考証学95〜100

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 現在では一般に「立花レーシングクラブ」のエンブレムとして認知されてい
る意匠が初めて『仮面ライダー』の本編に登場したのは第1話「怪奇蜘蛛
男」の冒頭、富士吉田の公道でオートレースのトレーニングをしている本郷
猛が着た水色のジャケットの左胸にあったのが最初である。

その後、サイクロン号のカウルや2号ライダーの変身ベルトのシャッター部
分にも描かれる事になるのだが、重要なのは、そのマークが本郷猛の改造
以前から既に存在し使用されていたという事実である。

即ち、このマークが「仮面ライダー」のマークでも「サイクロン号」のマークで
もなく「立花レーシングクラブ」のマークであるとする根拠がそこにある。
第2話では立花藤兵衛が着る黒のレザージャケットの左胸にも同じエンブ
レムが着けられていた。
尤、この件に関して劇中で何らかの説明が加えられるようなエピソードは何
ひとつない。
第14話で藤兵衛と滝に初めて変身を「お見せ」する一文字隼人のベルトに
このマークが描かれているのも不思議だが、事後としてそれ以外には有り
得ない魅力的なデザインとなっている。

この立花レーシングクラブのマークのオリジナル・デザインは『仮面ライダ
ー』に正式に参加する以前の高橋章氏によっている。水性塗料で紙に描か
れ旧サイクロン号のカウル正面に貼り付けられたそれこそ正真正銘オリジ
ナルの「立花レーシングクラブ」のエンブレムである。
因みに、当クラブのホームページのトップページに使用されているエンブレ
ムの図版は当クラブ代表のムスタング氏の手によっている。
当クラブのオリジナル・グッズに使用されているものも同様で、勿論、東映
版権部から正式に承認を頂いているものである。
ただ、フロントフォークの先端部分が外側へ反り返っているこのデザインは
新1号編の第6クール辺りで使用されていたもので、私の個人的な好みとし
ては旧サイクロン号のフロントを飾るオリジナル・デザインに準拠したい。
さらに言うなら手描きの風合いを残したい。
しかし実際に描いてみると、正面から見たバイクの図案をRに重ねるバラン
スが意外と難しいものである。
やはり、高橋章さんはスゴイ!!



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 『仮面ライダー』の制作第8話「死神カメレオン決斗!万博跡」のラストシー
ンは印象深い。 
事件が解決し、砂田ユキの快気祝いのパーティーが開かれているアミーゴ
をひとり抜け出した本郷猛が、道端にいた2匹の仔犬を抱き上げて歩いて
いくというものである。
主人公の印象が暗くなると毎日放送からクレームがついたらしいが、私は
まったくそのようには思わない。
本郷猛の優しさを表現し、余韻を残した優れた演出だと思うのだ。
ところが実際は、このシーンは折田監督による演出ではなかった。
藤岡弘、氏ご自身が考えた演技だったのだそうである。
撮影場所は寺尾台にある墓地の傍らで、撮影時にルリ子さんが仔犬を可
愛がっていらっしゃったのを藤岡氏が御覧になって、その場で演技を思いつ
かれたのだった。
藤岡氏によると、当時、本郷猛の役づくりを色々とお考えになっていたそう
である。
改造人間になっても人間の優しい心を失ってはいないのだとして、道端に
捨てられていた仔犬を不憫に思い拾い上げたのである。
この事実を最初に思い出してくださったのはルリ子さんで、藤岡氏はその
時、仔犬を抱いていらっしゃったルリ子さんから「真樹、ちょっと、その犬を貸
して!」と仰って仔犬を受け取られたそうである。
そうして、こんな演技はどうだろうか、とルリ子さんにお訊ねになったのだっ
た。
折田監督もそれに賛同なさったという訳だ。
撮影の裏話としては、ささやかだが素敵ではないか!
 因みに2匹の仔犬は制作第4話の館山ロケの際、館山グランドホテル近辺
の側溝に段ボールの箱に入れられて捨てられていたのをルリ子さんが見つ
けて、生田へ連れて帰られたものである。
2匹は茶色がドブーヌで白い方はシロと名付けられるのだが、ドブーヌの名
は側溝(ドブ)に捨てられていた事と当時人気女優だったカトリーヌ・ドヌーブ
の名前をかけてルリ子さんが命名なさったのだそうである。
制作第5話ではさっそく動物実験の被験者(被験犬?)としてシロが登場し、
第11話でも顔を見せている。
平山先生によると「シロちゃんはおとなしかったから(撮影で)使いやすかっ
た」のだそうだ。
ルリ子さんは島田陽子さんとご一緒に生田スタジオで2匹をとても可愛がっ
ていらっしゃった。
ルリ子さんのアルバムには館山グランドホテルの建物を背景にして、劇中
の衣裳でドブーヌを抱いていらっしゃる素敵なスナップがある。



