「どーしてこういう日程にするかなあ?」
バスケットボール部の部室で、フォワードの高野が情けないぼやきを漏らした。
2学期の終業式を済ませた午後だった。緑色の翔陽のユニフォームを頭から被りながら、なおもため息を付く彼に、
「――まあ、仕方ないよ。タイミングとしては、今がちょうど良いしな」
隣でやはりユニフォームに着替えていた長谷川が、小さく苦笑しながら答える。
翔陽バスケット部は今日、津久武高校と練習試合をすることになっていた。
「選抜のときは、時間もなかったし、みんな、ただもう夢中にやってただけだけど……。今はじっくり腰を据えて練習できる時期だし、ここで練習試合をすることで、いろいろと課題も見えてくると思う」
ロッカーの扉を閉めて、長谷川が淡々と言った。
チームのエースである藤真が監督を兼ねるようになったのは、今年の8月からである。選抜の予選を経て、3年生も既に引退したこの時期に対外試合をこなすことは、試合経験の少ない下級生に実戦での感覚をつかませるためにも、また、藤真が監督としての経験を積むためにも、是非とも必要なのだった。そして、翔陽高校の近くにあって日頃から交流が深く、気心も知れている津久武高校は、そのような練習の相手として最も適している。
生真面目に返す長谷川に、高野はやれやれ、といった表情を浮かべた。高野とて、2年生でベンチ入りしたほどの実力者であり、藤真を擁して翔陽の勝利を望む気持ちは誰にも負けないという自負がある。長谷川が言っているようなことは百も承知の上で、先程のような情けないぼやきを漏らしていたのだ。
「しかしなあ、一志。今日はクリスマス・イブなんだぞ。幸せそうなカップルがうじゃうじゃ溢れてるっていう日に、何が悲しくて、野郎ばっかで汗まみれになって走り回らにゃならんのだ?」
街中が赤と緑で彩られ、美しいイルミネーションが灯されるこの季節にあって、そんな色とりどりの華やかさとは無縁の彼らだった。
恨みがましい口調で呟いた高野の背中を、後ろにいたチームメイトの永野が小突く。
「何言ってんだよ、彼女もいないくせに」
「あ、永野、そういう身も蓋も無いツッコミするか?」
振り向いて蹴りを入れる真似をしながら、お前なんぞ友達じゃねえ、と騒ぐ姿に、長谷川が笑って言った。
「でも――高野、お前、『彼女作ってクリスマス・イブ』なんて、ホントは興味ないだろう?」
バスケが好きで、バスケに夢中で。何よりもバスケをしているときがいちばん楽しい。そんな仲間の集まりである。
うっ、と高野が答えに詰まった。
自分の同類を憐れむように、永野がぼそりと呟く。
「寂しい青春だよな……」
長谷川が厳粛な顔で頷いた。
「……ああ、全くだ」
3人は顔を見合わせ――一瞬ののち、堪らずに噴き出した。
「寂しい青春、大いに結構――だな」
まんざらでもなさそうな笑いが、明るく部室に満ちる。
「藤真、津久武の川崎監督がみえたぞ」
体育館の教官室で書類を提出していた藤真に、花形が声を掛けた。
「――分かった。すぐ行く」
書類を受け取った教師に軽く会釈して、藤真は教官室を辞去する。頑張りなさい、という教師の言葉に、もう一度会釈を返した。
「……何か言われたか?」
体育館のロビーへと向かいながら、花形が低く尋ねた。
藤真の監督就任についてはかなり揉めただけに、それを快く思わない教師がいたことも確かである。彼らは事あるごとに、やはり生徒が監督なんて、と声高に言い立てた。そんなことが続いたためか、藤真に対する教師の反応に、花形はつい神経質になってしまうのだった。
「心配性だな、お前」
苦笑交じりに藤真が答えた。
「別に何も言われないよ。頑張れ、何かあれば力になるからって、かえって励まされた。あの選抜の予選が終わってからは、そう言ってくれる先生が増えたみたいだ」
