昭和45年の或る日、一人の女子高校生が新宿駅前のデパートでショッピ
ングをしていた。彼女はまだ下校途中で、在学する高校のセーラー服姿の ままだった。そんな彼女に目を留めた或るテレビ番組のプロデューサーが、 彼女に翌日の朝の番組への出演を求めて声をかけてきたのである。
その番組とは、当時TBS系列で毎週月〜土曜日の朝7時25分から放送さ
れていた『ヤング720』、声をかけられた女子高校生とは我らがヒロイン・緑 川ルリ子=真樹千恵子さんである。
真樹さんに伺ったお話では『ヤング720』の番組中CMへ切り替わる際の
アイキャッチャーとして担当の女の子がアップになり「セブン・ツー・オー」と 言う、そんな演出があったのだそうだ。前日までレギュラーだった女の子が 急に出演できなくなってしまい、困り果てた番組プロデューサーが真樹さん をスカウトしたという訳なのだ。
その翌朝からの出演という余りにも急な話でもあり、真樹さんはプロデュー
サーに御自宅まで来てもらって御両親の承諾を得たという。つまり、真樹千 恵子さんの芸能界デビューは『ヤング720』であったのだ。
そして物語はつづく。
『ヤング720』に出演なさっていた真樹さんをテレビで見かけた二人目のプ
ロデューサーが、或る企業のテレビCMにと彼女に出演を依頼した。それが 当時のライオン油脂株式会社のエメロン・シャンプーのCMだった訳であ る。
そして、・・・
平山亨プロデューサーが以前、私にこうおっしゃったことがある。「ぼくは女
の子のキャスティングが下手だったけれど真樹さんだけはね、彼女だけは 本当にうまくいったって今でもそう思っているよ」(平山亨先生・談)1971年 1月、『仮面ライダー』のヒロイン・緑川ルリ子役として真樹千恵子さんの出 演が正式決定された。
翌2月4日或いは5日に東京衣裳で行なわれた衣裳合わせの際、彼女は
本郷猛=藤岡弘、氏と初めて対面することになる。
「初めてお会いしたときに、藤岡さんはマフラーをしていたの。こんなに長
い、縞のマフラー」(真樹千恵子さん・談)藤岡氏はオン・エアーでエメロン・ シャンプーのCMを御覧になっていて、既に真樹千恵子さんをご存じだった のだそうだ。最後に蛇足だが、『仮面ライダー』の放送が始まった1971年4 月3日に『ヤング720』は最終回を迎えている。
昭和40年代、ライオン油脂株式会社はエメロン・シャンプーの広告のイメ
ージ・キャラクターてして真理明美、麻生れい子らの女優やモデルを代々起 用していた。
彼女たちは当時のマスコミにエメロン娘と呼ばれたが、その五代目として数
百名の応募者の中から抜擢されたのが我らがヒロイン・緑川ルリ子=森川 千恵子さんだった。
このエメロン・シャンプーのモデル契約は一年契約であり、春夏秋冬の季節
ごとにストーリー仕立ての宣伝がテレビCMや雑誌媒体を使って展開されて いた訳である。
五代目となったルリ子さんがご出演になったシリーズは『エメロンヘア物語』
と呼ばれ、1970年4月からオン・エアーが始まっていた。
共演者はウルトラセブンの森次浩司氏。最初の「春編」は新宿御苑、「夏
編」はグァム島でロケが行なわれた(秋、冬編に関しては、また今度うかが ってきます)。さらに各季節ごとに複数のバリエーションがあり、実際に平山 プロデューサーがどのバージョンのCMを御覧になられたかは定かではな いのだが、どれを見ても当時まだ18歳でいらっしゃったルリ子さんが初々し い。
森次氏と親交の深いキカイダー01横浜支部長によると、森次氏も「可愛ら
しい女の子だったね」と、ルリ子さんのことをよく憶えていらっしゃるそうであ る。ところで当時のエメロンのCMというと「ふりむ〜かないで〜♪」のCMが 印象深いが、あれはシャンプーではなくてエメロン・リンスのCMである。
また、この時期にエメロン・オイル・シャンプーという新製品が発売となりよく
似た広告が見られるが、こちらのモデルはショッカーの女幹部マヤを演じた 真理アンヌの妹さんなので、お間違いなく!
