ind

01

02

03

04

05

06

07

08

09

10


 

ふまない ねらない ねかさない

江戸流うどん打ち、その普及の意義についてU

平成16年11月1日

 

 食品の調理は人として具備すべき基本的な能力

 私たちの日常において、「自分が食べるものを自分で調理する」ということは、私たちが生きる権利を主張する前に、是非とも整え備えておくべき極めて当然な態度だといえるでしょう。

 もとより、社会は人々の分業によって成り立っていますから、自分が食べるもののすべてを自分が調理しなければならないということはないでしょう。しかし、いざというときに、自分のために調理を行って他の人の負担を軽くしたり、困っている人に変わって調理をしてあげたり、そのような基本的な貢献が十分に可能であるような技量を自ら保持していることが、人としての基本的な在り方とされねばなりません。

 

 調理ができないことの弊害

 とはいっても、食品の調理は決して簡単なことではありません。家事は一切女性任せだという男性が現在も決して少数派ではないことや、最近では、コンビニなどで買った物でほとんどを済ませるという女性さえ急速に増加していることから見ても、そのことが理解されます。

 そういうことでありますから、高齢期を迎えて、「自分が食べるものを自分で調理する」ということはいよいよ難しいこととなるのは当然で、なおのこと、「簡便で楽しい調理で、しかも美味しいものが出来上がる」そのような料理の存在が大切になります。そうでないと、外食に頼るなど非常に不経済であることに加えて、食事を抜いてしまうことになったり、食生活が片寄ったものになったり、健康の維持にも重大な影響を及ぼしていくことになります。

 

 調理は難しいもの

 調理が難しいというのは、「美味しいものを作ることが決してやさしいことではない」からです。美味しいものが簡単にできるのであれば、誰でもお腹は減りますから、他の人の手を煩わしたりお金を掛けたりする前に、自分での手作ってしまおうということになります。しかし、お腹が減っても美味しいものができないのであるなら、食は人にとって誠に重大なことですから、人を頼ったり、金銭に頼ることにもなります。

 

 「江戸流うどん打ち」の登場

 このように考えてくると、簡単な調理で美味しいものが出来上がるというものがあるならば、それがどれだけ人々の日常生活にとって朗報になるものか分かりません。まして、少子高齢社会の進展ということになればなおさらです。

 そして、そこに「江戸流うどん打ち」が姿を現すことになりました。

 

 「江戸流うどん打ち」の特徴

 「江戸流うどん打ち」は、江戸流蕎麦打ちの技術をうどん打ちに応用したものです。

 江戸流蕎麦打ちの「水回し」(粉に水を混合する技術)は非常に優れたものであり、この操作をうどん打ちに応用すると、踏むことも、練ることも、寝かすこともないまま、粉に水を混ぜ合わせたそれだけで、実に美味しいうどんが出来上がります。それは、ただそのままでは団子状になっていますから、その粒を一つにこね合わせてまとめ、後は延して切るばかりとなります。

 「粉に水を混合する技術」といっても、粉と水に決して圧力を掛けず(決してこねない、練らない)に、どこまでもふわりふわりと混ぜ合わせるだけのことです。そして、こね合わせると言っても10回以内(できるだけ少ないほうが良い)くらい、こね合わせた後は300g程度であるならそのまま麺棒で、俎板の上でも簡単に延ばすことができます。

 「江戸流うどん打ち」の加水は、小麦の栄養素が完全に活性化をし、美味しさが満ち溢れるに十分な量で行います。そのことにより、「清清しい香り、みずみずしい舌触り、適度の歯ごたえ(コシ)、密度高くほのかに甘い深い味わい(コク)」が実現されます。

 「踏まない」のですから、衛生的です。「練らない」のですから力が要りません。「寝かせない」のですから、時間が掛かりません。そして、「水を減らさない」のですから、作業が楽でありながら粉の美味しさが十分に引き出され、「身体が要求し、身体が喜ぶ」そのような、美味しいうどんを打つことができるのです。

 

簡素にして優良な結果を生む技術

 このように極めて簡素にして優良な結果を生む技術は、誰もが自分のものにしようとします。また、自分のものとすることが可能です。そして、多くの人が実践をすれば、その数だけ創意や工夫が加えられ、人々の豊かな交流が広がっていくことが期待されます。

 

 「江戸流うどん打ち」がもたらす変化

 大人も子どもも、老いも若きも、男女の区別なく多くの人々がごく自然にうどんという主食づくりに取り組むことになれば、それぞれの個人の生活に自信と楽しみが溢れ出ることでしょう。そして、家庭に地域にさまざま変化が生れます。家庭では調理を主体的に担当している者のその労苦に対し、労わりや配慮が生れるでしょう。地域では、困難や苦しみを抱えている人々に対して、自然に差し出される励ましの贈り物として、活かされていくことでしょう。

 自分を満たすことができるのと同時に、「だれかの役に立ちたい」というそれぞれの思いが具体化をして、人が人を信頼するその温もりに満ちた地域の実現に向けて大きく寄与して動き出していくのです。

 


index