CAN-DEE GRAFFITI

「藤真、どっち食べる?」
「あ、俺、抹茶の方がいい」
花形がコンビニの袋の中からアイスクリームを一つ取り出し、差し出す。それを受け取って、藤真は地面に腰を下ろした。
「それにしても、5月にしちゃ、今日は暑いよな」
公園の片隅にあるこのバスケットコートにも、春とは思えないような強い日差しが溢れている。隣に座った花形が、タオルを肩に掛けて答えた。
「天気予報だと、最高気温は26度だって」
「――うわ。夏だよな、それ」
ゴールデンウィーク中の、「行楽日和」という言葉がぴったりな快晴の休日の午後。この4月に高校2年に進級した二人は、藤真の家から程近い公園にいた。
強豪である翔陽バスケットボール部も、ゴールデンウィークの何日かは練習が休みになる。こんな日くらいは、バスケットから離れても良さそうなものなのだが。
「俺たちって、ひょっとしてバスケバカ?」
くすくすと笑って、藤真は花形を振り返る。
花形はバスケットの資料などを借りるために藤真の家に来ていたのだが、何といってもこの陽気である。家の中にこもっているのももったいない。それなら少し外に行こうという話になったとき、二人の足は迷わずバスケットコートに向かっていたのだった。
「――ひょっとしなくても、バスケバカだって、絶対」
花形が答える。
「この日差しの中、2時間近く1on1やってたんだから」
「まあ、いいじゃん。その分、冷たいものがうまいって」
アイスクリームを口に運びながら、藤真はあることを思い出して、いたずらっぽく肩を竦めて見せた。
「もっとも、いっぺんにアイス8個っていうのは、もうごめんだけど」
藤真の言わんとしている出来事に即座に思い当たったように、花形は目を上げた。そして、何とも不本意そうな様子で苦笑を返した。
「それでも、藤真はまだましだったよ。俺なんか、結局9個食べさせられたんだから」

昨年の、ちょうど今頃のことだ。
部の全体の練習のあと、居残っていた上級生の部員の間で、ちょっとした賭けが持ち上がったのである。
――ハーフラインから、1発でシュートを成功させること。
その日も春にしては気温が高く、賭けの景品はすんなりとアイスクリームに決まった。
しかし、ハーフラインというのはコート中央のことである。当然ながら、そこからのシュートの成功確率は限りなく低い。スタメンが全員残っていたこともあって、賭けに参加した選手の顔触れは錚々たるものだったが、1投目で確実に決めなければならないという条件は思った以上に厳しく、誰も成功することはできなかった。
県下一のシューターとして名高いスタメンの3年生までもが失敗し、さすがにもう少し条件を緩めようかという雰囲気になってきたとき、先輩の一人が藤真を振り返った。
「藤真、お前やってみないか?」
観客として成り行きを楽しんでいたところへ、突然降って湧いた災難に、藤真は面食らった。
「いいです、俺は」
慌てて断ったのだが、その場にいた上級生たちが、こんな面白い提案を聞き逃すはずはなかった。
「構わないじゃん。やってみろって」
「そうそう、このままじゃ、盛り上がらなくってつまらな過ぎる」
こうなると下級生の悲しさで、わけの分からぬままに無理矢理引っ張り出され、「外したら全員にアイス奢れよ」などという殺生な約束までさせられてしまった。
「それじゃ、俺がもし成功したら、先輩たち全員にアイス買ってもらいますからね!」
半ば自棄になって、藤真は口を尖らせた。何回かチャンスをもらえるならともかく、初めて打つシュートをいきなり決められるとは思えない。
もちろん先輩たちには、遊びの賭けで後輩を心底困らせるような気はないだろうから、本当に藤真に全員分のアイスを買わせることはないと思うが、それはそれで、勝ち気な藤真にとっては納得できない状況である。
ため息を付いてボールを受け取り、藤真はハーフラインに向かって歩き始めた。その耳に、落ち着いた声が聞こえた。
「――藤真が成功する方に、賭けていいですか」
驚いて振り返ると、花形が穏やかな笑みを浮かべて、先輩たちに向き合っていた。
「花形……?」
首を傾げた藤真に軽く笑って見せ、花形は続けた。
「俺は、藤真がシュートを決めると思います――だから」
高校に入って知り合ったこの新しい友人の顔を、藤真はまじまじと見つめた。同じクラスで部活も一緒だったことから、花形と親しくなるのにそう時間は掛からなかった。しかし、こんなふうに肩入れしてもらえるほど、お互いのことを知っているわけではない。
「花形」
藤真は彼のTシャツの裾を引っ張った。
「何言ってんだよ。俺が成功する確率なんて、すごく低いんだぞ。わざわざ損することないだろ」
ここで藤真がシュートを外せば、花形も先輩に奢る羽目になるのだ。
「――損なんか、しないよ」
藤真の顔を見下ろして、びっくりするくらいに確信を持った表情で、花形は言った。
「藤真なら大丈夫。そう思ったから」
藤真は、自分に向けられた信頼に感謝するよりも前に、ただもう呆れてしまった。
「お前、何の根拠もないのに、どうしてそこまで言い切れるんだ?」
そう乱暴に問い掛けると、花形はにっこり笑って、藤真の背を軽く叩いた。
「なんでかな。自分でもよく分からないけど。でも、藤真を見てると、何でもやってのけそうな気がする」