9月に行われた選抜予選の決勝で、藤真の率いる翔陽は、インターハイ四強の海南大附属高校を相手に2度までも延長に持ち込み、1点差のゲームをした。敗れたとはいえ、生徒だけのチームでここまで戦い抜いた藤真たちに対して、称賛の目を向ける教師も多かった。
「分かってくれる人は、必ずいる。そうだろう?」
花形は静かに頷いた。
「――ああ、そうだな」
今まで乗り越えてきた以上の困難が、たぶんこれからも続くだろう。藤真と花形が選んだ道はそれほどに厳しいものだ。
しかし、たとえどれだけ苦しくても、自分たちの手で翔陽のバスケットを作り上げていきたい――そう願ったからこそ、二人の今はある。
「さて、川崎監督に挨拶してこよう」
藤真は強気な笑みを浮かべ、思い付いたように付け加えた。
「そうそう、主将の伍代、元気そうだったか?」
「ああ、相変わらず賑やかな奴だ。『今日こそは借りを返すぞ』なんて胸を張ってた」
「あいつ、この間だってそう言って、負けて帰ったじゃないか」
気の良い津久武の主将をひやかしながら、二人は体育館を横切ってロビーへと向かった。
ピー、と笛が響いて、体育館を満たしていたドリブルとバッシュの音がやんだ。
「チャージドタイムアウト! 津久武!」
後半12分を過ぎたところで、津久武が2度目のタイムアウトを請求したのだ。
肩で息をしながら苦しそうにベンチに戻る津久武の選手に対して、翔陽のメンバーはまだ余裕の足取りである。
練習試合の前半では、花形、長谷川、高野、永野の高さを生かしローぺースの試合展開に持ち込んだ翔陽だったが、後半になってからは一転、連続して速攻を決め、津久武の追撃を許さない。点差が開いてからはベンチの控え選手を交替で出し、スタメンが巧みに彼らをリードした。
そして、勢いに乗って花形のダンクシュートが決まったところで、堪り兼ねた津久武ベンチが最後のタイムアウトを取ったのである。
得点は52対39。
津久武の川崎監督が厳しい言葉を飛ばす。
「しっかりしろ。翔陽は藤真も出ていないどころか、スタメンまで下げているんだぞ。これほど点差を付けられてどうする」
主将を始め、ベストメンバーである津久武のスタメンが悔しそうに俯く。そんな彼ら一人一人の顔を見て、言い聞かせるように、川崎監督は穏やかな声で続けた。
「いいか、点差ほどの実力の差はないはずだ。落ち着いて相手の動きをよく見ろ。スタメン以外は、お前たちが負けるような相手じゃない。そこから切り崩せるぞ」
はい、と答えてコートに戻っていく選手たちを目で追いながら、川崎がそっとため息を付いた。
点差が開いているのは、選手の個々の能力が劣っているせいではない。翔陽のスタメンならともかく、控えの選手が相手ならば、神奈川ベスト8の津久武スタメンが引けを取るわけはないのだ。
なのにここまで差が付いたのは、藤真の判断が、常に川崎の先手を打っているからだった。
やっと捕らえたと思った途端に、メンバーチェンジでフォーメーションを変えてくる。ロースコアに持ち込まれて崩されたペースを、ようやく立て直しかけたところで、狙いすましたように速攻を繰り出される。
それらがあまりに鮮やかなので、川崎は悔しがるよりも先に感嘆してしまったほどだ。
監督になってほんの数か月の、しかもまだ高校生に過ぎない藤真が、ここまでやってのける。
川崎は自分の認識が甘かったことを認めざるを得なかった。選手としての藤真には以前から最高の評価を下していた。だが、監督としてもこれほど優れているとは、正直思いもしなかったのだ。
今日の敗因は、この私か――。
苦い笑みが川崎の頬に浮かぶ。
一方の翔陽ベンチでは、藤真が控えの選手に声を掛けていた。
