4月10日(土曜日)「煙として旅立った」




今朝は8:30頃に起床。
午前中はほとんど読書をしていた。読んでいたのは講談社の
世界史シリーズの「ヨーロッパの革命」。

このシリーズは1980年代に出版されたものなので
現代に入ると記述があやしいし、現在とは異なる観点で
書かれているが、それ以前の歴史に関しては細部にまで
図説を含みつつ記述されているので、面白い。

お昼頃より眠気が襲ってきて寝てしまった。
夕方前には起きるだろう、と思っていたが、目が醒めたのは23時。('A`)

あまりにも1日を無駄にしてしまったので、かなり自己嫌悪。w
それにしても、休職してから生活にメリハリが減ったので、
やたら眠っていることが多い。
それだけ疲労が蓄積していたのだろうか・・?

そういえば4月の8日は確か、アイドルであった岡田有希子の命日だったはず。
岡田有希子は86年の4月8日に所属事務所のサン・ミュージックがある
四谷のビルの屋上から飛び降り自殺している。享年18歳。

当時、中学生だった私は岡田有希子が登場するCM中にテロップの
速報で岡田有希子自殺、と出て驚いた記憶がある。
翌日は、学校では女子生徒を中心に大騒ぎになっていた。
確か、始業式の日だったと思う。
その後、写真週刊誌FRIDAYに岡田有希子が倒れて脳漿が飛び出てる
写真が掲載され、FRIDAYを学校に持ってきた生徒いて、また
大騒ぎになった。

時間の流れは早いもので、来年で岡田有希子歿25年になる。
四半世紀、時間が経ったことになる。

岡田有希子のお墓は今でも参拝する人達が多いらしい。
お墓は故郷の名古屋にある。

生きていれば南野陽子などと同い年なので40代になっている。
同じ学年に本田美奈子がいるが、本田美奈子は2005年に
白血病で亡くなっている。

私の小学・中学時代は80年代だったのでアイドル全盛期だったが
あんまりアイドルに興味はなかった。堀ちえみの「スチュワーデス
物語」などは少し観た記憶はあるが。

友達の家に行くと、部屋がアイドルのポスターだらけなんて
珍しい時代ではなかった。

中学後半はすでにクラシック音楽、特にバッハをよく聴いていた
嫌味な子どもだったので、アイドルはどうでもよかったが、
そんな私でも、岡田有希子の事件はかなり印象に残り現在に
至る。

自殺だとしても、岡田有希子は数日前まで番組に出て歌を
唄っていたわけだし、亡くなる前日には南野陽子と
渋谷のパンテオンで映画を観ていた聞く。
なんで自殺したのか、当時は色々と言われていたが、真相は
不明のままである。

このタイプの事件は、最近ではフジテレビのアナウンサーだった
川田亜子の自殺がある。
本人は亡くなる前日まで番組に出ていたそうだし、本人のブログ
では、情緒不安定な書き込みがあったが、まさか急に自殺するとは
思えない状況だったらしい。
しかも自殺とされ、発見された場所は港区海岸。
港区海岸は倉庫が多い場所で、確かに人気は少ない場所だが、
なんで、よりによって港区海岸で死ぬのか、それ自体も
謎として扱われている。

また発見されたときも不自然な状態であったという。

死者にムチ打つ気は更々ないが、日本は諸外国に比べ
剖検(司法解剖・行政解剖)件数が極端に少ない。
法医学者も少ない。
故に、自殺として処理されて剖検なし、という、うやむやなまま
処理される案件が非常に多いと聞く。

日本人の心として、死者を切り刻むのは耐え難い、という
国民性もあるかもしれない。
しかし、実際は自殺ではなく事故や他殺である場合も多いという。

ちなみに岡田有希子の場合、四谷署だか麹町署だか忘れたが
一応、剖検はされ、結果、自殺と認められ都内の代々幡火葬場で
荼毘にふされている。

代々幡火葬場は当時、太い煙突が聳え、寺院風のいかにも
火葬場といった建築であった。建物内は長くて暗い渡り廊下であり、
松花風の窓があり、炉前ホールはオレンジ色の仄暗い照明だけで、とても
寒々しく侘びしく気色の悪い火葬場であった。

現在は新しい建物になり当時の面影はない。