『仮面ライダー』のキャスト・スタッフが最終的に決定し、具体的に制作が
スタートしたのは1971年2月に入ってのことである。
以前は2月7日に小河内ダムでクランク・インし、仮面ライダーと蜘蛛男の最
終決戦のシーンから撮影が始められたというのが定説になっていたが、実 際には生田スタジオのショッカー・アジトのセットにおいて、本郷猛の改造手 術台のシーンからクランク・インしたというのが事実らしい。
これを裏付けるものとして、故・竹本弘一監督の生前のインタヴュー記事の
中にあるご発言、TRCの会報Amigoで大野剣友会の岡田勝社長に取材し た際の確信的なご証言、さらにこれは私も現物を見たわけではないのだ が、当時助監督だった故・塚田正煕氏がご使用になっていた第1話の台本 には各シーンに日付を明記した詳細な撮影記録が残されており、そこにも やはり初日の撮影が生田スタジオにおける改造手術台のシーンからだった ことを証明する記載が残されているという(その塚田氏の台本は現在コレク ター某氏によって保管されている)。
そして何より本編の映像を見てもダムより手術台でのライダーの衣裳の方
が明確に新しく美麗であり、逆にダムでは手首や足首の部分において既に 塗料の剥がれ等傷みが著しいではないか!つまり、クランク・インは小河内 ダムではなかった。
『仮面ライダー』の撮影は、1971年2月7日(日)に東映生田スタジオにお
いて 本郷猛の改造手術台のシーンから始められたのである。
『仮面ライダー』のクランク・インが行なわれた場所は小河内ダムではなか
った。しかしそれでも、ダムは『仮面ライダー』という作品にとって伝説の地と して語られるに相応しい。
『仮面ライダー』のみならず『キカイダー』等の作品をはじめ東映特撮作品に
とってロケの聖地だと言えるだろう。
ところで、過去に出版されたいくつかの仮面ライダー関連書籍において、
『仮面ライダー』の第1話の撮影当時ダムはまだ未完成で工事中だった、と 記述されている事が以前から私には気になっていた。
そこで近所の図書館へ行って調べてみると、やはり小河内ダムは昭和32
年に竣工し、貯水が始められていたのだ。
その後、昭和34年には満水となったのだった。
しかし、ここでひとつの疑問が生じる。仮面ライダーと蜘蛛男の最終決戦に
おいて、ダムには水がなく両者はダムの内側で戦っているではないか!
私はさらに東京都水道局の年次報告書を引っ張りだして調べてみたのだ
が、すると、「・・・渇水のため昭和46年3月にはダムの貯水率は21%にま で減少し、・・・」つまり、昭和46年のその頃は記録的なほど雨が降らなかっ たためにダムの水位が極端に低下していただけだったのだ。
ダムは工事中ではなかった。
因みに小河内ダムは完成直後から年間100万人を越える人々が訪れる観
光地となっている。
小河内ダムでのロケに関して、これまでに出版された関連書籍では3日
説と2日説とが語られてきた。
仮に3日説が正しかったにせよ、その初日には衣裳が揃わず(仮面ライダ
ーのマスクのことか?)撮影が叶わなかったのであるならば、残り2日間を 検証するより他はない。材料としてはスチールと本編映像。
小河内ダムでのスチールはスナップやメイキング等を含めると、これまでに
49または50枚を確認している(実際にはその何倍もの量が写されていた はずである)。カラーもあればモノクロもある。
撮影者も一人ではなくカメラも違う。16mmの本編用のカメラのすぐ傍らで
撮った本番中のスチールもあれば素人っぽい記念写真のような紙焼きもあ る。これら小河内ダムでのスチールの撮影者はいったい誰なのか?
講談社の大島カメラマンはまだ参加していなかった。もちろん、出版他社の
カメラマンも来ていない。MBSは?大阪の毎日放送から番宣用のスチー ル・カメラマンは来ていなかったのだろうか?このあたりの話になると関係 者に取材をしても証言はまちまちでわからない。
だが、旧1号編の初期の時点ではまだ番宣のカメラマンは来ていなかったと
いう説の方が有力なように思われる。
それではMBSの最初期の番宣広告に小河内ダムでのスチールが使用さ
れているのは何故か?
