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 モーツァルト ピアノ・ソナタ第9番ニ長調K.311

 モーツァルトというと、数少ない短調作品ばかりが優遇され過ぎているような気がします。
 実際、私個人はモーツァルトの短調はそれほど好きではないのです。たとえば交響曲では第25番と40番がともにト短調で、もちろん大好きではあるのだけど、私なら第38番や41番をとるし、ピアノ協奏曲でも第20番や24番よりは第22番、27番をとりたい。モーツァルトの短調に独特の魅力があることは認めますが、毎日聴きたいかと言われると「それは、勘弁」となってしまいます。
 では毎日聴きたいモーツァルトとは? 私にとってそれはフルートとハープのコンチェルトであり、K.454、K.481、K.526のヴァイオリン・ソナタであり、オーボエ四重奏曲やフルート四重奏曲なんです。ピアノ・ソナタで言えばK.330や、ここに挙げるK.311ということになります。
 求めているのはやはり、モーツァルトならではの底抜けた天真爛漫さなんですね。短調が悪いというのではなく、いつも空気のように吸っていたいのはこうした二心のない長調なんです。どんな気分のときでも、こういったモーツァルトならば聴くことができるのです。
 特にこのK.311は楽しい。しかしただ楽しいのではなく、混じり気がなくて嫌味もない。音符が活き活きと弾んでいる。思わず口ずさみたくなるほどの愛嬌をもったソナタなのです。このK.311とハ長調のK.330、そして変ロ長調のK.333が、モーツァルトのピアノ・ソナタの中ではお気に入りです。
 この曲はモーツァルトのいわゆる「マンハイム・パリ旅行」のときに書かれましたが、成立年月日など詳細な情報は解明されていません。一説には1774年ミュンヘン滞在の折に、フォン・フライジンゲン家の令嬢ヨーゼファから作曲を依頼され、このときは中断されてしまったものの、マンハイムでそれを再び取り上げたとも言われますが、真相は謎。
 モーツァルトのピアノ・ソナタの定型である3楽章形式はここでも変わりません。ソナタ形式の初楽章、歌謡風の緩徐楽章ときて、弾むようなロンドに落ち着きます。が、内容を仔細に見ると意外に紋切り型ばかりとは言えず、様々な工夫や新機軸が盛り込まれていることに気づかされます。


 第1楽章アレグロ・コン・ブリオは、いかにもモーツァルトらしい快活な第1主題に始まります。17小節目からはイ長調の第2主題ですが、モーツァルトの他のどんな曲でもそうであるように、彼のソナタ形式ではこの2つ以外にも魅力的で美しいメロディがたくさん登場します。7小節目、28小節目に現れる旋律などがそれにあたりますが、重要なのは後者のもの。
 展開部は独特です。第1主題はまったく扱われません。代わりに第2主題やその他の副次旋律が活躍します。展開部冒頭は主題ではなく、提示部の終わり2小節で使われた俗に言う「ため息音形」を短調で模倣したもの。しかもこれが展開部前半を占める重要なモティーフなのですから、変化球もいいところです。この音形に第2主題の倚音の要素が絡みます。48小節からは「ため息音形」のみとなり、ダイナミクスもフォルテになってひとつのクライマックスに発展します。この後に登場するのが提示部28小節目に登場した副次旋律。そこから16分音符の走句に受け渡し、展開部を終えます。
 そして再現部もまた変化球。なんと第2主題からの再現です。第1主題は徹底的に差し控えられます。しかしここへ至る経過は至極自然で、まるで元々そういう曲であったかのようになめらか。このあたりはモーツァルトの天才をまざまざと見せ付けられる思いがします。第2主題の確保でにわかにニ短調に転じるのも極めて効果的なアクセントです。ここから展開部でも活躍した副次旋律に入り、終結に向かうと思わせるのですが、提示部を締めくくった「ため息音形」はもはや登場せず、行き着く先はなんと第1主題! ここにきてようやく、です。しかもこれがまたコーダの開始をも担っているわけで、こういう再現部は非常に珍しいと言わなければなりません。最後は印象的な偽終止があり、今度こそ「ため息音形」が結びます。
 第2楽章はとても愛らしい、まるで無言歌のような緩徐楽章。ト長調の主題が醸し出す濁りのない響きに、聴き手は我知らず微笑まずにはいられません。こういう穏やかな微笑みを提供してくれるのがモーツァルトだと、私は思います。8小節からなるこのシンプルな主題は、再現されるたびに極めて繊細な装飾が施されます。そしてニ長調で始まる第2主題もなんと心地良い響きなのでしょうか。晴れ渡る空にひばりが舞い上がるような、まったくすがすがしい主題です。
 短いコーダでは、モーツァルトには珍しく広い音域を使った左手が現れます。これはペダルを使わないと効果的に弾けないので、もしかしたらすでにチェンバロではなく、ペダル付きのピアノを想定していたのかもしれません。
 第3楽章のアレグロは、狩りのラッパの音がエコーする活気溢れるロンド。主題は装飾音を効果的に使った魅力的なものです。これに対し第2主題はイ長調で、レガート主体の強い対比性をもったもの。規模は大きいながらも基本的には型通りの提示部です。
 第1主題の再現を挟んで中間部に入りますが、同音連打が特徴的なロ短調の主題はそれまでのはつらつとした気分を一新させます。様々な転調を経て、左手の連打和音が耳をひくクライマックスを築きますが、この後にやってくるはずの再現部はおあずけ。その前にレチタティーヴォ風のカデンツァが挿入されています。モーツァルトの天才性はソナタの枠を超え、協奏曲的なイメージにまで膨らんでいたようです。以降、ほぼ型通りの再現部があって、華やかに曲を閉じます。


 録音の数多あるモーツァルトのピアノ・ソナタですが、不思議と私の手元には数がありません。しかしその中でもマリア・ジョアン・ピリスが弾いたものは大好きですし、聴く頻度としても多いです。ピリスのモーツァルトはまるで生命をもっているかのように活き活きと弾み、躍動しています。しかもそれがあくまで自然体で、モーツァルトの節度ある美観をいささかも阻害しないのです。天性のモーツァルト弾きでしょう。彼女の弾くモーツァルトでは、有名な「トルコ行進曲」付きのものだけは私の好みに合いませんが、どれも高い水準に達しており、全集で買っても損はないでしょう。
 もう1枚、以前は惚れ込んでいた演奏として、リリー・クラウスを。彼女の弾くモーツァルトは、ピアノ・ソナタがとにかく素晴らしいです。協奏曲も録音していますが、私はあまり好みません。同じモーツァルトのはずなのですが、クラウスはもっぱらソナタ弾きとして私に認識されています。
 クラウスの弾くモーツァルトは決してなよなよしていません。唐竹を割ったような鮮やかさがあります。やや直截すぎるきらいがあるので、最近はピリスほどに聴かなくなりましたが、恰幅のいい堂々たる演奏と言えましょう。

2007.7.18.

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