第13回 改憲先取りの「教育基本法案」が、私を180度変えた 
正直に言って、私にとっての憲法は、弁護士になる前は一つの「司法試験科目」(得意科目)に過ぎず、また、弁護士になってからも日常業務で殆ど使うことのない「神の領域」でした。良く言えば「憲法の精神は当たり前の前提になっている」、悪く言えば単に無関心、でした。
そんななかびっくりしたのが、自民党の新憲法草案。「まあ自衛権や自衛隊を明文化しているということだろう」というくらいに思って読み出すと、 
 前文「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」
 12条「公益及び公の秩序に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」
というくだりに「嘘だろ!?オイ!!」と思いました。
人権を制約する根拠についての基本的考え方が、日本国憲法と全く違う。あえて「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」に置き換えているあたり、非常にはっきりと「公益という最高価値が人権より上にある」という根本思想が伺えました。しかし、私はこの時点においても、「こんな馬鹿な憲法案は、各方面の有識者がけちょんけちょんに言うであろうから、支持が得られるはずがない。自民党が支持を失うきっかけになるだけだろう。」と思い、笑って、暫くはギャグのネタにしていました。
ところがいよいよ冗談ではない、と私の姿勢が180度変わったのは、春の国会、教育基本法「改正」問題を巡る情勢です。同法「改正」案も「公の秩序」などの価値をあたかも「個人の尊厳」と同列に、あるいはそれ以上に置き、国家主義的統制を強めようとするものであり、「愛国心」など思想良心の自由・価値相対主義に反する、改憲先取りの内容を含んでいます。
これに対して、野党として国民一人一人の側に立つべき民主党は、当然強く反対するだろうと踏んでいたところが、民主党独自の「日本国教育基本法案」を提出しました。「安易な対案はオウンゴール」だと危惧していた私が、同法案を見たところ、案の定で、前文に「公共の精神」を盛り込み、また「日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び」といわゆる愛国心をはっきりと規定し、さらに、結局国から地方へ地方から現場への統制を可能にする規定を含み、同法案は提出されるや否や右翼系と呼ばれる人々に政府案よりいいと絶賛されるような始末で、私はこのとき、「いよいよこれはえらいことになった」と思いました。
教育は、主に子どもの問題かも知れません。私に言わせればそれだからこそ最も重要なのです。が、仮に子どもの心を忘れてしまった大人であっても、みんな子どもであったことに違いはありません。だから、教育が歪められれば取り返しがつかないのです。教育の理念に、日本国憲法の大切な理念(個人の尊重、立憲主義)を曲げるものが入ってくるならばそれは、憲法が活かされない社会をつくってしまうのです。
私は、与党、民主党を問わず、また他の党派の方もその支持者も、大多数の方は、日本国憲法のもとで自由や人権を享受し、個別の場面では不十分なこともありますが、戦前などの昔よりは幸せな生活を送ってきたことに違いないと思います。
村上 英樹
第12回 宮沢賢治の詩に託して憲法9条を考える 
先日、本屋で『憲法9条を世界遺産に』(太田光・中沢新一著集英社新書)という本を手に取りました。ぱらぱらと立ち読みするだけのつもりでしたが、その第1章には、「宮沢賢治と日本国憲法ーその矛盾をはらんだ平和思想」というタイトルが付けられており、賢治ファンの私は、思わずその本を買ってしまいました。
