によるもので、しかしスズキT20をベースにして実際にカウル等の
製作作業を行なったのは意外にも佐々木明氏だったのだそうだ(ウルトラマ
ンのマスク等の造形で有名なあの佐々木明氏である)。円谷作品で活躍さ
れていた佐々木氏がサイクロン号の製作に関与した経緯については不明
だが、旧サイクロンのカウルについては私にはひとつ重大な謎があり、いず
れ機会を得て取材をさせて頂きたいとお願いを申し上げている。フルカウル
の旧サイクロン号は1台きりしか造られていなかった。私はサイクロン号の
スタントをなさっていた大橋道然(春雄)氏にしつこく確認をしたのだが、2台
目の旧サイクロン号などは存在をしていなかった。「俺の知らないサイクロ
ンがあったのなら別だけどな(大橋道然氏・談)」つまり、過去の関連書籍で
説かれていた旧サイクロン号2台説は明確に誤りだったのである。








 2007年12月29日、港区海岸の扶桑社会議室において本郷猛=藤岡
弘、氏と緑川ルリ子=真樹千恵子さんの対談が行なわれた。
これは翌年6月に同社から刊行された『仮面ライダー=本郷猛』(藤岡弘、
著)に収録するための対談で、その場には平山亨先生にも同席をお願い
し、私は対談の進行役とインタヴュアーを任されていた。
この対談を出版社の会議室という場所で行なったのは、おふたりにDVDで
実際に旧1号編の『仮面ライダー』を御覧になって頂きながら、撮影当時の
エピソードを具体的に伺いたかったからである。
藤岡弘、氏と真樹千恵子さんは2006年10月14日に新宿ロフトプラスワ
ンで行なわれた『面祭2』にもご出演なさっていたし、2003年11月14日に
恵比寿ガーデンプレイスで行なわれた藤岡氏のトークショーの折りにも再会
なさっている。
したがって番組終了以来の久しぶりのご対面という訳ではなかったが、ヒー
ロー・ヒロインのおふたりが揃って長時間『仮面ライダー』についてお話しく
ださったのは初めてのことだった。





 本郷猛と緑川ルリ子のキャスティングが藤岡弘、氏と真樹千恵子さんに
決定したのは1970年12月の事である。それ以前に、11月の時点では近
藤正臣氏と島田陽子氏に決定し、二人の顔合わせが行なわれてスチール
撮りも済まされていた。しかし、近藤氏サイドの事情からこのキャスティング
はキャンセルとなる。
藤岡弘、氏は『仮面ライダー』の主役決定を電話で知らされたという。しかし
実際に現場で撮影が始まるまでは、それがどのような作品であり変身とは
何なのか充分には把握できていなかったのだそうだ。
真樹千恵子さんについてはこれはもう有名な話だが、当時オン・エアー中だ
ったライオンのエメロン・シャンプーのCMを御覧になった平山亨プロデュー
サーの決定による。「彼女はね、ほんとうに髪の毛が綺麗でね、」(平山亨
先生・談)そのエメロン・シャンプーのCMにはいくつかのバージョンがあり、
真樹さんによると最初のものは新宿御苑で撮影が行なわれたのだそうだ。
共演者は『ウルトラセブン』のモロボシ・ダン役で有名な森次晃嗣氏。他に
グァム島編もあり、ビーチで水着姿の真樹さんの素敵なモノクロ・スチール
が残されている。

「あなたは今でも、綺麗な髪の毛だねえ、」そう仰られた平山先生に真樹さ
んは、「だって先生、わたしエメロン・シャンプーのモデルだから、」笑顔でそ
う、お応えになっていた。





昭和42年4月9日、TBSの日曜日の夜7時から7時30分の時間帯におい
て絶大なる人気を誇ってきた『ウルトラマン』が第4クールの延長ならず、第
3クールの終了を以て最終回を迎えた。
平山亨先生によると『ウルトラマン』の制作終了後、『ウルトラマン』の関係
者と後番組に決定していた『キャプテンウルトラ』の関係者による引き継ぎ
式のような会があり、そのときに初対面となった小林昭二氏の好印象が後
年の『仮面ライダー』において立花藤兵衛役のオファーへと繋がったのだそ
うである。TRCの会報Amigoの取材等で、仮面ライダー・シリーズで共演し
た俳優諸氏に伺ってみたときにも小林氏のお人柄を伝えるエピソードは
多々あって、藤岡弘、氏、真樹千恵子さん、佐々木剛氏、宮内洋氏、速水
亮氏、と皆さん、それぞれの小林昭二氏との思い出をお話しになってくださ
った。因みに『キャプテンウルトラ』についてだが、「20パーセント台の視聴
率を取っているのに(ウルトラマンより)下がった、下がったって言われてね
ぇ、・・・」(平山亨先生・談)

そう言えば、当クラブのキカイダー氏は小林氏のお嬢さんと中学の同窓生
でいらっしゃるそうである。



10

 昨年12月に秋葉原で開催された講談社の大島康嗣カメラマンの写真展
の際、ゲストの藤岡弘、氏とのトークショーにおいて大島氏からたいへんに
興味深いご発言があった。
それは大島カメラマンが藤岡弘、氏と初めてお会いになられたのは生田ス
タジオで回転筒を背景に特写スチール(旧1号/本郷猛、改造サイクロン、
蜘蛛男)を撮影したときであり、同時にそれが『仮面ライダー』のスチール撮
影の最初でもあったというものだった。
この事実は以前から知られていたが、ご本人の言葉によって語られるのを
確認できたのは意義深い。
つまり、それ以前の第1話に関係するスチールは講談社によらないし、一方
で第1話に関係したスチールでも講談社によるものに記録されているシーン
の撮影時期はこの特写以後ということになる。
要するに、変身シーンのバンク・フィルムの中で本郷猛がレバー・スイッチを
操作するシーンと、オープニングに編集されているフィルムの中で室町健三
氏が変形前のサイクロン号を走らせているシーンの撮影時期は回転筒前
での特写以後であったということになる。
細かな事だが、第1話の撮影日程を検証する際の重要な手がかりとなるだ
ろう。




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