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 『仮面ライダー』の第11話「吸血怪人ゲバコンドル」は第9・10話撮影時
の藤岡弘、氏の鶴川での事故の後、応急的に制作されたものである。
つづく第12話も折田氏による監督作品ではあるが、第11・12話は2本撮
りではなく、それぞれが独立して撮影が行なわれている(つまり、第11〜1
3話はすべて変則的に1本撮りという事になる)。
事実、第11話と第12話を検証してみても生田スタジオは別としてロケ地を
共有していない。
それどころか、まったく異なる遠隔地において撮影が行なわれている。山手
線に乗っていて、電車が戸山公園の傍に差しかかるとゲバコンドルのアジト
とされた教会を思い出したりするのだが、ルリ子さんが着ていらっしゃったウ
ェディングドレスは東京衣裳にその時一着しかなかったもので、ルリ子さん
が好みのドレスを選んだりすることは出来なかったのだそうである。
それでも私は充分に綺麗だと思うのだが、残念ながら私の知るかぎり毎日
放送の番宣スチール2枚が残されているだけである。
どちらも戸山教会ではなく最終決戦が行なわれた御殿場の大井松田付近
とされる原野でのモノクロのスチールで、その1枚では立花藤兵衛が緑川
ルリ子を庇っていて、もう1枚はゲバコンドルを撃破した後、仮面ライダーと
藤兵衛、ルリ子が三人で手を取り合っているシーンである。
その他に第11話のスチールとしては、仮面ライダー対ゲバコンドルの最終
決戦の一連がカラーで少なくとも10枚残されている。
また、タキシード姿で千葉氏ご自身のマイカーであったジープの運転席に座
っている滝和也のスチールは、おそらくサイドカーで新婚旅行に出発した滝
夫妻がゲバコンドルに襲撃されるシーンのロケ地である稲城駅近辺でのス
ナップであろう。
残念ながら本編撮影時のゲバコンドルの単体スチールの存在は確認がで
きていない。



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 「仮面ライダーの最終回ってどうなったの?」以前、私はルリ子さんからそ
う言って訊ねられた事がある。
「藤岡さんと佐々木さんがショッカーをやっつけて、千葉さんがアメリカへ帰
るのをみんなで羽田から見送って終わるんです」私はそうお答えをしたのだ
が、勿論、それが『仮面ライダー』の終わりではない。
一般に(?)『仮面ライダーV3』の第1・2話は『仮面ライダー』の第99・100
話として認知されているのだが、これは単に『V3』の第1・2話にも1号2号
が引き続き登場しているからとか、ストーリーが『仮面ライダー』から継がれ
ているからとか、そのような劇中の設定にのみよるからではない。
『仮面ライダーV3』の制作・放映が始まったにもかかわらず東映と毎日放
送の契約は『仮面ライダー』のままだった、即ち、『仮面ライダーV3』は契約
上はまだ『仮面ライダー』の延長に過ぎなかったのである。

Sムーン「平山先生、そもそもV3は最初まったくの新番組ではなくて1号2
号の仮面ライダーからそのままつづきますよね」

平山先生「そうだね、1号2号に改造されて生きることが出来たんだよね」

Sムーン「あのストーリーの繋ぎ方はとても上手だと思いました」

平山先生「だからねぇ、上手はいいんだけどそのせいで毎日放送さんなん
かはV3を新番組と認めてくれないんだよ。ほんとだったら1号の番組があ
って、2号の番組があって、そしてエンドマークがあってV3の番組でしょう。
ところがそうなっていないからね。そうなっていたら前の番組の地方販売の
権利なんかも東映に返って来るんだよ、だけどずーっと続いているでしょう、
だからいつまでたっても毎日さんは地方販売の権利を返してくれないんだ
よ。だからうちの部長なんかも嘆くんだよ、平山くんが変なことするからえら
い損害だよ、なんてね(笑)」

Sムーン「だから毎日放送の主催で開かれたパーティーは仮面ライダーの
放送第100回記念だったんですね」

平山先生「そうそう」

Sムーン「V3の1話と2話を仮面ライダーの99話100話と数えている訳で
すが、子供の頃にV3の第2話でダブルライダーがカメバズーカと原爆で自
爆したのが仮面ライダーの本当の最終回のような気がしました」

平山先生「うん、だけどそれがV3篇の中に入っちゃってるでしょう、だから
毎日さんは終わりだって認めてくれないんだよ。いつまでたっても番販権返
してくれなくってね(笑)。まあ、しょうがないねぇ。成り行きでああやっちゃっ
たからね」

以上、立花レーシングクラブの会報Amigo第12号収録の平山亨先生のイ
ンタヴューから抜粋をした。
毎日放送主催による仮面ライダー放送100回記念パーティーとは、1973
年2月15日(仮面ライダーの最終回放送から5日後)に芝公園の東京プリ
ンスホテル内マグノリアホールで開催されたものである。

毎日放送・東映の首脳陣はもちろん、藤岡弘、佐々木剛、宮内洋、小林昭
二、千葉治郎、宮口二朗、天本英世、潮健児、丹羽又三郎、沖わか子、ミミ
ー、中田喜子、他の錚々たる顔触れが列席し、内田有作・生田スタジオ所
長によって編集・制作された『われらの仮面ライダー』が上映されたのもこの
時である。
因みに、ルリ子さんにもパーティーの案内状が届いていたが、残念ながらご
多忙により出席は叶わなかった。



100

最終回



 立花レーシングクラブのホームページが刷新され、ムスタング代表から何
か書くように求められたのでこれまで書かせて頂いた。

100回で終了するのは単に切りがよいからで他に意味はない。

「仮面ライダー考証学」という大袈裟なタイトルを与えられたが、私は私自身
が関心のある事についてしか書かなかった。

読んでくださった方々には感謝したい。

                              2009年7月3日 Sムーン




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