考証学 26〜30
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 これは制作当時の話だが、平山先生が或る新聞社の記者にスチールを
お貸しになられたところ、なかなか戻って来ない。
返却を求めたら既に破棄したと返事をされて、唖然となさった事があったの
だそうである。
「昔はね、今もそうかもしれないけど一度使った写真は二度と使わない。使
わせない、みたいなところがあったんだね」(平山亨先生・談)
それがどんなスチールだったのかは不明だが、1971年4月3日の新聞テ
レビ欄を始めとして、そこに掲載されてある旧1号編の写真には他では見た
ことのないスチールが決して少なくないのだ。
おそらくこのようにして失われてしまったスチールは他にも数多くあったのだ
ろう。『仮面ライダー』では第2クール期以降、出版各社が参加しての合同
撮影会が恒例となり膨大な量のスチールが残される事になるのだが、それ
以前にも貴重な特写が意外と数多く残されている。整理してみる。

(1)小河内ダムでの旧1号の単体スチールの一連。おそらくマスクが完成し
て仮面ライダーの衣裳一式が揃っての初めての特写である。腕組みをして
いる旧1号のスチールは有名だが、撮影者不詳。カラー1枚、モノクロ5枚を
確認。演技者は藤岡弘、氏。

(2)生田スタジオの入り口にあるコンクリートの防護壁前で撮られた旧1号
(本郷猛)と旧サイクロン号の特写。サイクロンは第2NGタイプで少なくとも
カラー7枚を確認。石ノ森章太郎氏によるアイキャッチャーのイラストや小松
崎茂氏による当時のバンダイ製プラモデルのパッケージ・イラストはこのと
きのスチールを参考にして描かれているために、共にサイクロン号が第2N
Gタイプとなっている。

(3)生田スタジオ第2ステージ向かいにある階段で撮影された旧1号と緑
川ルリ子、蜘蛛男の特写。助監督だった故・塚田正煕氏による撮影とされて
いる。少なくともカラー10枚を確認。旧1号は藤岡弘、氏。蜘蛛男は岡田勝
氏が演じている。

(4)講談社・大島カメラマンによる生田スタジオ・回転筒前での特写。旧1号
(本郷猛)、常用サイクロン、蜘蛛男が参加。少なくともカラー24枚を確認。
蜘蛛男は岡田勝氏。

(5)制作第4話撮影時に生田スタジオ内で撮影された旧1号(本郷猛)と旧
サイクロン号、緑川ルリ子、野原ひろみ、蜘蛛男、蝙蝠男、サラセニアンの
特写。少なくともカラー8枚、モノクロ9枚を確認。撮影者不詳。この特写で
のスチールが当時の毎日放送の番宣葉書や雑誌掲載の番宣広告に使用
されている(ただし、さそり男のみ生田スタジオ外で別に撮られたもの)。カ
ウルの改修成ったサイクロン号の初めてのスチールだが、既に制作第3話
本編の撮影(お台場)で使用されカウルには多数の傷がある。一方、ライダ
ーの衣裳はビニールレザーで新調されており、ブーツやグローブにも塗装
の剥がれさえ見られない。単体スチールの怪人アクターは本編での演技者
と同じ(蝙蝠男とサラセニアンがそうなのだから、おそらく蜘蛛男も岡田氏だ
ろう)。

(6)制作第4話撮影時に生田スタジオ裏の草原で撮影された旧1号(本郷
猛)、緑川ルリ子、野原ひろみ、さそり男による特写。少なくともモノクロ6枚
を確認。これらの一連は毎日放送のスチールとされているのだが、撮影者
が誰なのかは不明。しかし、(3)の特写と共通する演出や絵づくりから推定
すると、故・塚田正煕氏によって撮影されたものではなかろうか?藤岡弘、
真樹千恵子、島田陽子の皆さんがスタッフルームで取材を受けているモノ
クロ・スチールと同日の撮影だと思われる。
 
(7)制作第4話「怪人さそり男」の館山ロケの際に講談社・大島カメラマンに
よって撮影された旧1号と旧サイクロン号の特写。少なくともカラー12枚を
確認。仮面ライダーを演じているのは岡田勝氏ではなく藤岡弘、氏。撮影場
所は白浜海岸ではなくサンドスキー場のある山側。同日、さそり男の単体ス
チールも撮影された。

(8)制作第4話の館山ロケの際、講談社・大島カメラマンによって白浜海岸
の岩場で撮影された旧1号の単体スチール。少なくともカラー5枚を確認。
演技者は藤岡弘、氏。

以下、考証学27につづく。


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考証学 26 よりつづく。



(9)制作第5話撮影時における、おばけマンションでの蜂女の単体スチー
ルの一連。撮影は講談社・大島カメラマンによる。少なくともカラー7枚を確
認。

(10)制作第5話撮影時における、おばけマンションでの旧1号、緑川ルリ
子、蝙蝠男の一連。撮影は講談社・大島カメラマンによる。少なくともカラー
10枚を確認。おそらく第2話の撮影では仮面ライダーと蝙蝠男の対決シー
ンか夜間にしか行なわれなかったために、昼間の対決シーンを特写で押さ
えたものだろう。

