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歴 史 探 訪

◆ 武田の里〜新府城址〜−山梨県韮崎市
 
新府城は、武田勝頼(武田信玄の四男)が現在の山梨県韮崎市中田町に築城した大規模な城で、武田氏の甲州流築城術の集大成とも云われ、住宅地から離れた山林に位置してるため、現在まで乱開発されずに貴重な遺構を残しています。昭和48年(一九七三)には「新府城跡」として国指定史跡に指定されました。本丸跡地には藤武稲荷神社が建立されています。
(平成18年7月16日)
新府城址公園(藤武稲荷神社)
 
◆ 武田の里〜甲斐武田氏祖菩提寺、武田八幡神社、白山城址〜−山梨県韮崎市

 山梨県韮崎市は、武田信玄で有名な甲斐武田氏発祥の地であることから、市全体を「武田の里」と命名しています。

 甲斐武田氏の祖武田信義の菩提寺である願成寺、武田家との信仰が深かった武田八幡神社、武田八幡神社の奥に要害城として白山城址があります。白山城址には烽火台跡があります。
(平成18年7月16日)

願成寺(山梨県韮崎市)
 
◆ 幻の城〜安土城址〜 −滋賀県安土町− 
 安土城は、織田信長が天下統一の拠点として琵琶湖東岸に築いた城郭で、天主は築城から三年後に焼失し、その姿を記録した資料が少ないことから、「幻の城」とも云われています。

 また、主郭部は総石垣を採用するなど、これまで見られなかった城郭の構造をもち、後世の城郭へも影響を与えるとともに、天主の構造は、当時の建築様式の伝統を逸脱したものでもありました。まさに、風雲の異端児であった信長の姿を知ることができます。
(平成18年5月4日)
幻の城〜安土城址〜
 
◆ 天下分け目の関ヶ原合戦〜関ヶ原古戦場〜 −岐阜県関ヶ原町− 
 慶長五年(一六○○)九月一五日、天下分け目の合戦として知られる関ヶ原合戦が岐阜県関ヶ原町でありました。

 徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)がここ関ヶ原で激突。石田三成本陣跡を訪れ関ヶ原合戦の概要等について掲載。また、関ヶ原合戦に関する疑問点等について考察してみました。
(平成18年5月4日)

関ヶ原古戦場より石田三成本陣(笹尾山)方面。後方は伊吹山系。
 
◆ 高遠城址公園 −長野県伊那市(旧:高遠町)− 
 明治時代、高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を城址公園に移植したことにより、今では全国でも有数の桜の名所となりました。

 公園内には、国の登録有形文化財の指定を受けた高遠閣や城下から移築された問屋門、太鼓櫓、新城藤原神社のほか、高遠公園碑、無字の碑、靖国招魂碑などの碑文等、古きを偲ぶ歴史的資料もあり、少し足を伸ばして巨大なしだれ桜もお勧めです。
(平成18年4月22日)
高遠城址公園(長野県伊那市)
 
◆ 東海道五拾三次 由比 -静岡県由比町- 
 由比町は、歌川広重「東海道五拾三次」の浮世絵でも知られる宿場町です。広重の名作でもある「由比」は、薩た峠からの景色が一番近いとされています。

 宿場町の風情は、今もわずかに残され、由比本陣公園として整備され、園内には、東海道広重美術館や東海道由比宿交流館などがあります。


東海道五拾三次 由比(静岡県由比町)
 
◆ 武田信玄の治水政策〜信玄堤〜 -山梨県甲斐市(旧:竜王町)-
 武田信玄の治水政策として、川の氾濫を防ぐために山梨県甲斐市(旧:竜王町)に堤防(竜王堤)を築きました。

 また、農業生産を向上させるために、同堤防の高岩から用水(竜王用水)を引いています。


信玄堤(山梨県甲斐市)
 
◆ 国宝・松本城  -長野県松本市-
 松本城は、二度目の訪問ですが、松本城天守jは現存最古のもので、国宝に指定されています。また、町には蔵などもあり、どことなくレトロな雰囲気もあり、外国人観光客も訪れる場所です。

 ただ、ホテル周辺の夜の町散策に出かけ、運転代行の方に道を訪ねたら、「この歩道を歩いていくと着く」と言われた(道案内としては不親切でいい加減。歩道はどこにでもあり、幾通りにも交差しています。)ことにはガッカリしました。
国宝・松本城(長野県松本市)
 
