考証学追記 16〜20

考証学追記 16




 最初の『面祭(マスクまつり)』が新宿ロフトプラスワン開催されたのは20
04年1月31日の事だった。
ロフトプラスワンとは新宿歌舞伎町にあるトーク・ライブ専門のライブハウス
であり、読売新聞政治部記者(当時)である鈴木美潮(340)女史によって
企画・制作されたのが『面祭』だった。 
当日配布されたパンフレットから引用させて頂こう。

仮面ライダー いつの日か あなたのストーリーに ピリオドが打たれ あな
たを愛した人々も 四散してしまうだろう。 そしてあなたの名が 人々の想
い出の中に 沈んでしまっても きっと私は忘れない。 あなたと共に生きた
日のことを 今、あなたが浴びている あふれんばかりのこの陽の色を。

〈はるかなる愛にかけて〜永遠のヒーローたちに〜〉作:鈴木美潮

この言葉は1986年5月に自費出版された鈴木美潮の詩集より引用。

それから18年の今、鈴木美潮は「面祭」をひらきますーー

以上、『面祭』のパンフレットから引用させて頂いた。
パンフレット表紙の揮毫は佐々木剛氏によるものである。当日のゲストとし
ては、平山亨プロデューサー、佐々木剛氏(一文字隼人)、千波丈太郎氏
(ドクトルG)、友井雄亮氏(葦原涼)、菅田俊氏(村雨良)、他の方々が参加
しての楽しいイベントだった。
当日のトークの中で、仮面ライダーアマゾンの制作秘話を語っていらっしゃ
った平山先生が突然、ア〜マ〜ゾ〜〜ン!! と大声で(しかもマイクを通し
て!)叫ばれたハプニングは現在もファンの語り種となっている(笑)。



考証学追記 17



 第1回の『面祭』から2年後、2006年10月14日には仮面ライダー生誕3
5周年を記念して『面祭2』が開かれた。
会場は『面祭』と同じく新宿ロフトプラスワン、司会はもちろん鈴木美潮女史
である。
狭いロフトの客席はすぐに埋まったが、その1/3はTRCのメンバーだっ
た。
『面祭2』のチケットに記載のあったゲストはと言えば、平山亨プロデューサ
ーと藤岡弘、氏、佐々木剛氏の3人だった。
先頃、青山で行なわれた平山先生のパーティーでも顔を合わせられたダブ
ルライダーだが、『面祭2』ではさらにV3の宮内洋氏も飛び入り参加して文
字通りトリプルライダーの夢の共演が果たされた。
さらに滝和也=千葉治郎氏か登場した時の歓声は凄まじいものだった。
「本郷、一文字、待たせたな!」そう声がして、千葉氏がステージに現れた
のである。
客席からは「滝隊長!」との声も上がった。
そして我らがヒロイン、緑川ルリ子=真樹千恵子さんもステージに!
その際、客席から一際大きな声で「真樹さ〜ん!」と叫んだのは私ではなく
キカイダー01横浜支部長である。
ルリ子さんは前日まで参加を迷っていらっしゃったのだが、来てくださって本
当によかった。
さらにスーパー1の草波ハルミ=田中由美子さん、仮面ライダーカイザの村
上幸平さん、村枝賢一氏もステージへ。控室では内田有作・生田スタジオ
所長と大橋道然(春雄)氏がモニターを御覧になっていた。

再来年には生誕40周年を迎える『仮面ライダー』である。340さんには是
非とも『面祭3』の開催を、お願いしたい。



考証学追記 18



 『面祭2』が行なわれたのと同じ2006年の3月11日、立花レーシングク
ラブは『仮面ライダー』の生誕35周年と平山亨先生の喜寿の誕生日をお祝
いしようと、平山会と共催で『Amigo since 1971』というタイトルのお祝い
の会を催した。 

会場は東京青山のレストラン「harden−tighten」。司会は読売新聞社の
鈴木美潮女史。
ゲストは早瀬マサト氏(石森プロ)、村枝賢一氏、川崎実監督、大橋道然
(春雄)氏、中村ブン氏、金子吉延氏(青影)、そして我らがヒロイン・緑川ル
リ子=真樹千恵子さん、以上の豪華な顔触れをお迎えしての楽しい会を催
すことが出来たのであった。

そもそもこの企画の発端は、立花レーシングクラブの代表・ムスタング氏の
次の一言から始まった。「Amigoのカウンターで、ルリ子さんが入れてくれ
た美味しいコーヒーを飲みたいねぇ、・・・・」

何と厚かましいムスタングぅ、と本心では思いつつも(笑)、私は幹事を引き
受ける事に同意したのである。
コンセプトはただひとつ、何処かのレストランかカフェを借り切ってそこを『A
migo』に模し、仮面ライダーのファンと関係者に来て頂いて平山亨先生の
喜寿をお祝いする!