「どうだ。練習試合とはいえ、実戦は緊張するだろう?」
興奮気味の選手たちに、落ち着いた笑みを見せる。
「試合のときは、普段の練習の半分も力が出せれば上出来だ。力まなくていい。――ただ、練習と同じように、一つ一つの動きを大切にしろ。特にディフェンスを丁寧に。それを心掛けていれば、絶対に勝てる」
「――はい!」
力強い声が返ってくる。ここにいるのは、1年生のときからエースとして活躍する藤真の姿を、誰よりも間近で見てきた者たちだ。だから、藤真の言っていることが、経験と実力に裏打ちされた真実であると、理屈ではなく肌で分かる。
他の者では、これほどの説得力を言葉に持たせるのは難しいだろう。選手を兼ねた監督だからこそ、できることだった。
「さあ、あと8分だ。思い切り走れよ」
藤真が選手たちをコートヘと送り出す。
毅然と顔を上げている彼を、花形が振り返った。
「このまま行くか。藤真」
選手としては試合に出ないのか、という問いだった。
「ああ。俺は、今日は監督に専念する」
答える藤真の目に迷いはなかった。今はプレイヤーとしてよりも、監督としての感覚を磨く。そうすることが、翔陽が強くなるために必要だと感じているからだった。
「――分かった」
そんな藤真の言葉に、花形も多くを返さない。
監督を引き受けたときに藤真が覚悟を決めたように、花形もまた、監督としての藤真を支えていく決心をしたのだ。
「行くぞ、ディフェンス! 1本止めよう!」
花形の声に、翔陽メンバーの、おう、という掛け声が重なった。
「今日は、本当にありがとうございました」
試合終了後、帰り支度を済ませた津久武の川崎監督に、藤真が深く頭を下げた。
「いや、こちらこそ」
川崎監督が柔らかく笑う。
「今回はうちの完敗だよ。手も足も出なかった」
そんなことは、と言いかけた藤真を、彼は軽く手を上げて制した。
「いや、さすがに、海南大附属にあそこまで食い下がっただけのことはある。海南の高頭監督も、君にはかなりてこずったのじゃないかな」
監督としての知識や経験の差からすれば、藤真は、海南大附属を率いる高頭の足下にも及ばないはずである。しかし、選抜予選での藤真の采配は、その高頭に全くひけを取らないほど的確で鮮やかなものだった。
「――そう言えば、海南、選抜で勝ち進んでるみたいだぞ」
津久武主将の伍代が横から口を挟む。試合に負けた直後はしょんぼりしていたが、立ち直りはかなり早いらしく、もういつもの笑顔を見せている。
「そうか、今日で大会3日目だな。選抜は」
花形が軽く頷いた。現在、東京体育館で行われている全国高校選抜大会。神奈川代表の海南大附属高校は、下馬評の通り順調に駒を進めていた。
「このまま進むと、準決勝で山王と当たるぞ」
インターハイの覇者、山王工業高校の名を、伍代が挙げた。
「山王、か――」
山王工業は、高校バスケット界で不動の王座にあるチームである。その伝統と強さとを思い浮かべて、それぞれの者が感慨を持った口調でその名を呟いた。
「海南も山王も、インハイの時のベストメンバーのままだ。海南としては、インハイの雪辱を果たしたいところだろう」
川崎監督はそう言ったあと、ふと藤真に目をやった。
こうして世間話をしている時の藤真は、声にも表情にも屈託がなく、普通の高校生と何も変わらない。
だが、いったんコートに立つと、彼の存在感は圧倒的なものになるのだ。
川崎の脳裏には未だに、選抜予選の決勝試合である海南対翔陽の場面が、はっきりと焼き付いていた。
後半残り2秒での同点の3ポイントシュート――ラインの更に外にいた藤真がシュートを打つとは、誰も予想しなかった。彼の手を離れたボールが、ふわりと吸い込まれるようにゴールヘ入る。