 そこには、私などにはなかなか理解できないような、小難しいことが書いてありますが、私なりに解釈すると、「宮沢賢治の輝かしい作品群には、人間と動物や自然との交流が描かれている。本来通信のできない人間と動物との交流=ディスコミュニケーションの超克こそが、宮沢賢治が憧れた世界であった。ところが一方、宮沢賢治は、その高い理想故に、軍国主義者たちに強い影響を与えることになる日蓮主義国柱会の田中智学に傾倒した時期もあった。憲法9条の平和思想は、この宮沢賢治が直面した鋭い矛盾の自覚の上に存在するものであることを忘れてはならない。」だいたいこのようなことが書かれていたのだと思います。
 昨今、政治や経済、教育などあらゆる場面において、人や物事を二分化し、一方は肯定し、他方は否定するという風潮が強まっています。「善」と「悪」、「普通」と「異常」、「上流」と「下流」等々。現在の憲法改正論は、そのような風潮の中にあって、一方が他方を駆逐し、排除することによって、ディスコミュニケーションを「克服」することを目指すもののように感じられます。しかし、そのような考え方は、根本的な自己矛盾を孕んでおり、本当の意味での自由や多様性、個性を蝕んでいくこと、そしてなによりも憲法が掲げる平和主義を捨て去ってしまうことは明らかだと思います。
 宮沢賢治は、昭和8年9月21日に当時まだ無名のまま亡くなっており、戦中戦後を通じ、宮沢賢治がどのように考えたか、知る由もありません。しかし、宮沢賢治の作品が、脆い理想主義と異なり、普遍性を持っているのは、それらが自分という存在の小ささ、認識の曖昧さを自覚することから出発し、等しく曖昧で弱い存在への共感が込められているからだと思います。
宮沢賢治の詩に、『くらかけの雪』というのがあります。
     たよりになるのは
     くらかけつづきの雪ばかり
     野はらもはやしも
     ぽしゃぽしゃしたりくすんだりして
     すこしもあてにならないので
     ほんたうにそんな酵母かうぼのふうの
     おぼろなふぶきですけれども
     ほのかなのぞみを送るのは
     くらかけ山の雪ばかり
吹雪の中で何もかもがくもってしまって、見えているのかいないのか、少しもあてにならず、自分自身の存在すら覚束ないけれども、遠くのくらかけ山に積もった雪だけは、確かな輝きをもって、ほのかな望みを送ってくれる。
 憲法9条は、あらゆる人にとって「ほのかな望み」であり、等しく希望を与えてくれるかけがえのないものだと思います。
河瀬  真
第11回 WPFに参加して(その2) 
3.「北東アジアにおける和解と平和」のworkshopでは、ノルウエーの平和研究者が書いた台本をもとに討論が行われた。台本は、戦時中の日・韓・中・米の政治家、零戦搭乗員、核爆弾投下飛行士、広島の被爆者、従軍慰安婦、南京の犠牲者等各自が、戦時中何をしていたか、振り返ってどうすればよかったか、これから何をすべきか、を自問自答するモノローグで構成されている。立場の違う者がまずは他者の声に耳を傾け、そこから和解の糸口を見いだそうという試みかと思われた。
 ところが朗読が終わるやいなや、中国、韓国の参加者から、従軍慰安婦や南京の被害者に選択の自由はなかった、なぜ被害者に反省させるのか、戦争責任をどう考えているのか、という激しい抗議がなされた。ただその後の討論では、「中国人は日本人を許す準備はできている、中国人が怒っているのは現在の日本政府に対してである」という中国人参加者の発言があり、「日本人」と「日本政府」をはっきり区別していることを示した。また、歴史認識に関する対話が必要という意見に対し、日本の大学に留学中の韓国女性から「日本人学生が歴史を知らないので対話にならない」との耳の痛い指摘もなされた。
