考証学51〜55

51



『仮面ライダー』の記念すべきクランクインを記録した改造手術シーンのスチ
ールは、私の知るかぎり8枚がある。
カラーが3枚とモノクロが5枚。
壁に描かれた白と黒の同心円は或る世代にはタイムトンネルに見えるかも
しれないが、これは高橋章氏によるものではなく三上氏の作であり、平山亨
プロデューサーは当時この意匠をたいへんに気に入って感心なさったそう
である(高橋氏が『仮面ライダー』に正式に参加されたのは制作第3話以
降、よって蜘蛛男と蝙蝠男には高橋氏によるデザイン画が存在しない)。
これら一連のスチールの撮影者は誰なのか?
当然、この場に居る事のできた人物であり且つフィルムに写されてはいな
い人物。
そして、ある程度カメラの扱いに馴れていた人物。
平山亨プロデューサーによる撮影と明記している書籍があるが、平山先生
御自身が特定のスチールを指定してそうだと仰られた事実は(少なくとも私
が伺ったところでは)ない。
平山先生でなかったとしたら塚田正煕氏だろうか?
残念ながら撮影者を確定するには決め手を欠くいている。
それにしても、これらのスチールが残されているだけでも幸運ではないか。
撮影者はセット内にあるアジトの階段上部に立ち、やや俯瞰気味にカメラを
かまえている。
本番前のカットでは台本を読んでいる藤岡弘、氏の背後にストーブが置い
てあるのが見える。
ショッカー科学者に指示をしている竹本監督は、ルリ子さんが「いつもハン
チング帽をかぶっていた人」と仰っていた通りだ。
これらの一連のスチールの中には、ワン・カットだけ改造手術台を真上から
見下ろして撮ったカラー・スチールが含まれている。
非常に有名な写真だが、これだけ明らかに他とレンズが違う(画角が異な
る)。俯瞰台ではなく、おそらく天井の梁にでも上がって撮影したものだろう
が、本編の16mmのカメラ・ポジションとまったくと言っていいほど同じ位置
ではないか。
撮影者は絞られて来ないだろうか?(本番撮影中、そのような場所にプロデ
ューサーが上がってスチールを撮るだろうか?)



52



 『仮面ライダー』の第1話「怪奇蜘蛛男」のフィルムを撮影場所によって分
類してみたい。

1、富士吉田・青木ヶ原樹海の路上・・・本郷猛のロードレースの練習シーン

2、横浜港赤レンガ倉庫・・・クルマで到着する緑川ルリ子/蜘蛛男による
緑川ルリ子の拉致と、それを追跡する本郷猛

3、小河内ダムとその近辺・・・仮面ライダーの初登場シーン/仮面ライダー
と蜘蛛男、戦闘員との最終決戦/奪還された緑川ルリ子を迎えにきた立花
藤兵衛/本郷猛と緑川博士のバイクでの走行シーン(俯瞰・ロング)

4、東京都世田谷区松原・・・城北大学文学部からの緑川ルリ子の下校シ
ーン

5、川崎市麻生区・生田スタジオ近辺・・・Amigo前/二ケ領上河原堰/ラ
イダーと蜘蛛男との初戦/女戦闘員に拉致される本郷猛/ショッカー基地
から脱出途中に蜘蛛男の攻撃を受ける本郷猛と緑川博士

6、生田スタジオ・・・ショッカー・アジト/Amigo店内/赤レンガ倉庫内/変
身シーン(回転バック)/トランポリン(蜘蛛男へのライダーキック)

7、東京お台場の埋立地・・・蜘蛛男をサイクロン号で追跡する仮面ライダー

これらのうち、スナップ等を含めて本編スチールが残されているのは、赤レ
ンガ倉庫、小河内ダム、生田スタジオ(ショッカー基地と回転バック)、生田
スタジオ近辺(本郷猛と緑川博士の逃走シーンの蜘蛛の巣)、お台場、以上
しかない。
注目するのは当然ながら小河内ダムでのスチールの充実である。
それらが単独のカメラマンによる撮影でないことはスチール自体を見れば
一目瞭然で、中には普通の記念写真のような蜘蛛男のスナップが含まれ
ていたりする。
果たして毎日放送のスチール・カメラマンは来ていたのか?いなかったの
か?私の取材で唯一、番宣のスチール・カメラマンがダムにも来ていたと仰
ったのは大野剣友会の岡田勝氏である。
お名前は確認できなかったのだが割と年配のカメラマンだったそうで、岡田
勝氏監修の『大野剣友会伝』に掲載されている蜘蛛男のスチール(小河内
ダムの駐車場で蜘蛛男のコスチューム姿の岡田氏がマスクを外して手に持
っている)は、その番宣のカメラマンに頼んで撮ってもらったスチールなのだ
そうだ。
さらに岡田氏が御結婚なさったときに式場を紹介してくれたのもそのカメラ
マンだという事で、岡田氏の御証言の信憑性は高いだろうと思われる。
因みに、大阪毎日放送でも当時のスチールカメラマンに関しては、現在、充
分に把握されてはいないらしい。