同時に鳴った後半終了の笛と、割れんばかりの歓声。
ベストメンバーで試合に臨んだ海南と違い、翔陽はまさに一からの出発だった。専任監督不在のまま、受験で引退したスタメンの穴を埋め、チームを立て直し――そして、堂々と海南と渡り合ったのだ。
その中心で翔陽を支えていたのが、藤真だった。
「――藤真君」
川崎は藤真に向き直った。
「海南との決勝、あれは本当に惜しかった。――あんないい試合は、めったにないと思うよ。素晴らしかった」
こんなふうに褒められるのは意外だったのだろう、藤真は戸惑ったように花形と顔を見合わせた。
川崎がすっと右手を差し出す。
「これからも頑張りなさい」
高校生の藤真を、自分と同格の監督として認めた、その証しの握手。
藤真が大きく目を見開いた。
「川崎先生……」
ためらっている藤真を促すように、川崎は一つ頷いてにっこりと笑う。
深く頭を下げ、藤真は差し出された手を強く握り返した。
「藤真、藤真!」
いくつかの事務を片付け、皆より少し遅れて部室に入っていった藤真に、高野がうきうきとした声で呼び掛けた。
「あのさあ、今日ってクリスマス・イブだろ。で、これから永野ん家でケーキ食って騒ごうって話になったんだけどさあ」
満面に笑みを浮かべて本当に嬉しそうな高野に、藤真は苦笑を禁じ得ない。
「……お前って、そういうの好きだなあ、高野」
理由なんてどうでもよくて、騒げれば何だって構わないんじゃないか――。
藤真がそう続けると、高野は口を尖らした。
「何だよ、いいじゃんかよ。それよりも、なあ、藤真も来いって」
制服に着替え、ネクタイを締めながら、藤真は軽く笑って答えた。
「――俺は、悪いけどパス」
「えー、何で!」
藤真が小さく首を傾げる。言おうかどうしようか迷っているような仕草だった。
「ちょっと行きたいところあるから。悪いな」
行きたいところって、どこだよ、と高野が詰め寄る。
「まさか彼女でもできたんじゃ……」
疑いの目を向ける彼に、冗談じゃないと藤真は手をひらひら振った。
「違う、違う。いい加減にそういう発想から離れろ。とにかく、俺はいいよ。みんなでやってくれ」
「うーん、しようがねえなあ」
残念そうにぶつぶつと文句を言いながら、高野は、今度は花形に矛先を変えた。
「じゃあ花形、お前は来るだろ?」
期待に満ちた表情の高野が、花形の肩をがっしりとつかむ。
断れないような迫力にもかかわらず、しかし花形は「いや、俺もいいよ」とあっさり答えて、高野を嘆かせた。
「何だよー、付き合い悪いぞー!」
見兼ねた永野が間に入って宥める。
「まあまあ、高野。2年だけでも、もう12人いるんだぞ。部屋に入り切らないだろうが」
そうだけどさあ、とまだ呟いている高野の背中を押して、長谷川が出口ヘと促した。
「それじゃ、藤真、花形、また明日な」
「ああ――一志、あんまり羽目を外させないようにみんなを見てやってくれ」
分かった、と頷く長谷川を見送って、藤真が花形の方に顔を向けた。
「花形も行ってやれば良かったのに。別に用事もないんだろう?」
コートを羽織りながら、花形はかすかに笑う。
「――まあな。ただ、みんなで騒ぎたいような気分でもなかったから。藤真こそ、どうしたんだよ。いつもなら二つ返事で付いていくのに」
先程は高野のことを笑っていたが、実は藤真も彼に劣らず賑やかなことが好きである。誘われたら、めったに断わったりしないのが常だった。
「何か予定があったのか?」
花形が何気無く尋ねると、
「ん……」
藤真にしては歯切れの悪い答えが返ってきた。
不思議に思って花形が問い返そうとしたとき、突然、藤真は振り返った。
「――お前、暇だって言ったよな」
「え……、ああ、まあ」