 それにしても、抗議する中国人らの姿に、一方では我が国の戦後処理が終わっていないことが実感されたが、他方、進行役の若手平和学者の日本女性が臆することなく懸命に英語で説明していた姿には、未来への一筋の希望を見る思いであった。
4.Peace Walkでも、ブラジルのサンバチームはひときわ目立っていたが、WPFの各workshopでは、南米の元気さが際だった。
 日本国憲法9条がテーマのworkshopでは、コスタリカの25歳の青年から、彼が原告となってイラク戦争を支持した自国政府を訴え、違憲判決を勝ち取ったことが報告された。コスタリカの憲法法廷は、米国政府にそのホームページ上の有志連合リストからコスタリカの国名削除を求めるよう、行政府に命じたとのことである。
 「女性による平和と正義」がテーマのworkshopでは、ベネズエラの女性から、親米政権にとって変わったチャベス大統領による手厚い福祉政策(大学まで授業料無料、シングルマザーへの住居確保などの保護、子供の食費完全保障など)が次々紹介され、その都度会場の女性参加者から盛大な拍手が起こった。同国は世界有数の産油国でありながら深刻な貧困問題を抱えており、同大統領は、貧困と不平等の克服を理想に掲げ、新自由主義を進めようとする米国の圧力に敢然と対決している。
 ボリビアでは1990年代、米国系企業が公営の水道事業を民営化させて支配し、高額な水道料に怒った国民が死者まで出すような猛烈な抵抗運動をした結果その企業を撤退させ、これが南米諸国における米国の新自由主義政策への抵抗運動の嚆矢となったとのこと。会場では、ボイコットする米国の大企業名を連記したボリビア製のTシャツが販売されており、私もつい買ってしまった。
後藤 玲子
第10回 WPFに参加して(その1) 
1,今年6月23日〜28日カナダ、バンクーバーで開催されたWPF(World Peace Forum)に当会事務局の落合さんと参加した。今世界各国の人たちがなにを考え、どんな平和運動をしているか等を実際に見聞きしたいという好奇心が、「そんな英語力で?」という気持ちに勝った。
WPFは、3年前米国のイラク侵攻反対の世界1000万人デモを契機に、バンクーバーの平和団体が平和のための会議を世界に呼びかけ今回の開催にこぎつけたもので、参加登録者は世界の各国から5000人にものぼった。
メイン会場はUBC(ブリティッシュコロンビア大学)であるが、市内の公共施設、劇場、レストラン、教会も分科会会場となり、6日間、朝から夜まで、平和に関するさまざまなプログラムがぎっしり組まれ、参加者は各自の興味・気力・体力・手持ち時間に従って各会場に足を運ぶ。当会を紹介する英文のペーパーを作成し、例のシールと共に各会場に置き、しっかり当会のPRに努めた。
2,アジア地域問題をテーマとする会議では、冒頭パネラーの日系カナダ人からある発表があった。それは、19C末から20C初頭にかけてカナダ政府が中国人移民のみに課した高額な人頭税について、なんとWPF開催の前日、カナダ首相が人種差別によるものだとして正式に謝罪し生存者への補償を約束したというのである。会場はどよめいた。第2次世界大戦中の日系人への差別的扱いについては、すでに1988年から補償を開始しており、これらはいずれも被害者が長い年月補償を求め続けた結果であるという。「裏切られた民主主義を正すことを怠ればいつかまたこのような不正義が繰り返される」「被害者は沈黙を克服せねばならない」「平和を守る為には一瞬たりとも油断はできない」と結んだ発表者の言葉が胸に響いた。
続く発表者は北京の女性弁護士。日本の戦後補償に関する日本政府の対応と司法判断を非難するもので、前述のカナダ政府の対応とは対照的な日本の姿勢が浮き彫りになり、日本人としてはやるせない思い。これって愛国心?
