新考証学20で呈示したエキス・プロダクションのスケジュールを書いたメモ
だが、同じ紙にはまだ続きが記されてあった(画像1)。
これを見ても制作第2話と第3話は一括して扱われており、第1話と第4話
からは横線を引いて区切られている。
つまり、最初から2本撮りとして予定されていた訳である。さらに興味深いの
は制作第4話の怪人が蜂女となっていて、2月23日中の仕上がりとなって いる点である。
しかし、実際に制作第4話として撮影されたのは「怪異!蜂女」ではなく「怪
人さそり男」である。事実、高橋章氏によって描かれたさそり男のデザイン 画には「25日」と記されていて、その日付からも蜂女とさそり男が差し替え られ、さそり男の製作が繰り上がった事がうかがえる。
その理由は不明だが、竹本弘一監督のスケジュールの都合か、或いはロ
ケ先の館山シーサイドホテルとの日程の調整によるものだろう。
その後「怪異!蜂女」は、北村秀敏監督によって「怪人かまきり男」との2本
撮りで仕上げられている。
つまり、竹本弘一監督だけがパイロット・フィルムとしての第1話のみならず
制作第4話においても1本撮りの体制を許されて、しかも第1話では小河内 ダム、第4話では館山へと遠方でのロケを行なっているのである。
それに対して、折田組・北村組はどちらも生田スタジオ近辺での2本撮りな
のである。
これには勿論、予算面やスケジュール的な制約もあったのだろうが、平山
亨プロデューサーを始めとする東映側の竹本監督への期待の表れだった のだろう。
残念ながら竹本氏が『仮面ライダー』を監督したのはこの2本のみだが、そ
の後もMBSサイドから竹本氏の登板を求める声がしばしば上がったとい う。
(画像2)は、1971年2月7日(日)のクランク・イン当日、生田スタジオの第
1ステージにあったショッカー基地のセットにおいて、改造手術台での撮影 を前に指示をする故・竹本弘一監督(右端の帽子の人物)。
仮面ライダーの衣裳を着けた藤岡弘、氏の背後にはストーブが置かれてい
る。
ベニヤ板を張った壁に白と黒の渦巻き状の意匠を描いたのは三上陸男
氏。この渦巻き模様は制作第4話の撮影途中まで使用されたが、高橋章氏 によってさそり男のアジト用に赤を基調として描き変えられた(蝙蝠男とサラ セニアンのアジトの壁は、蜘蛛男のアジトの壁の流用である)。
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