考証学36〜40

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 旧サイクロン号のカウル部分の変遷と第1話の制作行程を時系列に沿っ
て矛盾なく説明することはできないか?
これは思ったより難解なジグソーパズルだが、謎を解く鍵はやはり変身シー
ンのバンク・フィルムにありそうだ。

藤岡弘、氏は折田監督によるこのシーンの撮影が夜間に行なわれたと記
憶していらっしゃったのだが、おそらく一度にすべてのカットを撮り切ったの
ではなかったと思われる。
例えば、本郷猛がレバースイッチを操作するカットの撮影は講談社の大島
カメラマンによってスチールにも収められており(レバースイッチを操作する
カットで使用されたのはフロントの車輪もエンジンもないホンダ製のオートバ
イのスクラップである)、おそらくその部分の撮影日は回転筒前で特写が行
なわれたのと同日かと思われる(ただし、講談社のスチールでは本郷猛は
黒い皮革の手袋をつけている。

完成フィルムでは素手で操作しており、撮り直しがあったのかもしれない)。
また、クラッシャー上部の左側に大きく凹んだキズが目立つが、このキズは
二ケ領上河原堰での撮影時についたのではなく、小河内ダムでの撮影で
破損したと考える方が自然だろう。
何故ならアップになったマスク(蜘蛛男にキックを決めた直後)の背後に映
っている金属製の手摺りの形状は二ケ領上河原堰のものとは異なっている
し、何より二ケ領上河原堰での追加撮影ではラテックス製のマスクしか使
用されていなかったからだ。
つまり、変身シーンのバンク・フィルムの中で少なくとも仮面ライダーのマス
クを着けた変身後の部分の撮影は小河内ダムでのロケの当日、生田スタ
ジオへ戻ってからの夜の撮影と考えて矛盾はない(しかし、このカットでは
サイクロン号のフロント部分はフレームの外にあって、残念ながらライト部
分やスリット下部のカウルの状態を確認することはできないのだ)。

そこで変身シーンのバンク・フィルムを再度見返してみると、カウルのフロン
トが確認できるのはその部分のみアップで映るカットが唯一だと解るだろ
う。このときフロントのタイヤはゆっくりと廻っているが、おそらくシートには誰
も乗っていない。
花火を使ったマフラーのアップのカットはスタジオではなく、お台場でのオー
プニングの走行シーンと一緒に撮影されたものだろうし、何を言いたいかと
いうと、つまりカウル・フロントのアップのカットはサイクロンが完成直後(ま
だライト部分が未完成と言うべきか?)に他のカットより先行して撮られてい
たのではあるまいか?
その後、お台場でオープニングの走行シーンを撮影中にスリットの下部が
破損した。
しかし破損したと言ってもスチールで確認する限り、左端が離れて持ち上が
った状態となっているだけである。これは一旦修復され、原状に戻されて小
河内ダムへと運ばれた。
しかしダムでもお台場と同様のトラブルが起こったために撮影には使用され
ず、そのまま生田へと戻された。
そしてまた変身シーンのバンク・フイルムの撮影。生田スタジオでサイクロン
号の置場となっていたのはスタジオの中ではなく屋外である。

階段や防護壁の特写には残雪が見られるが、この雪に濡れて立花レーシ
ングクラブのエンブレムを描いた絵の具が溶けて流れた。
その状態で撮影されたのが第2NGタイプの特写である。このように推理し
てみるとすべての要素を含みながら旧サイクロン号の変遷と第1話の制作
行程を矛盾なく説明できるかと思うのだが、果たして事実がこの通りであっ
たかは私には判らない。



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 私はこの『考証学』なる文章を食後にコーヒーを飲みながらとか、夜(とい
うよりは明け方)眠る前などにケータイのメールとして書き、本部へ送信して
いる。 それをムスタング代表が微妙にいじって、問題なければ立花レーシ
ングクラブのホームページにUPしてくださるのだ。
そういう訳で、私はほとんど読者を想定する事なく自分の関心によってのみ
書いている。だからCM71さんのように掲示板に何か書いてくださる方がい
らっしゃると共犯者と出会ったような気がするし、ありがたいと思う。
38年前ならば、近所の友人や学校のクラスメイトなど仮面ライダーについ
て語り合う相手はいくらでもいた。
この歳になって尚、仮面ライダーについて話す話題が当時と同じという訳に
は行かないが、ビデオを見ながら不意にあの頃の雰囲気を思い出したりす
る事はある。
今日でも日曜日の朝には仮面ライダーの名を冠した番組が放送されてい
て、私もまったく見ない訳ではないのだが、見ると「違う」と思ってしまう。
だからほとんど見ることはないが、私は仮面ライダーは好きなのだ。

