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< 射撃の部屋(HR・BP編) >


                                              
'78/ 8 ある雑誌の中とじ特集で紹介してあった「日本製銃器」のページに感動。
    日本製リボルバーピストルで競技に出てみたい、と思う。
    (ニューナンブモデルサクラ38sp。輸出を念頭に置いての開発だったが、試作のみで終わったらしい。)

'82   射撃部のある進学先(大学)を探す。
      近県の国立では京大しかないことを知って憮然。

'83   またも雑誌の中とじ特集。免許を必要としないビームライフル(BR)、ビームピストル
   (BP)の存在を知る。
   (・・しかしデザイン的には、どちらも三流SFの光線銃?!写真が無くて残念。)

'85   鹿児島大学入学。射撃を始められるか、模索。
       ・・銃の保管に問題があること(窓がアルミサッシでも部屋には火山灰が。)、
        射撃場が遠いので車が必要になること、そんなお金はないこと、・・断念。

  紆余曲折の後、地元鳥取にUターン。
'97/ 9  スポーツ教室の一環として、「ビームライフル教室」開講される。迷わず申し込み。
     現行のBR実物を見て、エアライフル(AR)そっくりに似せて作ってあることを知って、
    ほっとする。
    最初の月だけ最優秀でメダルをもらう。
    (他メンバーの上達の早いこと。)

'97/11  ビームライフルのカタログを取り寄せたところ、BPもあることを知ってすぐに
    問い合わせ。年内最後の一丁を手に入れてしまう。
    標的に取り付けるアダプターも中古で買ったが、現行型標的に合わず(愕然)。

'98/ 1  東京に長期出張。後楽園射撃道場でBP持ち込みで練習を始める。        

'98/ 2  11日。ほぼ週2回、通い始めて1ヶ月足らずで340点(初段相当)獲得。

'98/ 3  出張が終わり、帰鳥。

'98/ 5  教室のメンバーが続々と空気銃の免許を取る。
    多少迷ったが、よい機会と思い、講習会受講、合格。
    (実は4月に1回受け損ねた)

'98/ 6  銃は迷わずHR。銃砲店に中古銃の在庫を問い合わせて注文、警察に許可申請。
    年齢のせいか、2週間で許可が降りる。
    *HR(ハンドライフル)
            AP(エアピストル)の銃身にスリーブ、グリップにストックをつけて全長を
      長くしてARとして許可が降りるように改造されたもの。
      日本独自の銃であり、競技でもある。
        (1.2kgのAPよりさらに重い1.8kgをAP同様、片手撃ちしなければならない!)
      余談だが、勝手にAPに改造すると銃刀法違反になる。念のため。

↓これが「使用前」のAP。銃身の下にウェイトがつけてある。
写真提供:国際出版㈱

↓「使用後」。さすがにウェイトは無い。私の1つめの愛銃はこれ。
写真提供:国際出版㈱
       
'98/ 6  HR入手。警察の確認を受けて正式な所持許可となる。

'98/ 7  やはり才能か?HRも始めて3回目、2週間で340点(1級相当)獲得。

'98/ 9  BRの初期型の標的を自己負担で改造させてもらい、ようやくBPの標的アダプターが
    使えるようになる。

'98/ 9 西日本AP・HR(岡山)、HR40公式戦初参加で337点、5位入賞。
    あと3点あれば1級が取れてたのだが、これが後に大きくひびくことに。

'98/10  全日本(広島)BP40出場。銃が全く止まらず、284点と惨敗。
    楽に取れるつもりの1級(330点)もフイに。
     教訓その1 疲れは禁物。
            ずっと残業続きであったのはまずかった。
     教訓その2 暑さ対策。
            気温の高さを考慮に入れていなかった。Tシャツが必要。
     教訓その3 試合形式での練習。
            45分で試射、調整、本射を行う練習をしていなかった。
            残業するぐらいだから全然時間がなかったのだが。
     教訓その4 銃本体の調整。
            9月にアダプターがつけられるようになってから、BPのグリップを
            調整する暇が全くなかったのが致命傷。
            (HRを始めてからのウッドエポキシを全部取って部分直ししていた)
             当然、握りに要注意-であったのを忘れているほど疲労していた。
        と、多くの課題を残した。

'98/10  24日、3週間ぶりのBR教室で実に半年ぶりに40発採点。323点(1級取れん)、
    グリップ調整がやはり必要。翌日、ヒールレストをファインベルクバウM80(AP)の
        ものに替え、トリガーも6角レンチを短くしたものをつけてみた。次回、試射。

'98/11 8日、山陰選手権。
    HRは鳥取の2人しかいなかった。313点で、驚愕の2位(絶句)。
     それより何より、また1級を取り損ねた。
     教訓その1 風対策。
            屋外は、無風というわけにいかないが、実射時に体験したことがないほ
            どの強風だった。弾がそれるし、体も揺れる・・・。
     教訓その2 やはり仕事疲れ。
            これを言うと、秋は忙しいから、試合には勝てない、ということになっ
            てしまう。今回はパソコン入力疲れで腕を上げるのも大変なくらい腕と
            肩を痛めていた(腱鞘炎?)。
            一流選手なら、風邪ひいて熱があっても、何とかするのだから、何か打
            つ手はあるはずなのだが。