平山先生に伺ったところでは、当初は東映サイドでスチールも撮影してMB
Sに納品する約束になっていたのだそうだ。
実際に番組1本につきカラーフィルム何本、モノクロ何本というように決めら
れてフィルムも支給されていたのだという。中には先生ご自身で撮影された スチールも多数あるそうで、しかし具体的にどのスチールがそうだとは断定 は難しいようだ。旧1号編のスチールの検証は今後も引き続き行いたい。
小河内ダムで撮影されたスチールの中でも、腕組みをして立っている旧1
号を含む一連のスチールは注目に値する。
ビリケン商会やメディコム・トイのフィギュアによって現在ではよく知られるよ
うになってはいるが、当初はこのポーズになかなか馴染めないというファン も少なくはなかったようだ。
このスチールの一連はモノクロ5枚、カラー1枚を確認しているが、両腕を左
右水平に拡げて立っているカラースチールは山勝の5円ブロマイドにも使 用されているのでご存じの方も多いだろう。
これらは関係者の間でも毎日放送の番宣スチールとして認知されているよ
うなのだが、前述のような経緯もあって撮影者は不明である。
スーツアクターは藤岡弘、氏。まだ仮面ライダーのキャラクターが固まって
いないご様子で、仮面ライダーらしからぬポーズの数々が収められている。 おそらくこれがマスクを含めて仮面ライダーの衣裳一式が揃っての初めて の特写であり、その意味でも仮面ライダー史上に残る記念碑的スチールだ と言えるだろう。撮影場所は小河内ダムの近辺とされ、背景となっている崖 の岩肌を見てもそれは間違いはないのだが、現在の小河内ダムでは一般 の立ち入りが制限されている場所もあり具体的に撮影場所が何処であった のか特定はされていない。
それにしても、この腕組みをして真っすぐに立つ仮面ライダーの何という格
好良さだろう!平山先生も「これは藤岡だ、いい写真だなぁ、」とお気に入り のご様子だった。
第1話での小河内ダムのロケにおいては幾つも伝説的なエピソードが残
されている。
例えば平山亨プロデューサーが剣友会の大野幸太郎氏に怒鳴られたとい
う話。これは平山先生の御著書『仮面ライダー名人列伝』でも詳しく語られ ているので皆さんご存じだろうが、問題はその事ではなく、第1話をいくら見 直してもそのようなシーンがどこにもないという事なのだ。
平山先生は一昨年2月にも小河内ダムへいらっしゃっており現地で具体的
にロケ地を検証なさったのだが、残念ながら問題のシーンの崖が何処であ ったのか確認は得られなかった。
しかし、だからといってそうした撮影がなかったという訳ではない。何より大
野氏が直々に殺陣をつけていらっしゃった訳だから、小河内ダムでという話 は間違いではないはずだ。
『仮面ライダー』編集の菅野順吉氏に取材した記事によると、竹本監督によ
る第1話のフィルムは60分ほどもあったのだそうだ。平山先生が最初に第 1話を御覧になったときにはそれが45分ほどに編集されており、それ以上 どこをカットすればよいのか判らなかったのだという。
「今みたいにディレクターズ・カットなんてあれば面白いのが見られたかもし
れないね」(平山先生・談)
『仮面ライダー』第1話のディレクターズ・カット!!
考えただけでぞくぞくするほど魅力的な話ではないか。
おそらく失われた16mmフィルムには、小河内ダムの断崖を転げ落ちるシ
ョッカー戦闘員たちの姿が記録されていたのだろう。他にラスト・シーンでも 複数の演出が試みられていたらしい(本郷猛は最初ルリ子をクルマの後部 座席に乗せるのだが、次のカットでルリ子は前の助手席に乗っていたりす る)。藤岡氏のご記憶では最終的に本編に使用されているフィルムの演技 とは異なっている演出があって、本郷猛がルリ子の肩を抱いて振り返るとい うような演出も行なわれていたようだ。
さらにダムへと運ばれていたフルカウルの旧サイクロン号は本当に一度も
ダムを走ることがなかったのだろうか?失われたフィルムへの興味は尽き ない。
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