平山亨先生は『仮面ライダー』の放送が始まる前の或る日、番組が成功す
るかどうか不安になって旧1号のマスクを御自宅へお持ち帰りになったのだ
という。
「あのねぇ、前にも話したかなぁ、最初の仮面ライダーのマスクが出来上が
ってきて、それを藤岡くんじゃなかったなぁ、剣友会の誰かに着てもらって
ね、生田の公園、ほら、あの裏の方に空き地みたいにあったじゃない、そこ
へ仮面ライダーの衣裳を着て、子供がどんな反応をするかってね、行っても
らったのね。そしたらそこにおばあちゃんといっしょにいた幼い子供が、こわ
いって泣きだしてしまってね、いやぁ、あの時はさすがにぼくもね、主人公を
見て子供が怖がって泣きだしてしまった訳だから、こんどばかりは、この番
組は駄目かもしれないって不安になって、それで仮面ライダーのマスクを借
りて家に持って帰ってね、枕元にこう置いて、一晩ずーっと寝ないで、上か
ら見たり下から見たりしながら考えたよ」
(平山亨先生インタヴュー/立花レーシングクラブ会報Amigo12号収録)

制作側のそんな作品への熱心な思い入れは、あの頃の子供たちには充分
に伝わっていた。

『仮面ライダー』とは何より子供番組だったのである。



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 CM71さんからのご質問を頂いて、話題は再び旧サイクロン号である。

講談社のオフィシャル・ファイル・マガジン・仮面ライダーの6巻に興味深い
記事が載っている。
P.28「発砲スチロールで大まかな型を作って、中に金属のフレームを溶接
して・・・・ガワ(外装)はFRP製ですね」これは旧サイクロン号のカウルの造
り方について三上陸男氏が語っていらっしゃる箇所である。
私としては「・・・・」の部分こそ伺ってみたいのだが、発砲スチロールでFRP
用の抜き型を造るとは考えられないので、これは原型のことである。
原型の芯。
金属のフレームで補強するのは彫塑した水(油?)粘土が自重で下がるの
を防ぐため。
そうして石膏型を取り、左右二分割ではなく一体成形で旧サイクロン号のフ
ルカウルは造られたと思われる。ただ、これは完成されたカウルを見ても解
る通り、ずいぶんとラフな原型であったのが一目瞭然でライト部分に水道管
を挿し込んだような形状をカウルと一体として成形することも成されていな
いし、フロント正面にある口が開いているようなスリットの構造に関しても同
様であったろうと思われる。
つまり、旧サイクロン号のスリット下部は別パーツだったのではあるまい
か?。だからこそ、お台場での撮影の際、タイヤが当たった程度の事で破
損した訳である。
スリット下部が仮に一体成形だったとしたらダメージを受けていたのはタイ
ヤの方であったかもしれない。

要するに、変身シーンのバンク・フィルムで確認することができるスリット下
部の状態は、私の考えでは新品のままであり破損を修繕した後のものでは
ない。テープを貼ったように見えるのはバックアップの為に使用された布状
のグラスファイバーの一片だろう(毛羽立っているように見えるのはグラスフ
ァイバーの繊維である)。
さらに同じ書籍の同じページには高橋章氏のコメントもあって、
「最初、別件でエキスに行ったとき、チャチャッと描いたのが立花レーシング
クラブのマーク。で、クランクインの2日前だったかな?サイクロン号が出来
上がってきた時に、なんとなくライトの間が淋しかったんだよね。それでその
マークを紙に描いて貼ったんだよ。本当にその場しのぎで(笑)」
チャチャッと描いたというのはご謙遜だろうが、実際にTRCのエンブレムは
水性絵の具で紙に描かれてカウルに貼り付けられており、だからこそ雪に
濡れた程度の事で色落ちした訳である。