藤真の勢いに気圧されて、面食らいながら頷くと、
「そうか。じゃあ、ちょっと俺に付き合え」
「ちょっ……、待てよ。――藤真!?」
すたすたと部室を出ていく藤真のあとを、花形は慌てて追い掛けた。
学校のそばにある花形の家に荷物を置き、駅へと向かう間も、藤真は行き先を全く口にしなかった。
それは駅に着いてからも同様で、どこへ行くとも言わずにさっさと切符を買いに行ってしまった藤真の後ろ姿を見ながら、花形は途方に暮れた。
程なくして戻ってきた藤真が、「ほら、お前の分」と言って、切符を差し出す。
渡されたそれに目を落とし、金額の大きさに花形はぎょっとした。この値段はちょっとそこまでというレベルではない。
「藤真、これって――」
そして藤真が向かったのは、上り電車のホーム。
「おい、まさか、今から東京に出るのか?」
階段を駆け上りながら、花形は叫んだ。
時刻は既に5時を回っていた。辺りはすっかり真っ暗で、冷たい風が吹き始めている。都心までだとすれば片道でも一時間は掛かるはずだ。こんな時間に藤真が何をしに行くのか、花形には全く見当が付かない。
それでも、停車している電車に藤真が乗ってしまったので、仕方なくあとに続いた。
「いったい、どこへ?」
走り出した車内で何度尋ねても、藤真はやはり黙ったままだった。
花形の頭に、一つの考えが過ぎった。
もしかして、選抜を観に行くつもりなのだろうか。今からでは最後の試合にだって間に合いはしないのに――?
だが、他に心当たりのある場所も思い付かず、電車を乗り換えたあとも花形の思考は堂々巡りを続けていた。
そうしてぼんやりと車窓を眺めつつ時間を潰していると、藤真が唐突に、「降りるぞ」と言った。
花形は驚いて到着した駅を確かめる。選抜が行われている東京体育館に行くなら、千駄ヶ谷が最寄り駅だった。
しかしここは、
「原宿――?」
思わず花形は声を上げた。
「藤真! 東京体育館に行くんじゃないのか?」
ここに来てようやく、藤真が花形を真っ直ぐに見返した。さらさらと髪を揺らして、からかうように、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「マゾじゃないのか、お前。自分が行けなかった所に行ったって虚しいぞ」
「じゃあ――」
どこに行くんだ、という花形の問いは、人込みのざわめきにかき消された。
何と言ってもクリスマス・イブの原宿である。ものすごい人出の上に、そのほとんどが、ここぞとばかりに身を寄せ合うカップルだ。声を掛けるどころか、はぐれないようにするのが精一杯だった。
藤真は人込みの中を泳ぐように通り抜けて、表参道へと向かう人々の波から外れた。明治神宮の方に折れると、駅前の賑やかさが嘘のように人影がまばらになる。
この先にあるのは、バスケットの大きな試合がよく行われている、代々木第2体育館だった。
しかし今日は、ここで試合の予定はないはずである。
行き先こそ判明したものの、相変わらず藤真の目的は分からないまま、とにかく花形は彼のあとを追って歩道橋に上った。
そのとき。
目の前に、大きなイルミネーションのツリーが現れた。
暗闇に無数の光が浮かび上がり、きらめいているさまは、まるで地上に星々が降ってきたようでもあり、息を呑むほどに美しい。
その光を見て、花形はふいにある光景を思い出した。
――願いが、叶うといいのにな。
藤真の澄んだ声と、イルミネーションに照らし出された横顔。
「藤真――」
花形は呆然と呟いた。
「去年も……一緒に来たな?」
ああ、と藤真がツリーを見つめたまま、静かに答えた。
昨年の11月の終わりだった。