昭和46年1月2日から始まった『2丁目3番地』は日本テレビ系列で毎週
土曜日の夜9時30分から放送の1時間番組だった。
この番組は石坂浩二氏と浅丘ルリ子さんが夫婦役で主演していたホームド
ラマで、当時はなかなかの人気番組だったらしい。
そしてエメロン・シャンプーのCMに出演中だった我らがヒロイン・緑川ルリ
子=森川千恵子さんが初めてドラマにご出演なさったのも本作であり、笵 文雀さんの妹役でのレギュラー出演だった。
そうするとつまり、1971年2月の段階でルリ子さんは3本のお仕事を掛け
持ちなさっていた事になる。
『エメロンシャンプー』『2丁目3番地』そして『仮面ライダー』である。
『2丁目3番地』の放送は1クールつづき、3月27日の第13話で最終回を
迎えた。エメロンシャンプーのCMも『仮面ライダー』の放送が開始される頃 には6代目のモデル・鳥居恵子にバトンタッチされている。
森川千恵子さんは芸名を真樹千恵子に改めて、『仮面ライダー』において
本格的に女優としてのスタートを切ったのだ。因みに石坂浩二氏と浅丘ルリ 子さんは『2丁目3番地』での共演がきっかけとなり番組終了直後に婚約発 表し、結婚式にはルリ子さんもご出席なさったのだそうだ。
また、笵文雀さんとは後年の『Gメン75』において再び姉妹の役で共演をな
さっている(沖縄三部作、傑作です!)。
『仮面ライダー』の放送が開始されたのは1971年4月3日のことである。
クランク・インは2月7日。1月はといえば、ようやく番組制作の決定が正式 に成された段階だった。そんな1971年1月の週間テレビガイドに既に次の ような記事が掲載されていて驚いた。
(前略)特撮技術ではNHKと並ぶ東映も四月放送で毎日テレビと「仮面ライ
ダー」(仮題)を決めた。全世界征服を狙う悪人が人間を改造し、植物や動 物に化身させてしまう。その悪人たちに改造人間にされそこなった仮面ライ ダーが、超人的な力を発揮して悪と対決するもの。
「登場する人物の構成はこれからですが、猿や蜘蛛に改造された人間が数
多く登場する。単なる怪獣ものでなく、特撮を加味したアクションものにした い」(東映テレビ部・平山プロデューサー)。主演は「行っちゃイャーン!」の CMで人気のある藤岡弘が決まっている。
この文章は1/29号の『ばんぐみレポート』というコーナーで、「再び特撮怪
獣ものブーム?」という見出しを付けて掲載されているものである。1/29 号という事はつまり1月22日発売か?
私の知る限りでは、公の出版としては『仮面ライダー』について言及して最も
早い。ところで、藤岡弘氏がご出演なさっていたらしい「行っちゃイャーン!」 のCMとは何か?
ご存じの方がいらっしゃったなら、ご教示を願いたい。
昭和56年に徳間書店が発行された『タウンムック増刊スーパー・ビジュア
ル4仮面ライダー』のP.90に「仮面ライダー」の制作予定表からとされる撮 影スケジュールの掲載がある。
これは同ページに写真が載せられている平山先生ご使用の第1話の台本
余白に平山先生ご自身によって書き込まれた手書きのメモである。もちろ ん実際の撮影がこのスケジュールの通りに行なわれた訳ではない。
話は逸れるが、この本の出版に際し平山先生から貸し出されたスチール等
貴重な資料の数々が現在に至るまで返却されないままとなっている。
担当者は今からでも遅くはない、誠意を示すべきだろう。
こうした話はいくらでもあって、一昨年だったか、某テレビ局の某深夜番組
に佐々木剛氏がご出演になられる事があった際、このときにも番組制作担 当者から平山先生に佐々木剛氏の一文字隼人のスチールを拝借したいと 申し出があった。
スチールは貸し出され番組で使用されたが、放映後2ヵ月以上たっても返
却されず何の連絡もない。平山先生からご相談を受けた私はすぐさま某テ レビ局に連絡をとりスチールを取り戻したのだった。さらにまだある。
2003年に新潮社から「仮面ライダー」についての書籍が出版された際、真
樹千恵子さんから貸し出された第11話のスチールが現在に至るまで返却 されないでいる。
担当者は紛失したと言うが私は信じていない。
さらに昨年、某出版社が或る仮面ライダー・シリーズのカードの1枚として緑
川ルリ子のカードを肖像権所有者の許可なく発行しようとした事があった。 もちろん下請けの編集プロダクションのフライングだろうが、私は肖像権所 有者のご意向に沿ってこのカードの発行を差し止めた。
他にももっとあくどい事例があるが、ここに書くのは控えよう。
仮面ライダーのファンを気取りながら関係者を欺く、そんな連中にはくれぐ
れもご注意を!
|