聖霊が弟子たちに注がれる

使徒の働き 2 章 1 節〜 21 節(新改訳:新約 209 ページ;新共同訳:新約 214 ページ)             20090531

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。 2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。 2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。 2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、 2:6 この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。 2:7 彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。 2:8 それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。 2:9 私たちは、パルテヤ人、メジヤ人、エラム人、またメソポタミヤ、ユダヤ、カパドキヤ、ポントとアジヤ、 2:10 フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、 2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。」 2:12 人々はみな、驚き惑って、互いに「いったいこれはどうしたことか。」と言った。 2:13 しかし、ほかに「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言ってあざける者たちもいた。 2:14 そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。 2:15 今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。 2:16 これは、預言者ヨエルによって語られた事です。 2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。 2:18 その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。 2:19 また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。 2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。 2:21 しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。』

聖書時代のイスラエル人のカレンダーには神が定めた色々な祝祭日があり、その中でも三大祭は特に重要でした。三大祭の一つは、エジプトの奴隷生活から救い出してくださった神の恵みと偉大な力を思い起こして感謝する過越祭です(出エ 12:1-28 ; 13:1-8 )。二つ目は、エジプト脱出後の荒野での 40 年の放浪生活の間、食べ物や水や着る物を備え続けてくださった神の恵みを思い起こして感謝する仮庵祭です(レビ 23:34 )。三つ目は、カナン定住後に神が与えてくださる豊かな収穫に感謝する収穫祭です(出エ 23:16 )。三大祭の時、成人男性は主が選ぶ場所で礼拝することが求められました(申命記 16:16 )。歴史によると、律法の学びを終えて信仰的に成人と同じく扱われる男の子( 12 〜 15 才位;律法の子)も同じことを求められました(私たちの教会が堅信式を受けた子を聖餐会員として扱うのと同じようなこと)。過越祭を祝うために、ヨセフとマリヤが 12 歳になったイエスをエルサレムに連れて行ったのはそのためでした(ルカ 2:41,42 )。どうしてもエルサレムの神殿に行けない人は、その地域の会堂で礼拝しました。

収穫祭は“七週の祭り”とも呼ばれました。なぜなら、この祭りは過越祭の時の安息日の翌日(日曜)から数えて七週後の安息日の翌日(日曜)に行なわれたからです(レビ 23:11,15,16 )。それはちょうど 50 日目なので、ギリシャ語でペンテコステ(五旬節)と呼ばれるようになりました。この穀物の収穫を祝う日は、今日私たちが学ぶ箇所でまったく異なることを祝う日に変わりました。今日、私たちは新しいペンテコステについて学びます。

?.イエスが約束したとおり、聖霊が特別な方法で弟子たちに注がれました。

旧約聖書には新約聖書で起こる出来事のモデルがあります。例えば、過越祭でほふられた小羊は十字架上で死ぬイエスのモデルです。イスラエル人をエジプトから脱出させる夜、神は彼らに、傷のない一歳の雄の小羊をほふり、その血を家の鴨居と門柱に塗り、その肉を焼いて食べるよう命じました。その夜、神はエジプト全土に災いを送りましたが、その災いは小羊の血が塗られた家を過ぎ越しました。エジプト人の家では人や家畜の初子がすべて死んだのに、イスラエル人の家では人も家畜も死にませんでした。それでこの夜の出来事は過越、この夜の食事は過越の食事、この出来事を記念する祭りは過越祭と呼ばれました。この夜の出来事を忘れないために、神は過越祭を毎年行なうように命じました。小羊の血が塗られた家を神の災いが過ぎ越したことは、信仰によってイエスの血が塗られた者を神の裁きが過ぎ越し、永遠の滅びから救われることのモデルでした。

イスラエル人の不信仰で途絶えた時期もありましたが、過越祭はイエスの時代も続いていました。イエスの死はちょうど過越祭の時で(マタイ 26:17-18 )、それは偶然ではありません。イエスは金曜日に十字架上で死んで、墓に葬られました。その翌日は安息日(土曜日)でした。イエスは三日目、日曜日によみがえりました。それから数えて 50 日目が旧約の収穫祭ですが、過越の食事を聖餐式に変えたように(マタイ 26:26-28 )、イエスは穀物の収穫を神に感謝する日をまったく異なる祝いの日に変えました。よみがえったイエスは 40 日間弟子たちに姿を現わしてよみがえりが本当であることを確信させ、神の国について教えました(使徒 1:3 )。そして天に帰る前に、聖霊があなたがたの上に臨んだら(注がれたら)、あなたがたは力を受けるので、エルサレムから始まって地の果てにまでわたしの証人となりなさいと、弟子たちに大きな使命を与えました(使徒 1:8 )。

イエスの昇天から 10 日目、つまり復活から 50 日目、イエスの約束通りに聖霊が弟子たちに注がれました。しかも、見た人たちが驚く不思議な方法で注がれました。それは、それ以前は聖霊が働いていなかったという意味ではありません。人の心に信仰を造るのは聖霊の働きですから、弟子たちは既に聖霊を受けていました。ただし、それは今回のような特別な方法によってではなく、イエスが語った福音を通してでした。福音を通しての聖霊の働きについては、いつ働いたのか私たち人間には分かりませんが、人が信仰に導かれるという結果によって知ることができます(ヨハネ 3:1-8 ;?コリント 12:3 )。聖霊が炎のような分かれた舌で注がれたことは、弟子たちに神のことばを語る力が与えられたことを示すと同時に、弟子たちが神のしもべであることを周囲の人々が分かるためでした。聖霊が注がれた弟子たちは、習ったことのない外国語でイエスのことを語り始めました。ある人々はこの時に弟子たちが語ったのは異言(人間には理解できない特別なことば)だと主張しますが、文脈はそれを否定します。弟子たちのメッセージを聞いた人々は、あの人たちは私たちの国ことばで話していると言いました。また、仮に人々が理解できない特別なことばを話しても、イエスのことを証しする証人の務めを果たすことはできません。