続いてのパネラー、立命館大の君島明彦教授は、日本国憲法は東アジア民衆のための規程であり条約でもある、「平和を愛する諸国民の信義を信頼」することは普遍的な安全保障の追求であり、そのためには大日本帝国の負の遺産を克服せねばならないが、日本国民は負の遺産(戦争責任)を軍部のせいにして主体的持続的に考えることをせず、その結果平和主義は被害者平和主義として今日に至った、日本の平和は戦後補償の誠実な処理によりアジアの信頼を得てもたらされる、そして一般論として、国家に戦後補償をさせることは将来の戦争の抑止力にもなりうる、国家に埋没しない市民を育てることが重要である、と話された。逆行する日本の現状が情けない。 
後藤 玲子
第9回 総会での25分発言 
弁護の仕事=「疑似経験」を通じて、「失ってしまったことの大変さ」を強く感じた。目に見えない抽象よりも、一人ひとりの喜怒哀楽を形にしたのが13条であり、憲法なのではないのか。自分は、9条を守る活動は当たり前のこととしてやっている。折角苦労してとったバッジを、弁護士としてだけでなく生かしていきたい。変化の時に、座標軸を変えないことの大切さを胸に刻んで、若い人を重点にどんどん会員を増やしていきたい。
津久井 進

平和な時代に生まれ、空気のような存在の「9条」の話にヒューマニズムや優しさを感じていた。自分の世代は、「政府を疑わない」気持ちが強い。最近、知覧に行ったときに買った本や、「聞けわだつみの声」を読みなおした。17歳の特攻隊員の「走り書き」や、「真理を求めて止ま」ずに逝った20歳の学生の手記に、胸が痛む。「戦争は、政府によってもたらされる最大の人権侵害だ」を肝に銘じて、9条の会の活動に頑張っていきたい。
荻野 正和

小学校にあった原爆の写真、講堂で見た原爆の映画、そして355万人が亡くなった朝鮮戦争、これらを通じて戦争の悲惨さを知った。若くして「自死」を強いられた人たちへの「倫理的想像力」を研ぎ澄ませること。イラクでとらえられた3人、その「思い」を知ったとき、自らを安住の地に置いていることがショックだった。本当に仕事が忙しいからこそ、そこから自らを解き放っていかに行動に踏み出すか、それが今、求められている。
羽柴 修
第8回 希望を持って憲法を守っていく 
大学に入った20年と少し前、初めて憲法の授業を受けた。環境関係のデモに参加しビラを配ったり、学祭のために捨てカンを失敬して警察に職務質問されたり(もちろん微罪処分です)、憲法が自分の身近にあって輝いて感じられた頃だった。受験時代になって憲法は単なる受験科目になり、弁護士になってからは憲法を意識することすらどんどん少なくなった。
国会で法律が強行採決されるのは日常となり、自分が少し関係した選挙では投票率の低さや理想や政策よりも「どぶ板」や「知名度」が圧倒的に勝負を決するという現実を知った。民主主義や憲法は、日本では絵に描いた餅にすぎないのではないかと醒めた思いに陥った。
そんな中、1年程アメリカで学ぶ機会を得た。もちろんアメリカの民主主義も(ご存じのように)まったく理想とはほど遠い。また、各国の公益活動をしている弁護士の話を聞く機会があったが、どこもなかなか厳しい状況のようだ。
フィリピンでは憲法上の権利を追求しようにも裁判は時間と費用がかかり「裁判官が腐敗」しているから訴訟は最悪の選択だというし、ケニアでは40年程前に独立した際の麗々しい憲法は一党独裁のもとで空文化しているので民主主義の理念に沿った憲法改正を試みていると言っていた(その後、憲法改正国民投票で否定されてしまったらしいが)。
地球上のどこにも理想の民主主義は実現していないようだ。
けれども誰もが民主主義の理念を否定しないし、民主主義を掲げたそれぞれの国の憲法には希望を持っていた。
日本の憲法は世界に誇れる内容だ。これからも希望を持って憲法を擁護していきたい。
永井 光弘
第7回 憲法記念日に9条を想う
1 この原稿を書いている日は5月3日、憲法記念日です。はりま有志の方々が、憲法集会を実施して下さり、私も集会に顔を出させていただきました。毎年、憲法集会に参加した直後は「護憲のためにがんばろう!!」と意気上がるのですが、果たして自分はこれまで何をしてきたのか・・・。反省の念は尽きません。