結論としてもう一度述べるが、変身シーンのバンク・フィルムに1カット使用
されているカウル・フロントのアップのカット、この時のカウルはまさに新品
の状態のものでありスリット下部は破損も修復も受けていない。
スリット下部は最初からあのような状態で仕上げられていたのである。

PS.もちろん、以上は私の個人的な推論でしかない。佐々木明氏に是非と
も真実をお聞かせ願いたいものである。



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 この数年、『仮面ライダー』関係者の方々にはずいぶんと取材をさせて頂
き、お陰さまで知りたかった事の大半を知る事ができたような気がする。
とりわけ平山亨先生と藤岡弘、氏、真樹千恵子さんには長時間お話を聞か
せて頂き、いくら感謝をしてもし尽くせない。
私は個人的に旧1号編の仮面ライダーに格別の思い入れがあるから、そう
でないファンにとっては興味の持てない文章ばかりを書いているかもしれな
い、・・・お許し頂きたい。

『仮面ライダー』のスチールは何万点とあるのだろうが、私が最も好きな1枚
は1971年3月22日に毎日放送千里放送センターの駐車場で撮影された
MBSのモノクロ番宣スチールである。旧サイクロン号に跨がっている本郷
猛はそのマシーンに緑川ルリ子を乗せて、真っすぐにカメラの方を見てい
る。美男と美女がお似合いであり、どうしてこんなにカッコイイのかと、いくら
見ていても見飽きない。もちろん私はこのスチールに関しても、お二人にお
話を伺ってある。

藤岡弘、氏が最初に仰ったのは、「ぼくはこの靴は忘れられないんですよ。
このブーツのような靴はね」というご発言だった。
靴については、それ以上語られなかったが、私には直ぐにピンと来た。
つまり、あの鶴川の事故のときにも履いていらっしゃった靴である。

善くも悪くも忘れ難い、藤岡氏にとって仮面ライダーの思い出の象徴のよう
な靴なのだろう。
真樹千恵子さんは「この時はミニスカートだったし、風が強くて乗るのがたい
へんでした」と、撮影当時の状況を思い出してくださった。確かにルリ子さん
の髪は風に吹かれているし、藤岡氏の髪の毛までもが風に逆立っている。

「このときは、ぼくが彼女を抱いて支えているんですよ」藤岡氏がさらにそう
仰った。
平山亨先生は、「これは毎日放送の、あそこの駐車場かぁ」とお気づきにな
られて、「大阪では藤岡くんがサイクロンの後ろに真樹さんを乗せて走った
んだったなぁ、・・・・」 と懐かしそうに仰られる。

そんなお話を伺って、私はますますこのスチールが好きになった。私には正
に『仮面ライダー』を象徴する一枚である。



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仮面ライダー関連書籍の編集者やライターと話しているとき、以前から決ま
って話題となる事柄がいくつもあった。

例えば、
旧1号のマスクはいったい何個あったのか?
あの色は何色なのか?クランクインはダムだったのか生田だったのか?
クランクイン前後の制作日程は?
旧1号が初めて登場するあの山は何処なのか?
旧サイクロン号は1台だったのか2台だったのか?
トカゲロン戦闘員のマークは本当にわからないのか?
毎日放送の番宣スチールの撮影者は誰なのか?
毎日放送の番宣スチールの管理は現在どうなっているのか?
腕組み旧1号のスチールの撮影場所は、撮影者は?
上原さんと市川さんが参画していた時期は具体的に何月か?
本郷猛のキャスティングが近藤正臣だった時点で島田陽子とスチール撮り
が行なわれているのはどういう意味なのか?
藤岡さんの鶴川の事故は本当は何日だったのか?
制作第2話に1カットだけBタイプのマスクが使用されているのは何故
か?・・・etc.
 
本当はこれら以外のオフレコ話の方が多いのだが、居酒屋で酒を飲みなか
ら仮面ライダーがどうのこうのと大きな声で話していると、隣の席の女性客
から怪訝な顔をされるのは仕方がない(笑)。

そんなことより、一般のファンの皆さんは公に出版されている本の記述を事
実として読まれるだろうし当然そうでなくてはならないのたが、現実にはそう
ではない場合が少なくはないから困るのだ。

事実誤認や単純ミスならまだしも、意図的に取材内容を歪曲しようとするタ
チの悪いライターもいる。

ご注意を!




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