5・私にとっての20世紀【平成20年10月10日】
 
 
 私にとっての20世紀は「変革の世紀だったが、やり残したことがある」という感じです。
 
 
 昭和9年に韓国で生まれた私は、5歳の頃1週間ぐらい、姉が広島の女学校を受験するというので両親や姉と共に広島の祖母の所に来た以外は、日本の土を踏むことなく、韓国で暮らしていました。
 
 
 国民学校5年の夏に終戦を迎え、その直後に父が病死しました。私たち親子が父の遺骨を抱え、家財を捨てて原爆で廃墟となった広島に引き揚げてきたのは、昭和20年の9月でした。
 
 
 終戦と共に日本は軍国主義から民主主義へと大転換をしましたが、私の人生も昭和20年の終戦を境に大きく変化しました。戦後の混乱と荒廃の中、国も我が家も急に貧しくなり、経済的な豊かさを求めて必死で生き、働き、夜間大学に通った事などがつい昨日のことのように思われます。
 
 
 世の中も、たらい、かまど、大八車、などの時代から、電気洗濯機や電気炊飯器、マイカー、さらには、テレビ、パソコン、携帯電話、新幹線の時代へと、随分と技術が進歩し、生まれた当時のロウテクの時代からは思いも及ばないハイテクの時代へと変わっております。
 
 
 こうしたことを考えながら、今世紀を振り返ってみますと、経済、技術はもとよりあらゆる面で変革の世紀であったとの思いがします。しかし、変革の中で日本人の精神的な豊かさが失われて来ているという、憂うべき状況も生じています。
 
 
 これは、私たちの世代が経済的発展に力を入れるあまり、精神面への取り組みが不十分になったからだと思います。教育、とくに道徳教育といいますか 「思いやり」とか「敬老精神」とか「社会への奉仕の精神」、「地域を愛し自然を大切にする精神」そういった教育をおろそかにした報いだと思っております。いかに文明が発達してもこうした「思いやり」の心の貧しい国では、文化的な国とはいえないと思います。
 
 
 私の「やり残したこと」とは、この精神的な豊かさを日本の社会に取り戻すことです。 「思いやりの心」にあふれた日本にすることです。
 
 これから残された人生をそのために少しでも役立てて行きたいと思います。そのためには、何をすべきか。
 
 私にできることはせいぜい孫を「思いやり」のある人間になるよう力を尽くすことと、ボランティア活動を続けることだと考え、実践に努めております。