        同月、改良したBPを40発撃ってみる。現段階でも銃は完璧に近い(まだ腕肩が痛いが)。
      持ち替える度に少しずつ手がずれているように思うので、今度はまたグリップを直さないと
      いけない。それでも、というべきか、まだ339点。
      60発だと518点だったけど。
     ・・・体調に合わせた予備のグリップ作りにも、また挑戦しないといけない。

'98/12 6日、段級審査。
     西伯のエア(HR)またしても失敗。隣の的を撃ってしまうなど、体験したことがないほ
    ど絶不調。20発で棄権しようかと思うほどの肩の痛み・・。苦悩は続く。
    11日、出張から帰ると、「月刊Gun」HPからリンクを張った旨のメール。光栄。
     
       23日、鳥取でビームの段級審査。肩の修復も風邪治療も間に合わなかったが、何とか
    1級合格。しかし10点を5連発したシリーズでなんで1発目が4点なんだ。
    ・・・次に受験できるのはいつだろう。早く初段取りたい。
    余談だが、この日預かりもののトロフィーを持って帰ったら、両親驚き。            

'99/ 3  西日本AP・HR(岡山)。とりあえず参加したものの、まだまだ肩の痛みが取れない。
    8人中最下位の313点。むむむ。
    運転のハンドルを握るのが大変なくらいだから、仕方ない。辛抱のしどころ。

'99/ 4 この間良くなかったばかりなのに、高知で社会人選手権(HR40)。
    暖かかったのと、運転をせずにすんだおかげで最初痛みは少なかったが、15発目で激痛。
    途中、腕の筋肉の痙攣。完射も危うかったが、執念の335点。1級が遠い。
    新銃を買うことを決意。
    
'99/ 4 1年経過で、銃検査。なんか紙に書いて、銃の全長と銃身長を計るだけ。

'99/ 5 新銃の譲渡承諾が1ヶ月たっても来ない。なんで?

    もはや「幽霊部員」となりつつあるビームライフル教室だが、久々に寄ってみると、標的
    が規定より高かったそうで、下の台が10センチくらい低いものになってた。
        でも、実際に撃ってみると、なんか低すぎ。

    あの、有名な、日橋さんから、リンクの申込みが。
    どうぞ、どうぞ。相互リンクもお願いしてしまった。(後日、リンクは事情により全廃)

'99/ 6 中国選手権(広島)。HR314点、BP261点。両方出て、肩がもたなかった。
    
    やっと新銃到着。確認も済んで、次回県記録会には間に合った。
↓これが新銃のHR。圧縮空気の最新型。グリップの出来がとても良く、別物と言っていい。
ファインベルクバウP34HR。
ただ、空気を入れるハンドポンプが、150気圧を過ぎると死ぬほど大変。
'99/ 7 上のような結果で、ようやく?整体に通う。
    重傷では無いと言われたが、だからといってすぐ直るわけでもあるまい。
    (後日談、教室の講師先生は、昔、直るのに半年かかったそうな。)
   
    県記録会で、初めて新銃を使う。
    照準あわせもバタバタだったが、なんとか格好はついて324点。
    到着時にも気づいたが、今度のP34は肩が多少痛くても、それを補ってくれるだけのものを持っている。
    元気なときに記録を取れたら、すごい点が出ると思う。
    
    肩の痛みを職場で訴えていたら、整形外科に行けといわれて、教えてもらったところに
    行ったら、ここでも整体士さんが出てきて腰の骨を治してもらった。
    腰から来る肩痛もあるとのこと。
    整体もとりあえず治療一段落で、しばらく様子見。

'99/ 8 夏季ピストル射撃競技(広島)。BP。
    前日のサイト合わせも、腕肩の状態も悪くなかったので、期待しつつ練習しすぎて×。
    321点。前日の練習疲れと同じ状態になってしまった。構えた腕が止まらずに、ストン
    と「落っこちて」しまう。リハビリ中なのだから、無茶はよくない。
    ・・で、何もないと思って帰って、広島県ラのHPを見たら6人中2人欠場で、4人中3
    位。3位の表彰台に他の人が代理で・・。
    上位2名は350点台なので当面難しいが、自分が340点切るとくやしい。
    次回、全日本で雪辱を期す。
    もっとも、BPで公式戦では3戦目にして初めてまともな点が出たので、これから、とい
    うことで贅沢言わないことにした。

'99/ 8  中国選手権(島根)。HR。
    新銃での2戦目。練習してないので、実射も2回目。前日の練習は無理をしないつもりだっ
    たが、少し欲が出て40発だけ通しで撃ってみた。354点。結構行ける。
    しかし当日は、風、蒸し暑さ、若干の疲れ、そしてアブ。
    しんどくてどうなることかと思ったが、さすが新銃、345点。
    ・・でも対外公式戦で初の340点台、せっかくの1級を申込みしていなかったばかりに没。
    まあ、次の県月例会で取れるだろう。後で聞いたら段級申請の紙が無かったそうだし。
    それにしても、倶楽部メンバーを早く帰らせるために、自分の得点も分からないうちに帰ら
    される羽目になって、なんだかもう。
    ちなみに、別の倶楽部メンバー2名が、国体ブロック予選を通過。

