K市D町
内川ダム建設に伴い、昭和45年に閉町、水没した町。
閉町時には約20世帯、40人余り、明治時代には200人以上が住んでいたという。
内川ダムとの分岐点からさらに進むと、市道にも関わらず、通行を遠慮するよう表示した看板あり。
水没に至らなかった山腹の急斜面は、D町住民の私有地であることを表示した看板あり。
山腹に開かれたダム周回道路を進む。
かつて、旧鶴来町との交通路があった風吹峠の麓に、石碑がある。
大正時代の雪崩犠牲者の碑である。
周回道路からD町跡を俯瞰する。
中央奥から左側にかけての平坦な土地がそうである。
現在、水が満ちている箇所が元の内川の流れ。奥が上流。
拡大すると護岸が見える。
K市K町
昭和45年には世帯数27、人口73、明治初期には49戸、350人がいたという。
昭和29年に金沢市に編入する前は内川村大字後谷。
下流のD町が水没した一方で、K町は水没を免れたが、昭和47年に閉町した。
ダム周回道路を進み、D大橋を渡りK市企業局の施設の地点で既設の道路と合流。
内川沿いの道路を遡ると、道路際に耕地が散在するようになり、内川小中学校K分校跡に達する。
さらに奥に進むと、電気、水道といったライフラインがないものの、閉町以前からの住居、閉町後に建てられたと思われる住宅が散在。
整地された住居跡には耕作など管理している形跡あり。
K町出身者が定期的に来ているものと思われる。
集落にある神社は平成14年にN神社と合併。