当日は関係者を含めて60人余りの方々が御出席くださって、皆さんで盛大
に平山亨先生の喜寿をお祝いする事ができ、本当によかった。

因みに、ルリ子さんからコーヒーを入れてもらうというムスタング代表の野望
が叶うことはなかったが、諦めの悪いムスタング氏は、「ルリ子さんを、ぼく
のサイクロン号の後ろに乗せて走りたいなぁ!」



考証学追記 19



 2003年に仮面ライダー旧1号のフィギュアをソフビ・キットでリリースした
後、ビリケン商会では当然の事として次なるショッカー怪人の開発に着手し
た。 
その第1弾が蜘蛛男でも蝙蝠男でもなく蜂女に決定されたのは私が強力に
推挙した事による。
理由はまず第一に女性だから(笑)。
彩色のテクストとしても様々な要素が含まれていて面白そうである。
そして何より、私は天才と呼ばれる造形作家・ハマハヤオ氏の手によって
造り出される蜂女が見たかったのである。

ショッカー怪人の造形は難しい。
非常に難しい。
何故か?
怪人の衣裳は怪獣の着ぐるみと違い、全身タイツが基本となっている。
つまり、人間の裸体にタイツ一枚を着けただけという部分が少なくないの
で、その彫塑には人体の正確なデッサン力が必須となってくる(厳密にはタ
イツ一枚ではなく、大野剣友会の岡田勝氏に伺ったところでは、タイツを二
重にして着ていらっしゃったそうである)。
さらに、全身タイツであるがために演技者のプロポーションがそのまま怪人
のプロポーションとなってしまう。
蜘蛛男なら岡田氏を、蝙蝠男なら佐野氏を彫塑するつもりで取り組まなけ
れば正確なショッカー怪人は造れないのである。
これは何も怪人に限らない。
仮面ライダーも、旧1号ならば藤岡弘、氏、旧2号は中村氏、桜島1号は中
屋敷氏、新1号は大杉氏、そうやって我々が演技者のプロポーションと共に
記憶している(もちろん他の方々が演じた場合もあるが)それぞれの仮面ラ
イダーでなければフィギュアとしても違和感が生じるのである。
コンセプトとして劇中に登場したままにリアルに再現する事を目指すなら、こ
の点が最も重要な要素なのである。

さて、蜂女だが、残念ながら演技者の岩本良子氏の消息が判らなかった。

藤岡弘、氏は、岩本さんは大柄な女性でした、と憶えていらっしゃったし、ル
リ子さんからも、綺麗な女優さんだったと伺っていた。
ハマさんは珍しくヌード・モデルを使う事なくスチールとDVDの映像のみを
資料として、いつものように発砲スチロールと石粉粘土で見事な蜂女をお造
りになった。
毎度の事だが、私はハマさんのお仕事に心底脱帽させられたのである。
ただ、羽根の造形に関してはソフビによる成形に拘ったために片面のみと
いう難点があり、私はレジン製のパーツを提案したのだが受け入れられな
かった。
組み立て及び塗装に関しては詳細をインストに記したので興味のある方は
御覧いただきたい。
因みに、触角と長剣はホワイトメタル製であり、長剣の鷲の頭の意匠に関し
ては撮影当時の本物を資料としてある。
腕組み旧1号から3年、2006年にハマハヤオ氏の蜂女は東京南青山の
ビリケン商会からリリースされた。



   考証学追記 20



蜂女の登場話数は第1話のクランクイン以前には第4話と予定されていた。
それを裏付けるように「怪!?蜂女」というサブタイトルの準備稿のナンバ
ーも第4話となっている。
つまり、最初期の案では蜘蛛男→蝙蝠男→サラセニアン→蜂女、以上のよ
うなオーダーが予定されていた。
念のため確認しておくが、『仮面ライダー』に登場するショッカー怪人は台本
において○○○男のように具体的に指定され、各話のストーリーと必然的
な結びつきを有している。
ストーリーをそのままに、単純に登場怪人のみを差し替える訳にはいかな
いのである。
「怪!?蜂女」の準備稿を経て決定稿である「怪異!蜂女ー仮題ー」は制
作第5話となり、昭和46年3月前半に北村監督によって「怪人かまきり男」
との2本撮りで撮影が行なわれた。
蜂女の登場シーンの撮影が行なわれたのは生田スタジオのセットの他は、
おばけマンションと三栄土木の2ヶ所だが、三栄土木での最終決戦では大
野剣友会の瀬島達佳氏が一部を演じている。
おばけマンションの撮影では本編が夜間の撮影であったために日中は講
談社による特写が行なわれ、蜂女の単体スチールだけでなく、旧1号(藤岡
氏)と緑川ルリ子、蝙蝠男(佐野氏)の三人によるフォトセッションも行なわ
れた。
ロケバス車内で故・小山英夫氏が岩本良子氏をメイクしているメイキング・
スチールの一連はこの時のものと思われる(三栄土木でも小山氏と岩本氏
のメイキング・スチールが残されているが、小山氏の服装が異なっているの
で同日ではない)。
ロケバス車内にはルリ子さんもいらっしゃって、小山氏が岩本氏をメイクす
るのを御覧になっていたそうである。

最後に、講談社によっておばけマンションの階段で撮影された緑川ルリ子
の単体スチールは少なくとも6カットあるが、サングラスをかけていないスチ
ールはリハーサル時のものである

おばけマンションにはほんとうにおばけがいるみたいで(撮影が)嫌だった、
ルリ子さんはそう仰っていた。






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