?.弟子たちのメッセージを聞いた人々とその反応

前に話したように、五旬節は大切な祭りだったので、イスラエル人があらゆるところからエルサレムの神殿に来ていました。その人々の国は 9 節から 10 節に書かれています。だいたいですが、現在の国に言い換えてみると、アフガニスタン、中央アジアの一部、イラン、イラク、イスラエル、パレスチナ、アラビヤ、トルコ、エジプト、リビヤ、クレテ島、ローマです。改宗者もいたようですが、民族的にはほとんどイスラエル人(ユダヤ)でした。この人たちが話す言語は色々でしたが、弟子たちは聖霊の助けによって、この人々の国語でイエスのことを話しました。人々は弟子たちの語ったことを理解しました。では、その人々は弟子たちに対してどのような反応を示したでしょうか。

まず、驚きました。驚くことは悪い反応ではありません。私たちでさえ流暢な日本語を話す外国人に出会えば驚きます。中には、日本人よりも美しい日本語を話し、日本人よりも漢字を書ける外国人もいます。もちろん、それは長年のたゆまぬ学びの結果です。それに比べ、弟子たちは習ったことのない外国語で突然に説教したのですから、聞いた人々が驚いたのは当然です。しかし、別の反応を示す人々もいました。その人々は「彼らは甘いぶどう酒に酔っているのだ。」と言って、弟子たちをあざけりました。あざけりはいけません。あざけりは罪です。この人々は弟子たちをあざけったのではなく、弟子たちを遣わしたイエスや聖霊や父なる神をあざけりました。神のことばに対する人々の反応は今も同じです。私たちがイエスについて宣べ伝える時、ある人々は驚き、ある人々はあざけるでしょう。そのような時、どう対応したら良いでしょう。ペテロは「恐れたり、動揺したりしないで、優しく、慎み恐れて、正しい良心で弁明しなさい。」と第 1 ペテロの手紙 3 章 14 節から 16 節で書いています。それは、ペテロがペンテコステの日に実践したことでした。ペテロは弟子たちを代表して、人々のあざけりに対して弁明しました。

?.人々の嘲りに対するペテロの弁明

酒を飲むことは罪ではありませんが、酔うことは罪です。イスラエル人たちにも酒を飲む食習慣がありましたから、弟子たちも飲んだと思いますが、弟子たちは自分の適量や飲んで良い時をわきまえていました。天の上る主から委ねられた大切な使命を酔って行なうなど、あり得ません。だから、ペテロは「私たちはあなたがたが思っているように酔っているのではありません。」とはっきり言いました。そして、その日に起こったことを旧約聖書から解き明かしました。この日の特別な出来事については、バプテスマのヨハネが預言しました(マタイ 3:11 )。しかし、それよりもずっと前、紀元前 800 年代に、預言者ヨエルがこのように預言しました。「神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。また、わたしは、上は天に不思議なわざを示し、下は地にしるしを示す。それは、血と火と立ち上る煙である。主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽はやみとなり、月は血に変わる。しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」

旧約聖書の時代、誰もが神のことばを語った訳ではありません。神は特定の人に現れて、直接に聞かせたり、夢や幻の中で戒めや将来の計画などを告げました。そして、神から教えを受けた人はそれを一般の人々に語りきかせました。神から教えを受けて人々に語った人々を私たちは預言者と呼んでいます。一般の人々が神のみこころを求める時は預言者を通して求めました。けれども、ヨエルは聖霊に教えられて、すべての信者が神のことばを語る時代が来ることを知っていました。ヨエルはその時代を“終わりの日”と呼んでいます。これはこの世が滅亡する日ではなく、新約時代のことです。弟子たちが全世界で伝える福音を通して聖霊が働くので、老人も若者も子どもも、男も女も、すべての信者が神のみこころを語ることができるようになるのです。ヨエルの見たことがイエスの復活から 50 日目に始まりました。信者の福音宣教は太陽がやみとなり、月が血に変わるまで、つまり、この世が滅亡する日まで続きます。その日は信者にとっては栄光に満ちた主を見る輝かしい日です。この書の続きを読むと、ペテロたちの説教を通して聖霊が働いたので、多くの人々は罪を認め、それを深く悲しみ、赦しを求めました。それでペテロは、罪を赦してもらうためにイエスの名による洗礼を勧めました。その日、三千人が洗礼を受け、神の子どもに生まれ変わりました。これは新約教会の初穂です。この初穂に続いて多くの収穫(信者)が与えられます。ペンテコステの日は新約教会の誕生日です。新約教会に信者というすばらしい祝福を与えてくださる聖霊を覚えて、感謝しましょう。クリスチャンにとって、ペンテコステはクリスマスやイースターと同じようにすばらしい日です。