53



 旧1号の変身シーンには樹木を描いた円柱形の背景があり、それが回転
する事によってバイクの走行を表現している。 
CGが全盛の現在の映像技術と比較すると何と原始的なと思われるかもし
れないが、既に38年も以前の装置であり、逆に低予算の中でよく考えたと
感心をするべきだろう。

この装置は既刊の書籍で「回転塔」あるいは「回転筒」と呼ばれ私もそれを
踏襲してきたが、今後は平山亨先生に倣って「回転バック」と呼ぶことにした
い。その回転バックだが、生田スタジオの第2ステージに設置されていた。
後年には横たわるキングダークが置かれていたりした場所だが、旧1号編
のクランクインに際しては他に何もなかったに違いない(もしかしたら赤レン
ガ倉庫内部のセットがこちらに組まれていたかもしれないが、)。
床は剥き出しの土であり(コンクリートさえ打ってはなかった)、回転バックは
その土の地面に木材で部分的な床を作り、その上に置かれていたのであ
る。
スチールから推定するしかないが、おそらく直径5m以上はあるだろう、高さ
は3mか。
これを回転させる為に内部に電動のモーターが組み込まれていたとは考え
られず、たぶん人力で廻していたのだろう。
即ち、円柱形の骨組みに紙を張り付け、樹木を描いてあったのだ。
製作したのは三上氏らエキスプロのスタッフだろうが、アイディアを出したの
は故・折田至監督だと思われる。

「風を受けて変身するという初期の変身パターンについて考えたりとか、実
際のフィルムに影響する部分でいろいろアイディアを出したりしてました」
(折田至監督・談/『仮面ライダー大全』)

パイロット・フィルムでもある第1話の監督は故・竹本弘一監督であるが、平
山先生によると折田氏には「総合監督」として撮影全般に配慮を依頼してい
たのだという。
もちろん、そのようなクレジットはないのだが、私は平山先生から次のような
エピソードを伺った。

クランクイン前日の生田スタジオで、山本修右撮影監督と太田耕治照明監
督が何か打ち合せをしていたところに平山先生がいらっしゃって、「子供番
組だからって安っぽいペカちょろのライティングにはしないでよって言っちゃ
ったのね、そしたらえらい騒ぎになって、平山の野郎、おれたちを何だと思っ
てやがるんだ、ぶっとばしてやる、辞めてやるってね(笑)」(平山亨先生・
談)

そんなお怒りのお二人をうまく執り成したのが折田監督だったそうなのだ。
私は、竹本監督では?と確認したが、平山先生によると折田監督には「総
合監督」として最初から入ってもらっていたそうである。
もっともそれは折田氏が当初は唯一、東映の社員監督でいらっしゃったか
らでもあるのだろうが。
実際、オープニングとエンディングを担当されたのも折田至監督なのであ
る。

残念ながら3年前に逝去なさった。享年72。



54



 仮面ライダー旧1号のクランクイン時のコスチュームについて考えてみた
い。
スーツは鹿皮革製であり、ジャケット前面にはコンバーターラングを縫いつ
けて、背面には2枚の羽根模様が貼りつけられている。
藤岡弘、氏はまず「パンツ一丁」になってこのスーツを着用し、ブーツと手袋
を着ける。
さらに両手首には肘近くまである皮革を巻きつけて手袋を長く見せかけ、変
身ベルトとマフラーを締める。
最後にマスクを直接かぶり、クラッシャーの下顎をボタンホックで取り付けて
仮面ライダーの完成である。
これらは藤岡氏がお一人で着用なさっていた訳ではなく、当然スタッフの手
助けがあった。
ベルトの左右が反対になっていたりする場合はスタッフのミスであり(佐々
木剛氏は、バンザイをしていればスタッフがベルトを捲いてくれると仰ってい
た)、触角アンテナがおかしな角度であったとしても着けている本人に自覚
はないのである(岡田勝氏は触角アンテナの向きについては相当気になっ
ていらっしゃったようで、そのまま撮った監督の責任だと仰られていた)。

