< 直接被災しておりませんが、震災時の私の体験記録です >

阪神・淡路大震災から29年。
この震災で6434人の方が亡くなられました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。



1995年1月17日、殆ど地震が起こらない地域
一般に思い込まれていた地域に大地震が起こりました。
私も、数日後に食料飲料とカメラを担ぎ、一人で神戸に入りました。
とにかく、まずは少しでもその現状を(体で)自分の中に把握
したいと思い、三ノ宮あたりを一日歩き回りました。
木造の建物は殆ど潰れ、鉄筋コンクリートのマンションも
半分に割れ崩れており、その下へ何人埋まっていたか感じながら

飲料・食料は、救援物資を保管していた公共施設へ持って行きましたが、
支援物資であろう段ボールが山積みにされており、
ただ迷惑がられてしまいました。
結局、歩きながら民家や、通りすがった教会へ置かせてもらいましたが、
現地は大変混乱していたので、個々に対応できる状態では
なかったようです。

(後にボランティア元年と呼ばれ、この震災を機に災害時の
ボランティア活動の整備がされるようになりました)

市役所等では掲示板に家族の安否を知らせるメモや連絡先等が
沢山貼られ、倒壊した建物の写真撮影をすると、遠くの半壊した
公団の方から「見世物じゃねえ!」と 怒鳴られたりもして、
被災者の方の感情も様々でした。

あと、実際歩いて見て、髭や髪の伸びきった元々ホームレスを
していたらしい人の姿をよく見かけ、
後のニュースで、近郊のホームレスの方が救援物資等目的で
神戸に集まっていたと聞きました。

混乱している所へ考えなしに一人で行き、役に立たず、
逆に現地の方の気持ちを傷つけてしまったかもしれません。
ただ目に付いた所へ食料飲料を置い来ただけなのですが、
震災直後のありのままの現状を記憶に留める事は出来ました。


そもそもなぜ私が被災地へ行ったかを自問してみると、
一体何が起きているのかニュースの映像では掴めない現状を見て体感し
確認できないと不安で仕方がないという思いが、
身勝手ではありますが現地へと駆り立てたのだと思います。
勿論、他にも色々な思いが混ざりあっていましたが。

私事ですが、この体験を含めて同時期に命と向き合う出来事が重なり、
本当に大切なものは何か を確認する 自分自身のモノサシにも
なりました。
今の生き方に大きく影響しています。


 私的な限定された視点で見聞きした出来事、
感じたことを表記しました。
被災者の方で気分を害されたら申し訳ありません。


   
  



私なりの経験を毎年このページをUPしております。

今年は年明けから、また大変な地震災害が起きてしまいました。
いま、大変過酷な状況に置かれている方達がおられる事が

一刻も早く安心して生活出来るよう願います。
また、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


トップページへ