2 ここ数年、9条に関する新聞の論調も大いに変わってきましたが、まずい風潮だなぁと思いつつも、これまでは護憲のために具体的行動を起こすこともありませんでした。しかし、昨年以降は、郵政民営化選挙から自民党が圧勝し、国民投票法案や日米同盟の「新段階」化等、どんどん改憲の足音が迫ってきていることを肌で感じます。この急激な変化を見るに、怠け者の私も、そろそろ何とかしなければならないと焦り始めました。
3 先日、大学時代のゼミ生同期と、飲み会の合間に少し9条の話をしました。大学時代の仲良しで、現在は東京で働いている彼らは皆、予期に反して改憲賛成派でした。「他国に攻められたとき、国に守ってもらわないと困る。」という言葉から、「自分の子供が出征することになったとしても、それは仕方がない。」という信じられない言葉まで出てきて、同級生との考え方の違いを見せ付けられた思いでした。ビジネスの一線で働く彼らの意見を聞いていて感じるのは、良くも悪くも淡々としており、「崇高な理想よりも生の現実を直視せよ。」という感じで、マキャベリの考え方をそのまま見るようでした(尚,マキャベリズムは単なる「権謀術数」を意味するものではありません)。
4 しかし、「国に守ってもらう」というものの、自国の権力者との関係でのリスクを考える必要はないのでしょうか?改憲問題を見るとき、あたかも第三国からの日本への攻撃から身を守るためであるかのように議論されてきたが、現実の米軍再編を見ると、アメリカのコマとして世界戦略の片棒を担ぐ役割を担わされようとしているように思えます。
政府の聞こえの良い説明にばかり聞き入っていると、我々はとんでもない方向へと導かれてしまうのではないか。第三国の信義を疑いながら、アメリカと自国の為政者のみ、その信義を信頼するというのは、余りにも偏っているのではないでしょうか??
5 今日は憲法記念日ですし、これを機に、自分の思いを少しでも多くの方々に聞いていただく活動をしていきたいと思います。また、機会を得て,神戸の先輩会員諸氏と、憲法談義をご一緒させていただけると幸いです。
荻野 正和
第6回 世界の人々が分かり合えるために
「わたしと憲法」の初めての関わりは、遠く私が中学2年生のときに、加古川市内の弁論大会に中学校代表として参加し、いわゆる教科書検定を批判したことに遡る。
もう20年以上も前のことであるが、当時からすでにわが国政府は、先の大戦での日本のアジアに対する「侵略」を「進出」と書き換えるなど、歴史の美化を試み、アジア諸国から厳しい批判を受けていた。
当時は事の本質を何も理解していない中学生だったが、弁論大会で私は、これら政府の行為は、わが国の暗い過去に目を閉ざそうとするもので、中国等近隣諸国との友好の芽をつみ取る、非常に憂うべき行為であると、(今から振り返ると自分でも顔が赤くなるような)爽やかな弁舌をふるったのであった(因みに、その弁論の題名が上記表題である。)。 
それから20年を過ぎ、幸いにして私の考えは変わらなかったが、不幸にして教科書検定の現実もまた、全く変わっていない、否それどころか、ますます統制が厳しくなりつつあるように思える(先日の朝日新聞の社説でも批判されていたが、「現代ではペットを家族の一員と考える人もいる」と書いただけで、文部科学省から修正意見が出されるそうな。)。 
私は常日頃から、わが国の行く末は、それを担うべき若者たちに創造力や批判精神の豊かな心を養える教育がどの程度実現できるかにかかっていると考えている。現在のような国家権力に対する批判精神を抹殺し、同じことを同じ見方で教え込む画一的な公教育は、国民全体をある意味で総白痴化する結果に陥りかねない。戦前の日本国民が、あの無謀で愚かな戦争に何故に抵抗することができなかったのか、それは一面で、当時の国民がそうした戦争の本質を見破る力を持たなかったことにも大きな原因があると思う。その意味で私は、憲法9条の平和の理念と並んで、これと密接な関係に立つ、言論・思想・教育の自由という憲法の根本理念を今後ますます確固たるものにし、発展させていくことが重要だと考えている。 