二人は、インカレの決勝リーグを観るために代々木第2体育館に来ていた。ちょうど期末試験前で部活は休みだったが、試験勉強そっちのけでバスケットの試合を観に来ていることに、お互い共犯者めいた笑みを浮かべて笑い合ったのを覚えている。
試合が全部終わったときはもう午後9時近くで、街灯の少ない体育館の近辺は、ひっそりとして暗かった。
間近で見た大学生のプレイ。その技術と気迫とに、二人は圧倒された。体育館を出て冷たい北風に吹かれても、試合中の興奮は容易に冷めるものではなかった。
弱い街灯で照らされた石畳の道を、試合の余韻を残したまま、花形と藤真は言葉少なに歩いた。
暗闇に慣れた二人の前に光の洪水が現れたのは、駅に出る交差点に近付いたときだった。
大きな大きなイルミネーションのツリー。その全体を視野に収めるためには、離れた場所からでもかなり見上げなければならないほどだった。
「――すごいツリーだな」
花形は感心して顔を上げた。
「ああ、そうか。クリスマスだもんな」
一緒に立ち止まった藤真も、白い息を吐きながら、目の前のツリーを見上げた。しばらく黙って見つめていたが、急に振り向いて口を開いた。
「なあ、花形。あれ、電球何個あるのかな」
「……はあ?」
「だってさ、すごい根性だと思わないか? あれだけの数の電球を飾るのって……。俺、尊敬するぞ、マジで」
ツリーを見て、しんみりとクリスマス気分に浸っていた花形は、低く唸って額を押さえた。
「藤真……、それって、ロマンのかけらもない発想だぞ」
「なんだよ。だって本当にそう思ったんだから、しようがないだろう?」
「お前、現実的過ぎ。頼むから、少しは情緒というものを理解してくれ……」
何だか気が抜けてしまった花形は、力なく肩を落として踵を返した。だが、そうして歩き出したあとも、藤真が動く気配を見せないので、立ち止まって声を掛けた。
「どうした、藤真。ほら、帰ろう」
藤真はまだツリーを見つめていた。
「藤真?」
「――あの分だけ、さ」
藤真の声が、冷たく冴えた空気を渡って届く。
「あの数の分だけ、願いが叶うといいな」
唐突な藤真の言葉に、花形は首を傾げた。
藤真がツリーを指差す。
「あれって、星がいっぱいあるみたいに見えるし。『星に願いを』って曲、あっただろう?」
「まあ、それは、そうだけど……」
いったいどうしたんだと言わんばかりに、呆気に取られている花形がもどかしいのか、藤真は少し怒ったように続けた。
「だいたいお前が言い出したんだぞ。ロマンだの、情緒だの」
だから、少しは夢のある話をしたんじゃないか、と、つっけんどんな説明を加える。
「――じゃあ、訊くけどさ。藤真の願いって、例えば?」
花形は戸惑いつつ、素朴な質問を向けた。藤真の性格を考えれば、願を掛ける暇があったらその分自分で努力しろと言い放つ方が、はるかに似合うと思ったからだ。
花形が半信半疑なのを見て取って、藤真も意地になったらしい。
「願いだったら、たくさんあるぞ」
挑むように言って、勢いよく数え上げ始める
。
「まず右のプレイをもっと強くしないと。俺、左利きだからどうしても逆が弱いし。それと、パス。さっきの試合のガードみたいに、長いパスが出せるようになりたい。アシストももっと出したいし、自分でシュートするなら3ポイントの確率を今よりも上げて――」
「……藤真」
立て板に水の如くしゃべる藤真を、花形の脱力した声が遮った。
「お前、それは全然、夢やロマンっていう話じゃないよ……」
もういい、無理を言った俺が悪かったと、花形は大きなため息を付いた。
藤真が花形の足を素早く蹴飛ばす。
「それじゃあ、どんなのがロマンなんだよ。具体的に言ってみろ」
「具体的に言ってみろって、そういうのがもう既に即物的なんだよ、藤真」
「……んだと!」
