考証学31〜35

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 仮面ライダーのアイデンティティーのひとつ、サイクロン号について検証を
試みたい。

フルカウルの旧サイクロン号について。

仮面ライダー旧1号が旧1号と呼ばれるようになったのは新1号の登場以
降であり、当初はただ仮面ライダー、もしくは仮面ライダー第1号と呼ばれ
た。サイクロン号も同様であり、旧サイクロン号が旧サイクロンと呼称される
ようになったのは新サイクロン号の登場以後である。その旧サイクロン号が
スズキT20をベース車としている事実は今でこそ当然のように語られるが、
しかし、つい十数年前まではそうではなかった。
関連書籍でホンダ製ではないかと書かれたり、ベース車がなかなか特定さ
れないでいる時期もあったのである。また、以前は旧サイクロン号は2台あ
ったという説が有力に語られていた。
例えば、
「いわゆる旧サイクロンが当初から2台製作されていた事実を、ここでもう一
度整理・確認しておきたい。その明確な相違点は、ライト部分の突起がカウ
ル本体と一体成形になっているか、否かである」(エンターテイメントバイブ
ル・シリーズ44仮面ライダー大図鑑5/発行・バンダイ)
なるほどそうかと、以前は私も旧サイクロン号は2台あったのだと納得をさ
せられた。それら2台のサイクロン号はAタイプ/Bタイプと区別され、風防
の形状等の細部の違いについても指摘されていたのである。
しかし、結論を先に述べるならば、旧サイクロン号は番組制作開始当初もそ
の後も1台きりしか存在をしていない。
証人は当時、室町レーシンググループのメンバーとして『仮面ライダー』に
参加し、第1話〜第52話(オープニングと初期の数シーンは、室町健三氏
による)で仮面ライダーの衣裳を着てサイクロンのスタントをなさっていた大
橋道然(春雄)氏。
旧サイクロン号に関しては誰よりもよくご存じの方である。

その大橋氏がこう仰っていた。

「フルカウルのサイクロンは1台しかなかった。おれの知らないサイクロンが
あったなら話は別だけどな。第一、金もなかったし2台もつくってる余裕なん
かなかったよ(笑)」

ところで紛らわしいのは最近の出版においてサイクロン号は1台とする書籍
でも、Aタイプ/Bタイプなる分類を採用している点である。
「ちなみに、サイクロン号(変形後)のベース車はあくまでも1台で、Aタイプ、
Bタイプと言われているのはカウリング部のみのことだった。」
(テレビマガジン特別編集スペシャル 講談社ヒットブックス 仮面ライダー E
PISODE No.1〜No.13)

さらに紛らわしい(?)のはNGタイプの存在であり、第1NGタイプ/第2NG
タイプの分類が組み合わさるとその解説には執筆者も苦心なさっているよう
だ。要するに、ただ1台しか造られなかった旧サイクロン号はカウル・フロン
トのスリット下部が走行中にタイヤと接触して破損したために切除され、そ
れでもターンする際に干渉するのでカウル全体の下側を切り取ってしまった
という訳である。

・・・しかし、それでもまだ私には疑問が残る。

「その明確な相違点は、ライト部分の突起がカウル本体と一体成形になっ
ているか、否かである」

・・・・ライト部分の突起がカウル本体と一体成形になっているか、否か・・・・



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 「ライト部分の突起がカウル本体と一体成形になって」いない旧サイクロン
号は故・折田至監督による変身シーンのバンク・フィルム(オープニングでも
使用)と、お台場の埋立地で撮影されたサイクロン号の走行シーン(オープ
ニングの冒頭と第1話で使用)で確認する事ができる。
この、カウルのフロント部分に口が開いたように見えるスリットが存在した状
態での旧サイクロン号は俗に第1NGタイプと呼称されてきた。

俗に、というのは番組の制作スタッフがそう呼んでいたからではなく、仮面ラ
イダー関連書籍のライター諸氏によって便宜上そう命名されていたからであ
る。さらにスリット下部のみを切り取った状態のときが第2NGタイプと呼ば
れた。第2NGタイプの旧サイクロン号は生田スタジオの入口のコンクリート
の防護壁前で撮影された一連の特写スチールに記録されているだけで本
編での使用はない。

そしてこの特写の後、旧サイクロン号にはカウルの下部全体を切除すると
いう改修作業が行なわれ、そのため第2話には旧サイクロン号が登場する
ことがなかった。

ところで、第1話の小河内ダムでのロケの際に第1NGタイプの旧サイクロン
号の三面スチールが撮影されている事はよく知られている。
書籍ではトリミングされて使用される場合が多いが、オリジナルのフレーム
ではサイド・ヴューを記録したスチールの左端に陸送して来たトラックのテー
ル部分が映り込んでいる。
この小河内ダムの駐車場で撮影された第1NGタイプの旧サイクロン号のカ
ウルを見ると「ライト部分の突起がカウル本体と一体成形になって」いる、の
だ!おそらくこれがかつての旧サイクロン号2台説の根拠である。

反証をしなくてはならない。



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 旧サイクロン号はエキスプロの三上陸男氏によってデザインされ、スズキ
T20をベース車として佐々木明氏が製作したものである。

そのカウルはFRP(Fiber Reinforced Plastic)で成形されているのだが、
そもそも問題の「ライト部分の突起」が「カウル本体と一体成形」されたカウ
ルなど有りはしなかった。
「ライト部分の突起」とはダミーではあるが二つ有るヘッドライトを組み込む
ためにカウル成形後、水道管のような円柱形の別パーツを挿し込んで組み
合わせた部分であり、おそらくこうした形状を「一体成形」するよりはその方
が作業が容易であったがための処置であろう。

