『仮面ライダー』の制作がMBSによって正式に決定されたのは年が明けた
1971年1月の事だった。
4月編成の新番組とする事はかなり以前から決まっていたので、平山亨先
生としては1970年の年内に、それこそ大晦日でもかまわないからGOサイ ンを出すようにと、大阪側とは口を酸っぱくして交渉なさっていたそうであ る。
そうでなければ間に合わない、と(実際、MBSの正式決定が下されるのよ
りも前に、内田有作・生田スタジオ所長によってエキス・プロダクションに仮 面ライダーのマスク等の発注が行なわれていた)。
さて、(画像1)はクランク・インを目前に控えた時期に記されたと思われるエ
キス・プロダクションのメモである。
月を省いて日付しか記されていない事から、2月に入ってから記されたもの
かもしれない。
第1話の撮影に使用する「造りモノ」の完成予定日と、製作の優先順位を示
すローマ字が書いてある。
ただ、筆者が誰なのかは判らない。
まず、「仮面ライダー」に関してはランク「A」、つまり最優先での製作が予定
されていた。
具体的には「仮面」と「胸当て(コンバーター・ラング)」「ベルト」「くつ」、以上
を「6日中」の仕上げと予定し、後に「仮面」のみ「9日中」に、さらにそれが 「10日中」へと変更になっている。
つまり、このスケジュール通りに製作が進行し納品されたとするならば、仮
面ライダーの首から下のコスチュームに関しては2月7日のクランク・イン (生田スタジオ第1ステージでの改造手術台のシーン)に間に合っていた事 になる。
残念ながら衣裳部についての資料はないが、鹿皮革のスーツとマフラーが
東京衣裳から用意され、完成したばかりの「胸当て」がジャケットに縫い着 けられたのだろう。
また、グローブと手首の捲き皮革、背中の羽根模様の皮革については記述
が無いが、これも塗装作業が必要であるためエキス・プロで用意したものと 思われる。
そして「仮面」だけ完成が遅れ、おそらく11日の納品となってしまった。但
し、この「仮面」がFRP製のマスクだけを指すものか、或いはラテックス製と の両方を指示しているのかは判らない。
また、この時点でのFRP製マスクの完成した状態がNG版(緑色のマスク)
だったのか、決定版(リペイント後)だったのかも不明である。
仮に前者だった場合、マスクの完成はさらに遅れたと思われる。
翌12日か? さらに「くも男」もランク「A」として当初は「6日中」の完成が予
定されていたのが「9日中」に変更となっている。マスクとタイツ地の衣裳、 手袋とマントがエキス・プロの製作であり、ブーツは戦闘員のものと一緒に 東京衣裳で用意したものである。
その下3行、「オートバイ」と記されているのは勿論、サイクロン号である。
サイクロン号に関しては別項で詳説するので、ここでは省略する。
その次の「くも」とは、蜘蛛男が盗聴器として使用した小道具の蜘蛛(画像
2)である。
この「くも」がランク「B」であり「7日中」となっている。
つまり、緑川ルリ子がAmigoから戸浦埠頭へ向かう途中の車内のシーン
が撮影されたのは8日以降の晴天の日だったという事になる。
Amigoの外観のシーンでは立花藤兵衛と野原ひろみが下りた後、車はそ
のまま発進していく。
もちろん、運転しているのは真樹千恵子さんではない。
他に真樹千恵子さんと藤兵衛の車が一緒であるのは赤レンガ倉庫と小河
内ダムである。
ダムは曇天であり、従って「くも」のシーンは横浜での撮影だろう。
最後に「隊員ベルト」と「武器」がランク「A」として「6日中」となっている。
言うまでもなく「隊員」とはショッカーの戦闘員であり、「隊員ベルト」とは鷲の
意匠をあしらったショッカー・ベルトである。
当初は背後の留め金が馬蹄形であり、正面にあるショッカーのエンブレム
部分はFRP製(後にラテックス製となる)だった。
また、「武器」とは小河内ダムのロケで戦闘員が使用した棒を指していると
思われる。
第1話の「造りモノ」について、エキス・プロダクションのスケジュール表を読
解してみたのだが、これ以外にも、戦闘員が胸に着けている蜘蛛のマーク のエンブレムと蜘蛛男が口から飛ばす吹き矢、蜘蛛のマークが付いた小型 通信機、蜘蛛男が廻す地球儀、これらもエキス・プロによって造られたもの と思われる。
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