和楽踊りの発祥

古河電工和楽踊り




上の白黒の写真は昭和25年頃
次のカラーの2枚は、平成18年8月4日の和楽踊りです



 本県の盆踊りといえば、真っ先に思い浮かぶのが『日光和楽踊り』。
日光市で誕生した和楽踊りは、県内をはじめ全国各地へと伝わった。
 
  天皇の行幸を契機に発祥   
 日光和楽踊りの誕生は大正二年九月、足尾銅山の繁栄など背景として
日本を代表する企業に成長した日光電気精銅所(現在の古河電気工業日光事業所)
に大正天皇、貞明皇后が行幸したことがきっかけになったとされている。
当時、天皇が民間の工場を視察するのは異例だった。その栄誉と行幸が無事に
終わったことを喜んで、精銅所関係者が祝賀の宴を開いたとき、
一人老婆が美声を上げて歌い踊り始め、関係者も一同に和して踊り出したという。
そして翌年、行幸記念祭が開かれたとき「全員が心一つにして楽しみ合うことが
できる唄と踊り」として取り入られたのが「和楽踊り」。
当時の精銅所のスローガン「共栄和楽」が名前の由来となった。

 こうして誕生した和楽踊りは、昭和の中ごろになると、およそ三万人も繰りだす
一大イベントになり、その評判が全国へと広まっていった。



 社員はもとより其の家族が一年に一度の楽しみを、待っていたのです。
特に寮生活の若者は(私も其の一人です)言葉にはいえ表せない程の楽しみでした。
お互い好き?なカップルで踊る二晩、良い思い出でした

 残念ながら今は、社会情勢の不景気で古河電工和楽踊りは、一晩だけとなり、
淋しい限りです。


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