ここで話を新考証学20で示したエキス・プロダクションのメモに戻したい。
当初は変形前のサイクロン号(ふつうの型)がランク「C」として「8日中」、変
形後のフルカウルのサイクロン号(完成品)はランク「D」として「9日中」、変 身シーンに使用する部位(変化を見せる)がランク「E」として「10日中」の完 成予定とされていた。
その後、(完成品)は「11日中」に、(変化を見せる)は「12日中」とそれぞ
れ2日ずつ遅らされている。
しかし(ふつうの型)の完成予定日に変更はなく、つまり、本郷猛が変身前
に使用するサイクロン号は遅くとも2月8日には完成し納品可能だった事に なる。
ところで、そもそもサイクロン号の劇中での設定について、どのように解釈
すべきなのだろうか?
ファンの間でしばしば議論となるサイクロン号を造ったのは誰なのか?
という疑問である。今頃になってこのようなテーマを持ち出すのは私くらい
かもしれないが、以前は関連書籍でもよく話題にされていた。
一般的な解釈としてはサイクロン号はショッカーが造り、本郷猛が緑川博士
とアジトから脱出した後で立花レーシングクラブのエンブレムを付け加え た、と考える。
ただ残念な事にTVシリーズでは脱出後の逃走シーンで、まったく別の一般
車が使用されていた。だが、(ふつうの型)の完成は予定日から遅れていな かった筈である。
従って、当初からこのシーンの撮影は一般車で間に合わせるつもりだった
のだろう。
さらにスタジオでの回転バックを背景としたアップの撮影では緑川弘を野々
村潔氏が演じているが、ロケの林道で後ろに乗っているのは野々村氏のス タンドインである。そうなると、第1話の本編で(ふつうの型)が使用されたの は横浜・赤レンガ倉庫と小河内ダムでのラスト・シーンのみとなる。
因みに、この(ふつうの型)とされる変形前のサイクロン号を、平山亨先生は
「猛バイク」とお呼びになっていた。
平山先生が当時お使いになっていた台本に、そう記されている。
一方、(完成品)とされるフルカウルの旧サイクロン号が納品されたのは早く
ても2月12日、所謂第1NGタイプの状態での納品である。
小河内ダムの駐車場で撮影された三面スチールを見ると、変形前のサイク
ロン号では影がぼんやりとしている(画像1)のに対し、フルカウルのサイク ロン号にはくっきりとした影がついている(画像2)。
おそらく(ふつうの型)が撮影されたのは小河内ダムでのロケの2日目であ
り、(完成品)が撮影されたのは3日目であったのだろう。
エキス・プロのスケジュール表と合わせて考えると、小河内ダムのロケの2
日目は2月12日だったと推定される。
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