いま巷では、憲法9条改正と並んで、憲法前文に「愛国心」を盛り込むかどうかや第2の憲法とも言われる教育基本法の改正が大きな政治論議の対象になっている。いずれもわが国の将来を決定付ける大問題である。中学2年の弁論大会に出たときのような蒼々たる気持ちで、同志の方々とともに頑張っていきたいと決意を新たにしている。
竹内 文造
第5回 真の「理想の平和」を実現するために憲法ガンバレ
わたしと憲法は切っても切れないご縁です。
なぜなら,私が生まれた日は5月3日の憲法記念日なのです。だから,同じ誕生日を持つ憲法には小さいころから妙な親近感を持っていました。子どものころには"ゴミの日だ〜"などと悪口を言われたこともありますが,幼いなりに,この国で一番最高の法の日であるという自負心や,誇りを感じていたような気がします。
ちなみに,わたしの義母の誕生日は11月3日の文化の日です。この日は"平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して「自由と平和を愛し文化をすすめる」国民の祝日に定めた"とされています。つまり,憲法が高らかに訴える自由と平和こそ文化であるということが,当時の国民的なコンセンサスだったという痕跡が今も残されているわけです。
いわば,わたしたちの国は年に2回も憲法の誕生を祝っている国なのです。そうすると,とても憲法を大事にする国なんだ!,ということになるはずです。
ところが,悲しいことに,今や憲法は祝いや希望の的というよりも,攻撃や批判の的にされつつあります。改憲論者の中には,ホントに"ゴミ"のように扱うかのごとき発言をする方もいます。憲法に妙な親近感を持つわたしにしてみれば,志を高くもった心清き尊敬すべき身内が,利得に惑う世俗の中傷を受けているような気がしてなりません。本当に悲しいことです。 憲法はまもなく還暦を迎えます。しかし,「普遍と永遠」を謳う長寿であるべき日本国憲法にとってみれば(世界的にみても憲法の平均余命はとても長い。),まだまだ壮年,いやいや思春期といったところでしょう。確かに,思春期には思い悩むことも多いことでしょう。しかし,ここで彼女(米国)の歓心を買わんがばかりに肉体(武力)の増強に走るのではなく,むしろ,心と頭脳をしっかり鍛えて精神的に一皮むける成長を成し遂げ,真の「理想の平和」を実現するために頑張ってもらいたいと心の底から思います。
憲法は,いよいよこれから真価を発揮すべき時期を迎えます。他方,今がまさに正念場です。わたしは,しっかり憲法を応援していきたいと思っています。
津久井 進
第4回 次世代に「9条の心」を引き継ぐ 
昨年の「9条の心」を前に、H先生から「9条ファッションショーにモデルで出てほしい」と言われました。何で?×!?けれど平素のH先生のご奮闘を思うと断れず、苦肉の策で身代わりに15歳の愚息を出演させることにしました。親に似ず、心臓が毛むくじゃらかと思えるほどの出たがりで、食べることバスケットと女の子のことしか頭にない高校生です。この子のいい加減な母親は、ただ自分に降りかかる災難を避けるためにだけ子どもを引っ張って行ったわけです。ところが、愚息がこれをきっかけに9条問題に関心を持つようになったことは有り難い誤算でした。
学校のことをあまり話さない子ですが、「9条の心」終了後は、「ホームルームの時間をもらって当日の講演内容や、アーティクル9の人達に出会った体験を報告したい」と担任に持ちかけたといいます。9条改正についても友達と話題になっていた様子でした。
丁度そのころスピーキングの授業で「今、日本は9条の問題で岐路に立っている。この科目の目的は、『平和』をどう実現するかについて、自分の言葉で世界中の人達と語りあえる英語力を身につけること、これに尽きます」という話があったことに心底共感したそうです。平素の能天気ぶりを熟知する親にとっては、実に驚くべき現象でした。今の義務教育では憲法学習に時間をかけません。授業で「前文」を書き写したり暗唱した親の時代ははるか遠いのですが、「9条の心」は、そういう教育を受けてきた高校生にも、平和の尊さを知らせる強い訴えかけとなったようです。
