平成17年4月で、この小さな鷹巣町はいわゆる「平成の大合併」により隣接する
合川町、森吉町と一つになり、「北秋田市」となりました。現在の鷹巣地区には
昔この地を舞台とした「白鷹の仇討ち」伝説がありました。私の小さなころには
学校の先生やお年寄りによって語り継がれ内容には幾つかの種類があったように
記憶しております。帰郷し、少し寂しくなった町で治療院名を模索していた時が
丁度、北秋田市の誕生と重なったことや、治療院のテーマに「家族愛」もあった
ことがあり、これも何かの縁と思い、恐縮ではありましたが治療院名に、この伝
説を頂こうと考え、「白鷹堂」と致しました。
 現在、この伝説を知っている方は30代以降の方が多く、若い方には殆ど知られ
ていないようです。『仇討ち』そのものが時代に受け入れられないのかも知れま
せん。今回この伝説を紹介しようと図書館で文献を紐解いたのですが、私の記憶
するものは見つからず、鷹巣町史の巻頭といくつかの町史研究誌の中に2つの短
編を見つけるのがやっとのことでした。伝説であるので、てっきり全て作り話し
かと思っていましたが、登場人物や場所は全て実在しており、この物語が出来た
経緯などもいずれ調べてみたいと思います。さて、これからその伝説をご紹介し
たいと思います。

 鹿角の里から、米代川の右岸狐台村(中岱の西方)に斎藤伊勢1)が移り住んで既
5年になった移住当時は30戸にすぎなかったこの開拓村も、いまでは隣村の肉
(シシリコ村、現在の綴子村)の支郷・石ノ巻村と合わせて数倍にふくれあが
っている。

「民心を安定させるには、まず祖先を敬い、神を奉る心を植えつけなくては」、
慶安元年
(1648)1村の肝煎役(きもいりやく)2)として開拓農民をひきいる伊
勢は、かねての計画どおり村に
1寺を建立することになり、あすは佐竹氏の家老
小山縫殿丞
3)とあうことになっていた。

 

 その会談の胸算用をかためながら家路につこうとする伊勢のスゲ笠を、大きな
黒い影が横切った。穂なみのゆれる田んぼを
1羽の大鷹が、悠然と飛んでゆくの
だ。村はずれの大ケヤキに巣くっている雌雄の鷹の
1羽にちがいない。

 

 伊勢は宿望がかなえられ比内の里・宗福寺から存鷹禅師4)を村にむかえて、浄
運寺
5)を開基できご満悦であった。

 ある日、寺僧のすすめる薄茶をいっぷくすすりながら、陣場岱(じんばたい:
地名
)の深緑に二人が目を移した時、存鷹禅師が現われ、もの思いにふけってい
る感じがした。

 「どうしたのですか?」と伊勢、存鷹禅師はおもむろに「うーん。かわいそう
なことをした。例の大鷹が殺されたのじゃ」「それはまたどうしてですか」「ど
こからきたか素姓の知らぬ荒鷹が、あの大ケヤキに舞い降りて、雄の鷹を食い殺
してしまったのだよ。雌鷹の留守のうちにね」
「あの仲の良い夫婦
(めおと)の鷹が・・・」「雌鷹はさきほど帰ってきたが、そ
の死骸を見つけ悲しげに鳴いていた。付近のものたちもはじめてこの次第を知っ
た様だ」伊勢の明るく弾んでいた心が一瞬くらくなった。

 夫婦の鷹の住むケヤキの大樹は樹齢500年あまり、うっそうと繁る枝々は開拓
村の洋々たる前途を象徴するものであり、夫婦の鷹の仲のよさは一村の睦まじさ
を物語っていたからである。

 

 愛する夫を奪われた雌鷹は、それから数十日、おい繁る枝影の巣にこもったま
ま姿を見せなかったのだ。伊勢にとっては気がかりであった。ほんのりと空があ
かむころ、突然、異様な鳴き声が聞こえ、雌鷹が飛び立ったのである。「あの巣
の中には、きっと何かあるに違いない」伊勢は部落に向かって走った。

 村人をかり出した伊勢は、木のぼりの上手い若者に鷹の巣をのぞかせた。「だ
んな様、
1分のサシ毛もない真っ白な子鷹です。まったくめずらしいことで」若
者は降りるのももどかしげに報告した。

 白鷹は、むかしから吉祥を示すものとして珍重されていた。亡き夫を慕う悲し
みが凝って
1個の卵となり、奇瑞(きずい)の白鷹を生んだという話は、村から村
へ伝えられ、比内の城主の耳にも入った。「奇特な話だ。明年は天子さまご誕生
のお祝いがある。その時、献上するので当城で飼育したい」話題の白鷹は鷹司た
ちの手によって城に移された。狐台の開拓村はその時から近隣の注目をひいた。


 それから数日後、佐竹氏の家老小山縫殿丞が伊勢を訪ねてきた。顔色が青い。
「伊勢殿大変じゃ。例の白鷹が姿を消した。お城は大騒ぎじゃ」「えっ、すでに
天子さまに献上の内示までされたあの白鷹が」

 存鷹禅師と3人で顔を見合わせて相談しているところへ、お城からの使者が急
を伝えた。「家老殿、白鷹が帰りました」「おお、なんということ」「それが不
思議です。白鷹より数倍大きい荒鷹を捕え食いちぎっているのです」「なに、荒
鷹を!、そうか、それは父親を殺した荒鷹ではないか」存鷹禅師は手に持った鉄
如意で、バシッと縁端を叩いた。



比内の大館城主佐竹氏は、この小説よりも奇な仇討ち物語りを無上のひきでもの
として、主人公の白鷹に添えて時の宮廷に献上した。

 「近頃、胸のすくような話題だ、その発祥の開拓地をタカ物語りにちなんで、
鷹巣村と名付けよ」童顔うるわしく宮廷で申しわたされた。

 同時に下賜された黄金は一村をうるおし、肝煎役の斎藤伊勢は、村の鎮守とし
て、その大ケヤキのもとに社を建立した。これが鷹巣町の八幡神社
(鷹巣神社)
前身である。

                          〜鷹巣町史より〜

1)斎藤伊勢(さいとういせ):(16021672)
2)
肝煎役(きもいりやく):町内の世話役の意、東北地方では「名主」の称のこ
 と、町内の有力
者のなかで、地域の行政を任された代表者

3)小山縫殿之丞勝茂(おやまぬいどののじょうかつしげ):秋田藩大館城代家老(〜1682

4)大館市宗福寺八世快巌存鷹大和尚:(1664、寛文4928)

5)恕盛山 浄運寺:開創 慶安元年(1648年江戸前期) 町史の記載では1654年開創

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