新・仮面ライダー考証学 最終回

仮面ライダー・クロニクルズ(11)

「仮面ライダーの最終回って、どうなったの?」ルリ子さんから以前、そう言
って訊ねられた事がある。「藤岡さんと佐々木さんがショッカーをやっつけ
て、アメリカへ帰る千葉さんを羽田空港で見送って終ったんです」私はそう
申し上げてお答えをしたのだが、勿論それが仮面ライダーの終りではなか
った。平山亨先生は現在でも『仮面ライダー』の新作の構想をお持ちでいら
っしゃるし、昨日観劇させて頂いた『改造人間哀歌3』での佐々木剛氏は正
真正銘・一文字隼人だった。毎週日曜日の朝に放映されている番組にも相
変わらず〈仮面ライダー〉の名が冠されているが、それもまだ暫くは続くらし
い。来年は『仮面ライダー』誕生から40年である。40周年を記念しての祝
意を表されるに相応しい人物は何人もいらっしゃるだろうが、やはり筆頭は
平山亨プロデューサー、その人であろう。平山亨先生の益々のご健勝とご
活躍を願わずにはいられない。

1972年9月、山田稔監督による制作第80話「ゲルショッカー出現!仮面
ライダー最後の日!!」と制作第81話「仮面ライダーは二度死ぬ!!」の
撮影。
1972年10月、制作第84話「危うしライダー!イソギンジャガーの地獄罠」
の撮影。石ノ森章太郎氏が監督を務めた。
1972年11月7日、『仮面ライダーV3』の第1回制作会議となる〈「新仮面
ライダー」制作企画会議〉が行なわれる。番組タイトルが正式に『仮面ライダ
ーV3』と決定された。
エキス・プロダクションの前澤範氏によって仮面ライダーV3のマスクの粘土
原型2種が彫塑される。
1972年11~12月、〈ショッカーライダー編〉3部作の撮影(制作第91話を
も含めれば4部作となる)。新2号の衣裳が新調され、体側のラインが変更
される。
1972年12月、三栄土木で『仮面ライダーV3』の第1回撮影会。出演は、
新1号、新2号、V3(第1NGタイプ)、ハサミジャガー、デストロン戦闘員、新
サイクロン号。
1973年1月6日、塚田正煕監督による制作第97話「本郷猛変身不可
能!!」と制作第98話「ゲルショッカー全滅!首領の最後!!」のクラン
ク・イン。
1973年1月6日、放映第93話「8人の仮面ライダー」がオン・エアーされ、
〈ゲルショッカー首領の想像図〉の募集が告知される。
1973年1月8日、『仮面ライダーV3』の主役が宮内洋氏に正式決定され
る。
1973年1月10日、新宿中央公園で『仮面ライダーV3』の第2回撮影会。
出演は、宮内洋氏と仮面ライダーV3(第2NGタイプ)。
1973年1月13日、山田稔監督による『仮面ライダーV3』のクランク・イン。
1973年1月22日、よみうりランド裏手の造成地で『仮面ライダーV3』の第
3回撮影会。出演は、V3(完成タイプ)、ハサミジャガー、カメバズーカ、デス
トロン戦闘員、ハリケーン号(AタイプNG版)。
1973年1月末、宮内洋氏による主題歌のレコーディング。
1973年2月3日、スズキ自動車のテストコースでハリケーン号のお披露目
撮影会。
1973年2月10日、『仮面ライダー』の最終回となる放映第98話「ゲルショ
ッカー全滅!首領の最後!!」がオン・エアーされ、シリーズ最高視聴率と
なる35.5%を記録(ビデオリサーチ関西)。
1973年2月15日、東京プリンスホテル・マグノリアホールで〈仮面ライダー
放送100回記念パーティー〉が開かれる。内田有作・生田スタジオ所長編
集のスペシャル・フイルム『われらの仮面ライダー』が上映された。
1973年2月17日、『仮面ライダーV3』の第1話「ライダー3号その名はV
3」がオン・エアーされる。視聴率は32.0%(ビデオリサーチ関西)、24.8%
(ビデオリサーチ関東)。『仮面ライダーV3』は新番組の体裁が取られてい
るが、東映と毎日放送との契約上は『仮面ライダー』の放送延長であり、『V
3』の第1・2話は『仮面ライダー』の第99・100話だった。

       画像1

画像1)本郷猛と一文字隼人、ダブル変身の雄姿。講談社・大島カメラマン
による制作第93・94話撮影時の特写スチール。

   画像2

画像2)旧2号編放映時期の合同撮影会でのスナップ写真。児童がかぶ
っているのは撮影用の本物の2号ライダーのマスク。当時は男子児童の大
半が仮面ライダーのファンであり、マスコミによって〈変身ブーム〉と名付けら
れた社会現象は実体験をした世代にしかわからない。

      画像3

画像3)は講談社・大島カメラマンによる『仮面ライダーV3』のオープニン
グ撮影時のスチール。ロケ地は八王子市美山町芳村石産。






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