昨年夏韓国で、アジアの平和を考えるシンポジウムに参加したとき、世代を問わず人が集まり、若い参加者も多いことに気づきました。日本では中高年と若者が場を共有すること自体が少ないと思います。ファッションショーに出たくない一心で子どもを参加させた私ですが、平凡な高校生も、ちょっとした機会に出会えば平和と9条について考え出すのを知り、次世代に「9条のこころ」を引き継ぐ責任は大きいと痛感した次第です。本年3月のイベントも、若者への熱き訴えかけとなることを期待しています。
梁 英子
第3回 「9条の危機」は「平和の危機」 
昨年は、戦後60年ということで、多くの人々の戦争体験が語られた。
私は、敗戦の時幼少だったし、田舎に住んでいたので直接体験はなかったが、同級生の何人かは父が戦死し、隣近所には、出征した息子が帰らない家があり、我家でも叔父がシベリアに抑留されていたし、「ひろしま」など戦争映画も観たり、本で読んだりもしていたので、戦争の悲惨さと残酷さは当たり前のことであった。
中学校で憲法を習った時、「男女平等」と「戦争放棄」に大変感動したこと、社会科の授業で憲法前文を暗記させられたこと、学校で弁論大会があり、クラスから弁士に推されて、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ことがないように訴えたことなどが懐かしく思い出される。 
最近、家永三郎著「太平洋戦争」(岩波現代文庫)を読んだ。軍の中国での暴走と残虐、それを阻止できなくなっていった過程、公教育の権力統制による愛国心と戦争への意識醸成の仕組み、マスコミは報道の自由を、文学・芸術・演芸は表現の自由を失い、戦争批判が抑圧され裁判さえも戦争協力制度と化してゆく経過、国家総動員体制の下での理不尽な人権侵害の数々、「一億総玉砕」「国体護持」のためにないがしろにされた国民の命等々、十五年戦争の全貌が莫大な資料に基づき、あらゆる角度から詳しく検証されている労作で、確固たる信念を持って教科書裁判を闘い続けられた著者の平和への熱い想いが感じられる。 
私達は、「9条の危機」というより、むしろ「平和の危機」に直面している今、権力の過ちから戦争の泥沼に陥り、自国、及び他国民の生命を奪い、人権を踏みにじった我国の歴史を振返り、憲法9条は、戦争の惨禍によって購われた国民のみならず、人類の宝ものであることを心に銘記すべきであると思う。
松重 君予
第2回 
憲法九条第一項をそのままにして第二項を変えようとする意見がある。 しかしこれは、憲法第九条の精神を全く理解しないものである。国際紛争を解決する手段としては一切の戦争を否定するのが第一項の規定であるから、第二項で自衛戦争を認めるのは明らかにこれと矛盾する。即ち、第九条は、世界に先がけて、あらゆる戦争を否定し、日本が平和を希求する大理想を宣言したものなのである。
私は自衛戦争の名において行われてきた戦争が多い過去の世界歴史に省み、この九条が訴える理想こそが、今こそ日本の憲法の最も尊重されなければならない所以であると確信するものである。
平和を守るための戦争という言葉自体が、平和を守るために平和をつぶそうという矛盾したナンセンセであることを自覚することが必要である。
北山 六郎
第1回 「いつか来た道へ 戻るのか」
今、日本は自己を見失っているようである。誰がこのような国にしたのか。あの忌まわしい戦争の記憶を遠くに追いやって、暴力の最たる行為である戦争を肯定しようとしている。憲法第9条第1項をそのままにして、第2項で戦争を肯定し、それで平和を希求するなど全くナンセンスである。
アメリカとともに戦場へ日本の若者を送り込んで、世界に平和が来るとでも考えているのか。 イラクでのアメリカを考えれば、それがアメリカの聖戦である。その戦争は憎しみを生み、限りのない暴力の連鎖を生み、多くの良民が犠牲となっている。被害は常に弱者である。
我々は、もう一度戦争の悲惨さを知り、日本国憲法の制定当時に思いを馳せて、憲法第9条を守る戦いに、平和を守る戦いに赴かなくてはならない。
中尾 英夫

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