考証学 21〜25

21



 『週間テレビガイド』の1971年6月18日号に「第二の笵文雀目指す森川
千恵子」という見出しで1ページの記事が載っている。
ストライプのシャツを着たルリ子さんの笑顔のスチールに目を惹かれるが、
この時点での新番組のタイトルは『スマッシュを決めろ!』だった。
それが正式に『コートにかける青春』となってフジテレビ系列で放送が開始
されたのは同年9月3日、毎週金曜日夜7時からの30分番組だった。
いわゆるスポーツ根性もののヒロインだが、驚くのはこの作品で主役(東城
真琴)を演じるにあたりルリ子さんが自慢の長い黒髪をばっさりと切ってイメ
ージを一新させたこと。東宝テレビ部の黒田プロデューサーの当時のコメン
トによると、原作(志賀公江/マーガレット)のイメージにぴったりの野性さと
プロポーションをもっている点が認められての起用だったという。
物語は、幼いときに別れ別れになった姉妹がテニスコートで再会し、互いに
ライバルとして競い合いながらも最後には仲良くウィンブルトンへの出場を
目指す。姉の槇さおり役を紀比呂子が演じたが、この姉の苗字が「槇」であ
り、ルリ子さんの「真樹」と紛らわしいという事から芸名の変更ができないか
と求められ、本作から再び御本名と同じ森川千恵子・名義でのご出演となっ
ている。つまり、真樹千恵子・名義での作品は『仮面ライダー』が唯一なの
だ。
『コートにかける青春』は人気番組となり、翌1972年8月25日放送の第5
2話まで4クールに渡って放送された。
終盤では再びルリ子さんらしいロングヘアに戻ってくるのだが、最初の頃の
ショートカットのセーラー服姿や白いミニスカートのテニスウェアも素敵だ。
ルリ子さんによると、この頃はサインを求めるファンが自宅付近に集まった
りして随分お困りになったそうである。

最後に、週間テレビガイドの1971年6月18日号には藤岡弘、氏の事故に
ついての3ページに及ぶ記事もあるのだが、これについてはまた改めて書
かせていただく。



22

 ムスタング代表から、週間テレビガイド掲載の藤岡弘、氏の事故について
の記事が気になるとメールが届いていた。
気になると言われたら書く他はない。
本来はまだ先のコブラ男がどうしたとか、そうした話題の後に書くつもりでい
たのだが先に書こう。

あの記事は捏造である。

何も知らずに読めば、あたかも藤岡氏ご本人に取材して書かれたように受
け取れるのだが、藤岡氏に確認したところ当時そのような取材を受けた覚
えはないし掲載されている写真(ベッドで上半身を起こしているパジャマ姿
の藤岡氏が写されている)についても隠し撮りされたものだろう、そう仰って
いた。

「目線がカメラを見ていないでしょう、おそらく病院関係者か、看護婦にでも
依頼して撮らせたのかもしれない」(藤岡弘、氏・談)

問題の記事は週間テレビガイドの1971年6月18日号に掲載されている。
同じ号には、藤岡氏の事故のために不本意ながら『仮面ライダー』を降板せ
ざるを得なかった真樹千恵子さんの新番組の主役決定の記事が掲載され
ている事も皮肉めいているのだが、『インサイド・レポート 事件の主役が明
かすあの時の真相はコウ』という大袈裟な見出しが付けられている記事な
のだ。この記事は無記名で書かれており、おそらく外部のライターによる持
ち込みの記事なのだろう、しかし少なくとも番組関係者の誰かに取材した節
は伺える。そんな記事の論調は藤岡氏を視聴率競争の犠牲者と規定して
制作サイドの姿勢を批判するものだった。

このテレビガイド掲載の記事によると藤岡氏が鶴川街道で事故を起こした
のが4月2日、つづいて東京・新宿の前田外科201号室のベッド脇に置い
たテレビで『仮面ライダー』のオン・エアーを御覧になっている様子が描写さ
れている。

これは明らかに誤りである。

藤岡氏は事故後まず救急車で町田市内の総合病院に搬送されて、そこで
一旦処置を受けている。
しかし諸事情があって、或る方の紹介を受けて千駄ケ谷の前田外科病院
へ転院なさったのだった。
したがって事故が第1話の放送前日の4月2日である訳がない。
しかし、不思議なことに藤岡氏御自身も事故があったのが何月何日か正確
な日付を憶えてはいらっしゃらない。

平山先生も日付は判らないと仰られる、・・・・

1971年3月22、23日、藤岡氏は折田組一行と共に大阪千里・万博跡で
のロケを行い、帰路では琵琶湖に立ち寄って撮影をこなし、東京へ戻って
来ると山田組によるコブラ男の前後編の撮影が待っていた。