「一体成形」のように見えるタイプはそのときの隙間をパテ等で補修したも
のであり、つまり両者は同一の旧サイクロン号であったのだ。
さらに2号編も含め、後の撮影で再び「ライト部分の突起がカウル本体と一
体成形になって」いないタイプの旧サイクロン号が登場するのは、激しいア
クションで補修に用いられていたパテが毀損され剥がれ落ちてしまったから
である。

要するに、変身シーンのバンク・フィルムやお台場での撮影が行なわれた
後「ライト部分の突起」と「カウル本体」の隙間は「一体成形」であるかのよう
にパテで補修され、小河内ダムへと運ばれた。

そう考えると辻褄が合う・・・・否、それだけではまだ辻褄が合わないのであ
る。



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 1971年2月上旬、第1話の撮影が行なわれていた時期の制作スケジュ
ールの検証はこれまでにも関連書籍等で行なわれているのだが、私にはど
うも納得がいかなかった。
最新の出版では『仮面ライダー=本郷猛』(藤岡弘、著/堤哲哉&BAD T
ASTE編/扶桑社刊)に堤哲哉氏による、『仮面ライダー』第1話の撮影日
程についての考察、と題された文章が掲載されているのだが、読者は果た
してこれをどのように読んだのか?
私はこの書籍の出版に際し堤氏から協力を求められ、藤岡弘、氏と真樹千
恵子さんの対談やそれ以外の部分でも協力をさせて頂いた。
しかし、この件に関しては、堤氏と見解が相違する部分が少なくなかったの
である。
折田監督による変身シーンのバンク・フィルムの撮影が15日で小河内ダム
のロケよりも後ならば、単純に「ライト部分の突起がカウル本体と一体成形
になっているか、否か」の問題について矛盾が生じてくる。
せっかくパテで隙間を綺麗に補修して塗装したものを意味もなくわざわざ剥
がし取ったりする筈はないのである。
さらにもうひとつ、コンクリートの防護壁前で撮影された第2NGタイプの特
写を15日の朝とし、変身シーンのバンク・フィルムの撮影よりも前とする説
明は立花レーシングクラブのエンブレムの汚れ具合の変遷をまったく考慮
していない。
もう一点、変身シーンのバンク・フィルムの撮影に使用されている旧サイク
ロン号は本当にスリット下部が破損して修理した後のものなのか?
スリット下部の処理は、もともとあのようなものであったとは考えられない
か?「小河内ダムで撮影されたスナップにはキレイな状態で写っている」と
も述べられているが、そもそも小河内ダムでのスチールには旧サイクロン号
を仰角で捉えたものはなく、スリット下部が「キレイな状態」であったかどうか
など判らない。
ついでに言えば、講談社の回転筒前での特写において「仮面ライダーの衣
裳の膝の部分には、同じ布地が帯状に当てられて」いるようには私には見
えないし(布地を帯状に当てたかのように皺が寄っている、とならば見え
る)、続いて「この損傷はライダーとルリ子、蜘蛛男による有名な階段でのス
チール写真では確認できず、Bマスク用の衣裳が使われているようだ」とも
あるが、階段の特写の衣裳も回転筒と同じ鹿皮革のものである。
第一、この時点でライダーの衣裳は鹿皮革のものが唯一であった筈であ
り、ビニール・レザーの衣裳(Bマスク用の衣裳とはこのことだろうが、ビニー
ル・レザーが必ずしもBタイプ用だった訳ではない)が使用されるのは制作
第4話以降である。
最後に、エキス・プロにあったスケジュール表に関しても、実際にスケジュー
ル表に記載されている日程通りに作業を終えることができたのかどうか、確
証はないのである。



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 旧サイクロン号について検証の途中だが、少し話題から外れたい。

昨年だったが、私は或る知人のライターから依頼されて毎日放送が権利を
有する(と推定される)『仮面ライダー』のスチールのリストの作成に協力をし
た事がある。
所謂、MBSの番宣スチールであるが、残念ながらそのネガの大半は失わ
れてしまい、現在では紙焼きもごく一部しか残されてはいないのだ。私がま
ず驚かされたのは、当のMBSサイド自身で該当するスチールについて充
分に把握がなされていなかったという事態であり、しかし、考えてみれば番
組放送当時から37年の歳月が経過して担当者も何人も交代されただろう
し、終了した番組のスチールについての引継ぎなど行なわれていなくて当
然なのだろう。
例えば、制作第4話撮影時の生田スタジオでの特写スチール。改修成った
旧サイクロン号に仮面ライダー=本郷猛が跨がって、緑川ルリ子や野原ひ
ろみと共演するスチールの一連は『仮面ライダー』初期のMBS番宣スチー
ルの代表的なものである(番宣ハガキのメイン・スチールとして使用されて
いるではないか!)。
ところが、この一連の中の一枚(マスクを外した本郷猛単独のカット)が講談
社の『創刊15周年記念 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー大全集』の
カバー表紙に堂々と使用されているために、逆に講談社のスチールではな
いのか?との誤認があったりもしたようだ。

私は過去の仮面ライダー関連書籍等を調べ上げて確か200枚以上をリス
トアップしたと思ったが、さすがに新1号編となると御手上げだった(笑)。

おそらく現存する『仮面ライダー』のMBS番宣スチールの紙焼きは、これま
でに出版された仮面ライダー関連書籍の編集に携わってきた関係者の手
元や、一部のコレクターの元に散逸して在るのだろう。

それらがまとまって整理され、何らかの形で公開される事を願って止まな
い。

追伸 CM71様 掲示板への書き込み、ありがとうございます。
    こんなのでご質問の答えになっているでしょうか。



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