リハーサル時には基本的にベルトは着けられない。
スチール等でベルトなしのライダーが写っているものはリハーサル・テイク
だからである(オープニングで室町健三氏がベルトを着けていないのはリハ
ーサルではなくスタントに支障があったからだろう)。

この旧1号の最初の衣裳について、平山亨先生が次のようなエピソードを
お話しになってくださった。
それは「座布団ライダー」という耳慣れない仮面ライダーの話だが、当時、
旧1号の鹿皮革ジャケットの胸の部分(コンバーターラング)が座布団を貼
りつけたように見える事から「座布団ライダー」と悪口を言われたことがあっ
たのだそうである。
しかし平山先生は、その最初の旧1号が一番好きだとも仰られる。

「(前略)そう、実はぼくもそうなんだよ、座布団ライダーってあだ名された
ね、ここに座布団つけたみたいだって悪口言われた最初の仮面ライダー。
だけどねぇ、あの手作り感ていうのはねぇ、何とも捨て難いんだよ、(後略)」
(TRC会報Amigo12号収録・平山亨先生インタヴューより)

因みにその「座布団ライダー」のコンバーターラングには、三段目の下に余
分な「ベロ」など付いてはいない。第1話の仮面ライダーを徹底検証したとさ
れる某玩具メーカーの「仮面ライダー旧1号 Ver.3.0」はこの点、明らかに
誤りである。



55



 仮面ライダー旧1号のFRP製のマスクについては、興味をお持ちでいらっ
しゃる方が少なくはないだろう。
周知のとおり、マスクのデザインは石ノ森章太郎氏のイラストを元に三上陸
男氏が造形用のデザイン画を起こし、水粘土で彫塑したものから石膏で3
分割となる型を取り、藤崎幸雄氏によってFRPで仕上げられたものである。
現在のように造形用の各種素材が入手しずらかった当時、水粘土による一
次原型からそのまま石膏型をつくり、ポリを手流ししたものにグラスファイバ
ーでバックアップをする。
従って、型から抜いた後の作業で仕上がりに大きな違いが生じ、Bタイプの
マスクについても実はAタイプと同じ石膏型から作られているのである。
その違いは、例えばCアイをはめ込む穴を拡げすぎると透明ポリの複眼の
目が大きくなってしまうし、Oシグナルや触角アンテナを取り付ける位置に
ついても個々のマスクに差異が認められる。

決定的なのは覗き穴の塩ビ板を固定するためのビスの数と位置に違いが
ある場合で、これによって2号用にリペイントされようともAタイプとBタイプと
は容易に判別できるのである。

最初の塗装は石ノ森氏のイラスト通りに緑色で塗られたそうだが、渡邊亮
徳氏からクレームがついて再塗装されることになった。
そのマスクが緑色の状態を記録したものはスチールも何も残されていない
のだが、おそらく伊豆サボテン公園のスチールに代表される旧2号のマスク
の最初の緑色のようであっただろうと思われる(もちろん白線はなくクラッシ
ャーも銀ではない)。
また、旧1号のCアイの色(ピンク)については透明ポリそのものの色と記述
した書籍もあるが、これは明確に間違いである。
透明ポリは淡い透明な茶色になら見えるかもしれないがピンクではない。ピ
ンクに見えるのは内側にそうした色の反射板が当てられているからである
(実際にはピンクよりも濃い。ピンクに見えるのはCアイのポリの厚みが干
渉するためである)。
また、赤い色をしたCアイは表から赤いカヴァーを貼りつけてあるからで、そ
れを取り外せば元のピンクのCアイに戻る。
しかし、旧2号編の途中からは直接Cアイのポリの表面をクリアー・レッドで
塗装するようになった(後者の方が複眼のパターンがよく判る)。

最後に、マスクは藤岡弘、氏の頭のサイズを採寸して造られたために小さく
て、藤岡氏以外の着用は窮屈で困難であったかのような事も言われたりす
るが、事実ではない。
大野剣友会の岡田勝氏によると、まったく問題なく被ることが出来たそうで
ある。




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