おそらく3月末の29日か30日にあの事故が起こったと思われる。

後日、ラッシュによる試写でそのシーンを御覧になったルリ子さんによるとフ
ィルムには藤岡氏の事故の一部始終が記録されていたという。

藤岡さんは撮影でずっと寝不足で、疲れていたのよ。ルリ子さんが、そう仰
っていた。



23



 『仮面ライダー』降板後すぐに新番組の主役の座を掴んだルリ子さんだっ
たが、更にもう一本新番組のレギュラー出演が決定する。
石ノ森章太郎氏の『佐武と市捕物控』を原作として実写ドラマ化した『十手
野郎捕物控』は1971年10月6日からTBS系列で毎週水曜夜8時からの
1時間番組として放送が始まった。
ルリ子さんにとっては初めての時代劇で、なべ・おさみ氏が演じた佐武の恋
人みどり役でご出演になっている(市役は藤岡琢也氏)。
つまりブラウン管では2号ライダーがゾル大佐と死闘を繰り広げていた時期
に、ルリ子さんはテニス部の女子高校生だったり長屋の町娘だったりした訳
である(金曜夜7時放映の『コートにかける青春』の裏番組には『帰ってきた
ウルトラマン』〜『ウルトラマンA』/『変身忍者嵐』があったため、子供の頃
の私は『コートにかける青春』を一度も見たことがなかった)。

平山亨先生は『仮面ライダー』の第40話で藤岡弘、氏が復帰した際、いっし
ょに真樹さんを番組に戻せなかったのを今でも悔やんでいらっしゃる。
「本郷猛を追いかけてヨーロッパに行ったことにしちゃったんだからね、本郷
が帰って来るのならルリ子もいっしょに連れて帰らないと、・・・」(平山亨先
生・談)しかし、本郷猛が連れて帰ったのは別の女の子たちだった(笑)。
私は平山先生から何度も何度もこのお話を伺ってきたが、「平山先生、でも
あれでよかったと思いますよ」と申し上げることにしている。
「もし緑川ルリ子を復帰させることができたとしても最初の頃とは番組の雰
囲気も変わっているし、ライダーガールズの一員になってしまってはヒロイン
としての存在価値も下がってしまいます。
緑川ルリ子はあのまま復帰しなかったからこそ、今でも伝説のヒロインなん
ですよ」もちろん、ルリ子さんの当時の多忙なスケジュールでは『仮面ライダ
ー』へ復帰する余裕などありはしなかった。

それでも復帰したかったとルリ子さんはお話しになる。

平山先生はルリ子のその後を小説にお書きになられた。



24

 最初に訂正をひとつ。 

 『2丁目3番地』でもルリ子さんは真樹千恵子・名義でのご出演でした。
『仮面ライダー』が唯一とした私の記述は誤りです。

掲示板にて、ご指摘くださったCM71さんに感謝します。

CM71さんとは昨年、秋葉原で『仮面ライダー=本郷猛』の出版記念イベン
トがあったときに一度お会いしましたよね。
当日、私は主催者から平山先生のアテンドを申し渡されていましたので、ゆ
っくりとお話もできずに申し訳ありませんでした。
今度またお会いする機会があったらルリ子さんの出演作品について色々と
教えてください。

『コートにかける青春』のDVD化は私も待ち望んでいるのですが、特撮以外
の旧い実写ドラマはよほどの人気作品でないと難しいようですね。
私はルリ子さんのご本の出版についても知人の編集プロダクション社長に
提案しているのですが、残念ながら現在の出版不況下ではなかなか難しい
みたいです(それ以前にルリ子さんご本人に却下されました、笑!)。

それならばとTRCの会報Amigoにルリ子さんの特集記事を掲載したいと考
えている次第です。
尤も、ムスタング代表に了解して頂けたらの話ですが。

そのときはまた、ご協力をよろしくお願いします。




25

 確かこの3月に見たのだが、千葉県館山の名所を案内する番組がテレビ
で放送されていた。
館山といえば制作第4話「怪人さそり男」のロケ地である。講談社・大島カメ
ラマンによって旧サイクロン号と旧1号の有名な特写スチールの一連が撮
影された場所でもあり、一度は訪れてみたいと考えていた場所だった。

そのテレビ番組を見ていて、意外な発見があった。

竹本組による館山ロケは1971年2月28日〜3月1日に行なわれたとされ
ている。1971年2月28日の日付が入った藤岡弘、氏の当時のサイン色
紙が館山にあった事からも、おそらく間違いはないだろう。
調査不足で館山グランドホテルと館山シーサイドホテルのどちらがどちらか
正確ではないのだが、あの欧風のお城のような外観のホテルは撮影から3
8年がだった現在も健在だった。
ホテルの表側に位置するのが海である。
講談社のサイクロン号のスチールの一連はその白浜海岸で撮影されたとこ
れまで書籍等では解説がなされてきたのだが、私はそのテレビ番組を見て
いて驚いた。
サイクロンのスチールが撮影された場所は海側ではなくホテルの裏山であ
ったのだ!ただし、山といっても高い砂丘のような地形であり、現在では(当
時もか?)サンドスキーやサンドボードを楽しむ場所として知られているらし
い。要するに、さそり男との最終決戦はホテルを挟んで海側の白浜海岸と
山側のサンドスキー場の二ヶ所で撮影されていた訳である。
こうした検証こそ百聞は一見に如かずだろうが、テレビを見ながら私は唖然
としたのだった。
さっそく、この事をルリ子さんにお話ししてみたところ、そういえば段ボール
紙をお尻に敷いてすべったりしたと記憶を呼び覚ましてくださった。

サイクロン号のスチールの撮影場所は白浜海岸ではなくホテルの裏山だっ
たのである。




トップへ
トップへ
戻る
戻る