身の危険を感じて走り出した花形を、拳を振り上げて藤真が追い掛ける――。
そんな一年前のやり取りを、花形ははっきりと思い出した。
「『星に願いを』、か。あのとき藤真、俺を2回殴ったよな」
「そういうつまらないことは、本当によく覚えてるよ、お前」
藤真が歩道橋の手すりにもたれて、くすくすと笑った。強い風で藤真の髪がなびいて、左のこめかみの傷痕が露になる。
花形は、未だにその傷痕を見るのがつらかった。今年のインターハイで、卑劣なプレイによって負わされた傷だ。
「あれから1年か。いろんなことがあったな……」
独り言のような藤真の言葉に、花形はゆっくりと頷いた。
インターハイでの藤真の負傷退場。監督就任を巡る騒動。生徒だけで臨んだ選抜。
いつ挫けてもおかしくないような状況で、それでも二人がここまで来られたのは、お互いの存在が支えになっていたからに違いなかった。
自分たちのバスケを、自分たちで作りたい。――藤真と花形の、ただ一つの願い。
その願いを叶えたかった。だから、どんなときも二人は諦めなかった。
「――藤真は、もしかして、これが見たかったのか?」
花形は、ツリーを見ながら真顔で尋ねた。昨年、藤真が無数の星に見立てたイルミネーションは、今年もまた同じようにきらきらと光を投げ掛けている。
――願いが叶うといいのにな。
一年前に何気無く口にした言葉が、今、真摯な気持ちとなって二人の心によみがえる。
「これが見たかったから……ここへ来たのか?」
藤真が横目で花形を睨んだ。
「――そういう野暮な質問するか? 普通」
それでも、そう怒ったふうでもなく、藤真は空を仰ぐように背を反らして、大きく息を吐いた。
「願掛けなんて、柄じゃないけど……」
そう前置きをして、話し出す。
「今日、津久武の監督に、監督としての自分を認めてもらって――何か、すごく嬉しくてさ。ああ、俺たちは間違ってないんだって思って」
人にどう見られようと関係ないはずなのに、認められれば嬉しいし、否定されれば悲しい。正しいと思うことを信じ続けて、それをやり遂げるのは、本当に気の遠くなるほど大変なことだなのだと。
「やっとそれが分かったたんだ……」
藤真は言って、微笑みを浮かべる。
真っ直ぐ前に向けられた瞳に、イルミネーションが映った。
信じ続けるために、迷わないために――だからこそ、人は願うのだ。願いを持つことで、自分を支えるために。
そうすれば、たとえどんなに遠回りをしても、いつかきっと辿り着けるだろう。
――その目指す場所へ。
きらめく光に縁取られた藤真の顔が、切ないくらい綺麗だった。花形の返事は声にならない。ただ、何度も深く頷くしかできなかった。
強い意志を秘めた表情で、藤真が花形を見上げた。
「行こうな、花形。――一緒に」
インターハイヘ。選抜へ。
そして、自分たちの信じるバスケを思いっ切りしよう。
「ああ。――ああ、行こう」
藤真の気持ちが痛いほど伝わってきて、花形はその瞳を強く見つめ返し、答えた。
子供のように藤真が笑った。そして、急に照れくさそうに目を伏せ、花形に背を向けた。
「……ツリー、下に降りて見てみようぜ。近くで見た方が迫力あるもんな」
そう呟いて、いきなり歩道橋の階段を駆け降りていく。
「こら、藤真――!」
「競争! 負けた方が今日の夕飯おごること!」
叫ぶ声は、もう階段の下からだった。藤真相手に、ずるいぞ、なんて言い訳は通用しないのを、悲しいかな花形は知っている。
「待てよ、俺、あんまり金持ってないぞ――!」
必死で追う花形の前には、無数の光を目指して駆けていく藤真の後ろ姿。
――それは、夢に向かって走る、真っ直ぐな彼の姿そのままだった。
願いは、きっと叶うだろう。
――Merry Xmas!
(1997/12/28)