「――で、驚いたことにシュート入っちゃったんだよな、あのとき」
アイスクリームを食べ終えて、仰向けに寝転がった藤真が、空を見上げて言った。
藤真自身、シュートを打つ直前まで、成功するとは思っていなかった。なのに、腕を上げてゴールを狙ったとき、ふいに花形の言葉が耳によみがえったのだ。
――大丈夫。
穏やかに響くその声を思い出すと、気持ちがすっと落ち着いた。
ゴールがよく見えた。放ったボールの軌跡を追いながら、藤真は不思議な驚きを感じていた。
――花形のたった一言で、こんなにも自分がほっとするなんて。
綺麗にリングを通ったシュートに、体育館がしんと静まり返ったのを覚えている。そして、その後に起こった大歓声と、ちょっとばかり困った賭けの配当も。
一筋縄ではいかない先輩たちが、おとなしく奢るだけで引き下がるはずもない。賭けに参加した全員が買ってきた山ほどのアイスクリームを、花形と藤真はその場で平らげさせられたのだ。
「俺、あのあと1か月くらいアイス食えなかったなあ……」
のんびりと花形が呟く。
「だから、賭けに加わるのなんか、よせっていったのに」
寝転がったままそう言い返すと、花形は小さく笑った。
「俺にとっては、賭けじゃなかったよ」
爽やかな風が、二人の髪をそっとなびかせる。
「藤真が失敗するはずがない。成功するって信じてるんだから、それはもう賭けじゃないだろう?」
深い瞳で真っ直ぐに見つめられて、藤真は居たたまれなくなり、ふいと視線を外した。
「……そんな気恥ずかしい台詞、真顔で言うなよ」
「だって、本当にそう思っているんだし」
動じる様子もなく、花形が答える。
藤真は慌てて立ち上がった。
「――ああもう、こんな話、やめやめ」
花形の手からひったくるように食べ終わったアイスのカップを受け取り、自分のと一緒にコンビニの袋に投げ込んだ。
「俺、これ捨ててくる」
一方的に言い置いて藤真は駆け出した。
怒り出したいような、くすぐったいような、何とも複雑な気持ちで頬が熱くなってくる。
ゴミを近くのカゴに捨て、軽く息を切らしながら水飲み場に辿り着いた。勢いよく蛇口をひねり、ばしゃばしゃと顔を洗う。
気が済むまで冷たい水に手を浸し、肩の力を抜いた。
花形はいつもこうだ。臆面もなく藤真への信頼を口にする。
練習などに関しては本当に厳しくて、いつも喧嘩の一歩手前まで言い合いをするというのに。――なのに、藤真が不安になったときには必ず、花形は最上級の信頼を示してくれるのだ。
「参るよな……」
藤真は呟いて、くすりと笑った。

いつの間にか、こんなにも花形を必要としている自分がいる。

(1999.05.02)