考証学81〜85

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 『仮面ライダー』の放映開始当初、番組の視聴率は制作サイドの予想(期
待)を下回るものだった(特に関東エリア)。
その後、2号編が進むにつれての人気急上昇があって、昭和47年正月の
ダブルライダー編において30%を越える最高視聴率を記録したと、一般に
は(?)そう認知されている。

本当か?

単純に言ってしまえば、これは事実ではない。
『仮面ライダー』全98において最高視聴率を記録したのは第98話、即ち最
終回である(ビデオリサーチ・関西/35.5%)。
では、2番目に視聴率が高かったのは?これも正月のダブルライダー編で
はなく、意外な事に放映第27話「ムカデラス怪人教室」の34.6%(ビデオリ
サーチ・関西)なのである。

それならば正月のダブルライダー編の視聴率はいったい幾らだったのか?

放映第40話「死斗!怪人スノーマン対二人のライダー」の視聴率はビデオ
リサーチ調べで19.8%(関西)、20.2%(関東)。
ニールセン調べ20.3%(関西)、17.3%(関東)。
続く第41話「マグマ怪人ゴースター桜島大決戦」はビデオリサーチ調べ26.
8%(関西)、30.1%(関東)。
ニールセン調べ25.7%(関西)、25.4%(関東)。
つまり、後編の関東エリアの視聴率が唯一ビデオリサーチ調べにおいて3
0%をわずかに越えているだけである。
そもそもこうした視聴率の調査方法には疑問があるが、現実に局や制作会
社がその数字に一喜一憂しているのは事実である。

『仮面ライダー』の人気がいくら上がって来たからといって、元旦に通常番組
を放送してどれだけ視聴率が稼げるか心配だったと平山先生も仰られてい
た。

前年の暮れからカルビーの仮面ライダー・スナックが発売されてはいたが、
カードの内容は未だ放送に先行してはいなかった。
週間テレビガイドにも藤岡弘、氏の復帰やダブルライダーの活躍を予告す
る記事は皆無である。
こうした状況の中で、最も有効だったのは子供たちの間で交わされる口コミ
の情報だった。
第26話を見てゾル大佐の登場に衝撃を受けた子供が翌週の月曜日に学
校へ行き、友人たちと話題にした事が第27話の高視聴率に繋がったので
ある。
同様に第40話を見た子供たちはダブルライダーの雄姿に衝撃を受け、来
週も絶対に見逃せないと語り合ったのだった。
いずれにしても、記録として残されている番組視聴率は私の実感よりも低
い。

当時の児童の間では、仮面ライダーの人気は100%だったのだから。



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 『仮面ライダー』で本郷猛とガニコウモルが戦っていた頃、TBS系列の新
番組として始まった『アイアンキング』にはルリ子さんがご出演なさってい
た。 
当時、小学4年生だった私には、高村ゆき子=緑川ルリ子という認識がな
く、後年になってその事実を知り慌ててビデオで確認したものである。

『仮面ライダー=本郷猛』(藤岡弘、著/扶桑社刊)の後、或る編集プロダク
ションから『アイアンキング』に関しての出版の話があり、レギュラー3人によ
る対談の企画もあったのだが、その後どうなったのか、連絡がない。

尤、ルリ子さん、否、ゆき子さんは6年前に静弦太郎(石橋正次氏)とはお
会いになっている。『アイアンキング』の番組開始当初、お二人が着ている
服は揃いの(撮影用)衣裳のように見えるのだがそうではなく、私服であっ
たそうなのだ。
事実、最初のポスター用のスチール撮りの際もルリ子さんはこのインディア
ンふうのファッションでいらっしゃっている(ただし、髪を結っている紐の色が
本編出演時と異なる朱色)。
それを見た石橋氏が気に入って、ルリ子さんと一緒に原宿のブティークへ
行き同系の服を買い求めていらっしゃった、という訳である。
今後、もし出版で対談が実現したならば、そんなエピソードの数々を伺って
みたいものてある。

『仮面ライダー』とは違って、『アイアンキング』ではルリ子さんのスチールも
多数残されている。



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 カルビー製菓の仮面ライダースナックが販売され始めた時期には地域差
があるが、昭和46年12月下旬に東京エリアで発売されたのが最初らし
い。
放映話数にすると第39話の狼男の頃という事になる。
事実、最初期に発行された60番までのカードを見ると収録されている怪人
は放映第38話のエイキングまでとなっている。
即ち、仮面ライダースナックの発売開始当初、カードの内容が放送に先行
する事は未だ許されていなかったのである。