(11)制作第5話撮影時における三栄土木での蜂女の単体スチール。撮影
は講談社・大島カメラマンによる。少なくともカラー5枚を確認。同時に赤戦
闘員の単体カラー3枚も確認。
(12)制作第6話撮影時における、おばけマンションでのかまきり男の単体
スチールの一連。撮影者は講談社・大島カメラマン。少なくともカラー4枚を
確認。

(13)制作第6話撮影時における生田スタジオ第1ステージ裏での本郷猛
とかまきり男の対決シーンの特写。撮影者は講談社・大島カメラマン。少な
くともカラー5枚を確認。同時に本郷猛の単体スチールも撮影された。

(14)制作第6話撮影時における旧1号対サラセニアンの特写。撮影者は
講談社・大島カメラマン。撮影場所はおばけマンション近くにあった空き地
の草むら。(10)同様に制作第3話ではライダーとサラセニアンとの対決が
夜間撮影であったために昼間のシーンを特写で押さえたと思われる。サラ
セニアンの単体を含め少なくともカラー7枚を確認。

(15)制作第6話撮影時における生田スタジオ近くでのかまきり男の単体ス
チールの一連。撮影は講談社・大島カメラマン。少なくともカラー6枚を確
認。
(16)制作第6話撮影時に生田スタジオ第1ステージの外壁を背景として撮
影された蜘蛛男、蝙蝠男、さそり男、サラセニアンの単体スチールの特写。
撮影者は講談社・大島カメラマン。カラー20枚以上を確認。

(17)制作第7話撮影時における死神カメレオンの単体スチール。(16)の
つづきであり生田スタジオの第1ステージ裏の外壁を背景としている。撮影
者は講談社・大島カメラマン。少なくともカラー4枚を確認。

(18)1971年3月22日に大阪毎日放送の千里放送センター駐車場で行
なわれた毎日放送番宣用スチールのための特写。本郷猛、緑川ルリ子、旧
サイクロン号、蜘蛛男、蝙蝠男、サラセニアン、カメレオン男が参加。撮影者
不詳。少なくともモノクロ8枚を確認。変身前の本郷猛がフルカウルの旧サ
イクロン号に跨がっているスチールはこの特写の4枚が唯一。もちろん本編
でもそのようなシーンはない。怪人のアクターはすべて本編での演技者とは
別人でありプロポーションの違和感が著しい。

(19)1971年3月23日に万博跡地で撮影された旧1号対死神カメレオン
の特写。撮影者は講談社・大島カメラマン。少なくともカラー12枚を確認。
同時にライダーの単体スチール3枚もある。

(20)制作第9話撮影時における生田スタジオ・ショッカーアジトでのコブラ
男の単体スチール。撮影者不詳。少なくともカラー4枚を確認。

(21)制作第9話撮影時における横須賀での特写。猿島ロケの際に埠頭や
船上で撮影されたもので少なくともカラー2枚、モノクロ2枚を確認。撮影者
不詳。

(22)制作第9話撮影時における猿島での旧1号対コブラ男、コブラ男単体
の特写。撮影は講談社・大島カメラマン。この時のライダーを演じたのは岡
田勝氏、コブラ男は故・甘利健二氏。少なくともカラー13枚を確認。

(23)正確な撮影時期は不明だが、第13話あるいは第2クールのエンディ
ングの撮影の頃に撮られたと推測されるヤモゲラスとトカゲロンの単体スチ
ール。トカゲロンはもちろん舌あり。撮影者不明。少なくともカラー3枚を確
認。

以上の他にも本編スチール、スチールカメラマン以外の関係者によるスチ
ール、撮影現場のスナップ、エキスプロによるメイキング等多数がある。



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 1971年の『仮面ライダー』放映当時、私は9歳で小学3年生だった。
子供の頭に番宣や出版のための特写などといった概念はなく、本編で見た
ことのない名シーンの数々に首を傾げていたものである。
特写ならではの仮面ライダー対怪人の組み合わせや怪人軍団の登場はな
るほど興味深い。
しかし、そもそもスチール本来の存在意義は16mmの本編では表現仕切
れなかった部分を35mm或いはブローニーで補完する事にあった筈であ
る。それは資料であり宣材であり児童向けの商品であったのかもしれない
が、中には本編から自立して現在の私たちファンの鑑賞にも十二分に耐え
得る作品が残されている。
そうしたスチールの数々が例えば写真集のような形態を取ってでもまとめら
れたなら嬉しいが、残念ながら諸般の事情によりその可能性は低そうだ。