◆ 猿橋 〜日本三大奇矯(日本三奇橋)〜 -山梨県大月市-
 猿橋は、日本三大奇矯(日本三奇橋)として、長野県上松町の「木曽の桟」、山口県岩国市の「錦帯橋」と並んで奇妙な形をしている橋です。
 
 また、猿橋には桃太郎にまつわる伝説もあり、謎めいた橋でもあります。

日本三大奇橋・猿橋(山梨県大月市)
 
◆ 米沢上杉氏 〜上杉神社(米沢城)〜 -山形県米沢市-
 上杉氏は関東を中心に関東管領を務めた名門一族。多くの分家を持ち、上杉謙信が最後の関東管領を務め、謙信死去後、二人の養子による家督相続により景勝が遺領を相続。
 景勝は、豊臣秀吉から会津への移封を命じられ、その後、徳川家康から米沢への移封を命じられ、米沢の初代として米沢藩の運営に励みました。
 九代藩主治憲(鷹山)は、藩政改革に積極的に取り組み、改革に多大なる功績を残しました。また、「成せばなる なさねば成らぬ 何事も・・・」で名言があります。

上杉神社(山形県米沢市)
 
◆ 科学者だった?!佐久間象山 〜日本電信発祥の地〜 -長野県長野市松代町
 佐久間象山は、松代の蘭学者の子として生まれ、幕末期の思想家として公武合体による開国論を唱えた人物として知られています。
 また、象山は、海外事情の研究に専念し、教育者、政治学者、医学者、科学者として多彩な才能を持ち、自ら「ショメール百科全書」を翻訳し、嘉永二年(1849)日本で初めて電信実験に成功しました。その電信実験に際し、「サクマシュリ」という自分の名前を送ったといわれています。その電信実験を行ったのが、象山の生まれ故郷である松代でした。
 なお、平成16年NHK大河ドラマ「新選組」にも登場し、局長近藤勇と会見もしております。

日本電信発祥の地(長野県長野市)
 
◆ 真田氏の転封 〜庭園都市松代〜 -長野県長野市松代町
 真田氏は、元和八年(1622)、小県郡から松代(松城、明暦四年(1658)三代藩主幸道以降から松代)に転封されました。初代藩主(松代十万石)は真田信之(正確には、真田伊豆守信幸)で、関ヶ原合戦で東軍(徳川家康)に加わったことで真田氏は明治維新まで藩主として残りました。
 一方、弟の幸村(正確には、真田左右衛門佐信繁)は関ヶ原合戦で父昌幸(正確には、真田安房守昌幸)とともに西軍(石田三成)に加わり、信之の助命嘆願により紀伊九度山へ配流されました。昌幸は知将として、幸村もまた知将・武勇多く、「日本一の兵(つわもの)」として絶賛されています。
 現在、長野市教育委員会によって、松代は「庭園都市」を名乗り、貴重な町並みが保存されています。
庭園都市松代(長野県長野市)
 
◆ 大平洋戦争の遺構〜大本営建設〜 -長野県長野市松代町
 大平洋戦争末期、軍部が本土決戦最後の拠点として長野県長野市松代町に大本営の建築を始めましたが、終戦で工事は中止(天皇を迎える施設は、ほとんど完成したと言われています。)。延べ300万人の住民及び朝鮮人の人々が労働者として強制的に動員され、多くの犠牲者を出したと言われています。現在は、一部の地下壕について公開されています。他の地下壕については、落石等の危険から公開されていません。
 平成14年10月、松代町の真田宝物館脇にある売店で、貸し自転車を借りた時に、「大本営知ってる」と聞かれ、存在は知っていましたがこの地であったことは承知していなく、是非行ってみてはと勧められた場所。行って後悔なし。
大本営遺構(長野県松本市)
 
◆ 善光寺 -長野県長野市-
 善光寺は、単立宗教法人で天台宗の大勧進、浄土宗の大本願によって管理。七年に一度だけ「善光寺前立本尊」の御開帳(次回:平成22年)が行われます。主に善光寺の由来の他、善光寺信仰、時の権力者によって善光寺にもたらされた歴史について概観してみました。
 善光寺は、平成14年10月、翌年7月の二度訪れましたが、善光寺門前には、信州そばを食べられるお店が多数あり、10月の新そばが出回る時期のそばが一番美味しく、2〜3軒は食べ歩くことをお勧めします。お店によってそば自体の味に違いがあります。是非、それを堪能して欲しいです。
善光寺(長野県長野市)

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