仮面ライダースナック第1ブロックのカードを改めて見なおしてみると、興味
深いのは怪人の単体カードの多さである。
No.1〜No.34までのほとんどがそうであり、そのままショッカー怪人のカタ
ログとなっている。
これらの大半がいわゆる合同撮影会のスチールなのだが、注目すべきはド
クダリアンとアルマジロングの2点であり、撮影会のスチールではない(ドク
ダリアンは生田スタジオ階段での特写、アルマジロングは秩父での本編撮
影時のもの)。
また、蜂女が欠番となっているのは合同撮影会に蜂女が参加していなかっ
たからであり、つまり、この時期の石森プロ(グループナイン)のスチールに
は蜂女が無かったのである。
また、トカゲロンは放映第38話撮影後の石森プロの撮影会には参加して
単体スチールも撮影されているのだが、スナックの発売には間に合わなか
ったのだ。

そもそも仮面ライダースナックの発売当初、カルビー製菓は未だ自社でカメ
ラマンを派遣してスチールを撮影していた訳ではなかった。
カードに使用されているスチールは基本的に石森プロのものが中心であ
り、一部に毎日放送の番宣スチールも含まれている。
さらに不思議なのはライダースナックのカード製作に加わっていなかった筈
の講談社のスチールも混在している事で、このような『仮面ライダー』のスチ
ールの版権管理が厳密でない状況は現在に至るまで変わっていない。
ところで、No.106以降、カードの裏にある解説の文章がどことなく変わった
のにお気づきだろうか?

新執筆者は阿部征司プロデューサー、その人である。


84



 『仮面ライダー』に名シーンは数々あるが、毎回の変身シーンは外せない
名場面だろう。
特に旧2号編以降、変身ポーズが登場してからはそれが決定的となった。

平山亨先生も、変身ポーズは或る意味いちばんの見せ場だし、仮面ライダ
ーを演じた役者にとっては勲章のようなものだと仰っていたが、正にその通
りだろう。
今日でもイベントのステージ等で生の変身を目前で拝見すると、いい歳をし
て子供の頃と変わらない感動を覚える。

もうひとつ、変身シーンと並んで忘れてはならない名場面が改造手術シー
ンだろう。
本来ならば各ライダーにそれぞれ1度しかない場面の筈だが、本郷猛に関
しては回想シーンを含め3度撮影が行なわれている。
第1話での改造シーンはカラー・モノクロと何枚ものスチールが撮られ、繰り
返し出版で使用されて来たのでよく知られているが、新1号編のオープニン
グ撮影時のスチールは最近はまったく掲載が見られなくなってしまった。
カラーとモノクロがあるが、これも毎日放送のスチールだろうか?
 本編の映像とは反対に、本郷猛の頭側からの撮影となっていて興味深
い。
また、第14話の一文字隼人の改造シーンもモノクロのスチールがあるが、
こちらは本編の16mmのカメラと同じポジションからの撮影となっている。



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 旧2号編以降、合同撮影会が恒例となってからも本編の撮影とは別に行
なわれていた興味深い特写がある。 
まず、3体のショッカー怪人(ゲバコンドル・ヤモゲラス・トカゲロン)の特写。
生田スタジオ近辺の空き地で撮影されたものでありカラーもモノクロもある
のだが、トカゲロン(講談社の『仮面ライダー怪人大全集』P.17に掲載)だけ
でなくゲバコンドル(大きい方の羽根アリ)とヤモゲラス(ベスト着用、丸昌の
16枚綴りに使用されている)もショッカーベルトをしていない。

これらは劇場版『ゴーゴー仮面ライダー』公開時の宣材として東映宣伝部に
よって撮影されたものとする説と、2号編のオープニングとエンディング撮影
時のものとする説があるのだが前者だろう。
当時、単体スチールが欠けていた2怪人+トカゲロンを補完したものと思わ
れる。
2号編のオープニングとエンディングに関しては放映第40話から改編され
て登場怪人も差し替えられているが(ドクダリアン・トリカブト・モグラング・実
験用狼男)、こちらは何処か公園らしき場所での特写スチール
(各怪人の単体スチールを含む)が残されている。
また、藤岡弘、氏が復帰した九州ロケでは2体の再生怪人(モグラングとア
ルマジロング)が登場したが、他にドクダリアンとエイキングも出演が予定さ
れていた。
本編への登場は見送られた2体だが、何故か九州で撮影された単体スチ
ールの一連が残されている。





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