平山先生によると、当時『仮面ライダー』の台本は百冊以上も刷られ、講談
社を始めとする出版各社にも配布されていたそうである。
カメラマン諸氏はそうした台本を事前にチェックして、絵になる写真が撮れそ
うなロケ先へと優先的に同行取材したのだろう。
比較すると生田スタジオ内のセットにおける本編スチールは少ない。
こうした『仮面ライダー』のスチールの全貌は不明だが、講談社、朝日ソノラ
マに関してはある程度の把握ができている。
毎日放送、黒崎出版、グループナイン、週間テレビガイド、秋田書店、カル
ビー製菓、・・・・未知なるスチールへの興味は尽きない。



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 ついでにという訳でもないが、第2クールの旧2号編の特写についても整
理しておきたい。 
その前に注意すべきは、第2クール期の制作順が放映順とかなり異なって
いる点である。
つまり、制作順ではサボテグロン→キノコモルグ→ピラザウルス→ドクガン
ダー→ヒトデンジャー→カニバブラー、→ムササビードル→アマゾニア→ガ
マギラー。
これが本来の『仮面ライダー』の第2クールであり、この順序で見る方が出
演者の演技を含めて自然である。
この時期の現存するスチールは講談社が参加していない事もあって数少な
い。

特写としてはまず
(1)サボテグロンの前後編撮影後、キノコモルグのアジト設営中の生田ス
タジオ第1ステージにおけるショッカーアジトのセット内で行なわれた朝日ソ
ノラマとグループナインによる撮影会での特写。
参加したのは旧2号、蜘蛛男、蝙蝠男、サラセニアン、死神カメレオン、コブ
ラ男、ゲバコンドル、サボテグロン、キノコモルグ戦闘員。
また、同日スタジオの外で旧2号、蝙蝠男、改造サイクロンの撮影も行なわ
れている。
朝日ソノラマのスチールを担当したのは『仮面ライダー響鬼』の揮毫でも知
られる飯塚康行カメラマン。カラー38枚以上を確認している。

(2)制作第19話「リングの死闘倒せ!ピラザウルス」撮影時に生田スタジ
オ外で行なわれた旧2号、一文字隼人、キノコモルグ、ピラザウルスによる
特写。少なくともカラー・モノクロ8枚を確認している。
撮影者は不明だが、毎日放送の2号編の番組販売用パンフレットにこの一
連のスチールが使用されている。

(3)制作第21話の大阪ロケの際、大阪城で撮影された毎日放送の番宣ス
チール。2号ライダー(佐々木剛氏)対ドクガンダー成虫(岡田勝氏)、ドクガ
ンダー成虫の単体、マスクを外した2号ライダー=一文字隼人等、少なくと
も8枚を確認。
ところで、これとは別に大阪城ではマスクを外した2号ライダー=一文字隼
人のスチールが残されているのだが、変身ベルトが特写の時とは別であり
(風車の透明カバーがないタイプ)、佐々木氏は大阪城ロケでも本編の撮影
において仮面ライダーを演じていらっしゃった可能性がある。

(4)制作第22話撮影時の2号対ヒトデンジャーの特写。少なくともモノクロ
3枚を確認。撮影者不詳。

(5)制作第23、24話の北海道ロケにおける特写。カニバブラーとムササ
ビードルの単体スチール他、12枚を確認。撮影者不詳。

(6)制作第26話撮影時における2号対ガマギラーの特写。少なくともモノク
ロ3枚を確認。



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 『仮面ライダー』の第2クール期、講談社は同作品のスチール撮影を行な
っていなかった(正確には制作第10話〜第26話、さらに制作第30、41、
42話についても講談社によるスチール撮影は行なわれていない)。
大島康嗣カメラマンが再び『仮面ライダー』に復帰するのは制作第27話で
あり、地獄サンダーにライダーキックを決める2号の連続写真等が収められ
ている。
その後、制作第28話撮影時に欠番となっていた怪人達がまとめて撮影さ
れ、ヤモゲラス〜ガマギラーの単体スチールが揃うこととなった。
その中には当然キノコモルグも含まれており、右手に短剣を持った様々な
ポーズのバリエーションが記録されている。
しかし、これらとは別にキノコモルグの単体カラースチールの一連がある事
をご存じだろうか?
どちらも生田スタジオの外壁を背にして撮られており非常によく似た雰囲気
のため、うっかりすると講談社のスチールだと見間違ってしまうのだが、衣
裳の傷み具合や演技者のプロポーションが明らかに違う。結論を言えば後
者は本編撮影時のスチールで演技者も本編と同じ瀬島達佳氏、衣裳の色
もオリジナルのままで美しい。
これが本来のキノコモルグである(ただ、残念ながらスチールの撮影者が誰
なのか判らない)。
しかし、一般には講談社の特写や三栄土木での合同撮影会のスチールの
方が露出が多いため、本編撮影時とは相当に印象の異なるキノコモルグ
が定番となってしまっているのは気の毒だ。

キノコモルグはほんとうは美しく格好良い怪人なのである。




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