3月末に起きた藤岡弘、氏の事故を受けて、1971年4月という月は『仮面
ライダー』という番組にとって文字通りの正念場となった。
事故の当日、大野剣友会の面々はおばけマンションで立ち回りのリハーサ
ルをしていたが、事故の一報を受けて中断を余儀なくされた。
生田スタジオでは平山亨プロデューサー、阿部征司プロデューサー、石田
人士勤労部長、河野正俊制作担当、山田稔監督、内田有作所長が集まっ て対応策の協議が行なわれた。
大橋春雄氏は内田所長の命令でスタジオ内に缶詰にされ、大破したサイク
ロン号(変形前)の修理を徹夜で行なっていた。
助監督だった長石多可男・塚田正煕・梅田味伸氏、他1名には内田所長か
ら緊急で脚本(藤岡弘、氏が出演しなくても撮れる脚本)の執筆が指示され た。提出された脚本は3本で、その中から長石氏作の「吸血怪人ゲバコンド ル」が採用となった(梅田氏による脚本は偽ライダーが登場するものだった そうである)。
4月3日の第1話「怪奇蜘蛛男」のオン・エアーを藤岡弘、氏は病院のベッド
に横たわったまま見る事となった。
山田組によるコブラ男編の2本がアップした後、折田監督によって「吸血怪
人ゲバコンドル」の撮影が行なわれたのだが、藤岡氏の事故が起こった第 9・10話の撮影時点で次回作の脚本が用意されていなかったという事はあ りえない。
つまり、「殺人ヤモゲラス」が本来ならば第11話だった筈であり、藤岡氏の
アクシデントによって内容が改変され、本郷猛の出番を緑川ルリ子へ振り 替えたものと思われる。
また、「吸血怪人ゲバコンドル」の採用によって滝和也=千葉治郎氏の出
演が決定した。
そして、エキス・プロでは4月16〜22日のスケジュールでトカゲロンの着ぐ
るみの製作が行なわれている。
エキスプロでは同時に旧1号のマスク(Aタイプ)と衣裳を2号用(この時点
では未だ1号としてのコスチュームのマイナーチェンジだった)へとリペイント した。
さらに、藤岡弘、氏の代役として佐々木剛氏の出演が決定(決定後、佐々
木氏は4月28日に毎日放送東京支社を訪問して挨拶を行なっている)。
このようにして事故から1ヵ月が過ぎた4月28日、平山亨先生の「(1
号を)殺しちゃならねぇー」発言で知られる『仮面ライダー』制作打ち合せ会
議が、毎日放送東京支社で行なわれている。
毎日放送・左近洋一氏による詳細な議事録が残されているので、次には、
それを検証してみたい。
添付画像は第13話制作時期に生田スタジオ近辺で撮影されたと思われる
ヤモゲラスの特写。同時にゲバコンドルとトカゲロンの単体スチールも残さ れている。
ヤモゲラスはドクガンダー幼虫、クラゲダールと共に本編スチールが現存し
ない。
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