'99/ 9 月例会で349点。
    しかし、なんか今回から単なる練習会に成り下がってしまって、段級審査はしなくなって
    しまったとのこと。最初からわかってたら来なかったのに。

'99/10 全日本ライフル射撃選手権(広島)。BP。出場できず。
        去年に引き続き、と言っていいのか、今年は本当にあぶれてしまった。
    国体練習のため?たくさん申し込みがあったのだろう、
    とのことだが、先着順ではないのだろうか。
    ずいぶん前から出場意志表示してたのに。
    というわけで、当分BPをやる気をなくしてしまった。
    何せ試合もない上に、HRとは別物なので、BPでは練習にならない。
    で、HRで初段とるまで、BPはお休み。
    先月のHR月例会といい、続けてえらい目にあった、という気がする。

'99/11/ 7 山陰選手権で345点。安定してきた。
    仕事で肩腕がだんだん大変になりつつある状況で、これはすごいこと。
    去年のうちから、いい銃を使ってたら、こんなに苦労しなくてすんだんだろうと思うと、
    残念至極。
    下手なケチは上達への最大の敵。
    なんせ値下がりを待ってたら無くなってしまったのだから(1つ前のモデル、P30)。
    そのうち肩も治るだろう、という安易な見通しもあったが。

'99/11/14 西日本秋季AP・HR(岡山)。HR。
    355点。先週よりさらにきつい体調で、
      1 的の張り替えで、右手に力が入らず押しピンが刺せない
        (右手で押しピンを受けて、左手を使って刺した)
      2 立ち位置を決めるのに手ぶらで腕を上げるのもつらい
    などという状況で、よくこれだけとれたと思って我ながら感心。
    実際、練習を含めても、最高点を更新したのである。
     (今までの最高は、8月の中国選手権前日練習の354点)
    逆を言うと、もっと力を抜け、と言うことかもしれない。
    ・・おもしろいことに?銃を持つと不思議と腕が上がるのだ。
    本番だけ体が言うことを聞く、というのはプロスポーツみたいだ。
    ちなみに今回、1級(340点)合格。事務処理が早いので、28日の初段申請には
    間に合うだろうとのこと。ようやく光が見えてきた。

'99/11/28 月例会兼段級審査。HR。
    初段合格。前回をわずかに下回る351点。
    でも、1級の証書が未着で、「申請中」で出すのだとか。
    ホントに事務処理できるのか不安。

'99/12 ビーム段級審査。BP。
    HRに続いて、と思ったが、そんなに甘くはなかった。
    それと、グリップがどうにも合わないことを思い知らされて、
    大改造計画をこのとき思い立った。

    HRの練習にBPを使うには、ストックが要る。
    HRのストックでシルエットを取って、自作。
    しかしこれまた、グリップ自体がどうしようもないので、
    ストックを付けたくらいではごまかしようがないことに気がつき、
    大改造計画を一部変更、と言うか追加。

2000/ 1 上旬に京都へ車を取りに行くことがあって、
    大阪に寄って型取り用のシリコンなど買う。
    初めてで少しずつ恐る恐るやったので、行程が進まない。
    それでも2月中旬にはだいたいの形が出来、さらにリアサイトを4センチ
    後退させる部品も作成。さんざん工具類を買った。

2000/ 3 形がようやくそろって、着色。
    サイトまでいじったのだから、撃たないと当たらないだろう。
    でも教室になかなか行けない。

2000/ 3/19 西日本春季AP・HR(岡山)。HR。
     BP改造にかまけてる間に、鳥取のHRの人が新銃買って頑張っていたと
     聞き、さらに段級を受けるというので、自信なかったが2段を受験。
     なんと合格。360点ちょうど。
     計算しながら撃っていると、9点平均で撃たねばならないので、8点が
     今までになくプレッシャー。しかし10点を続けて撃つなどでリカバリー、
     どうにか取れた。やってみるもんだ。
     練習不足、腕の痛み(慢性化?やや鈍痛にはなったが)、それでもこの点。
     暖かくなったら380点位取れやしないか。

2000/ 4/ 2 中四国社会人。HR。
      最近の勢いで3段(365点)取れないものかと思ったが359点。
      後日最近になく肩を痛めてしまい、無茶をしたことに気づいた。
      それと、撃ち終わってふとシリンダーのメーターを見て愕然。
      適正圧力を20くらい下回っていた。道理で、斜めに飛んだおかしな
      弾道が第3シリーズから出てきていた。
      これは本当なら365点は取れていたと思う。
      いつかのように、後にひびきそうな、いやな予感。(大体、気付よな。)

2000/ 5/21 月例会。前日、右目が結膜炎で医者に行ったばかり。
      実際、できものは無くなったが、かすんだような感じは消えず。
      職場対抗ソフトボールの練習の後遺症で手首が痛く、
      なんとかしたかったが348点。とにかく、次の本番までに、
      調整、そして体調も。

2000/ 6/11 中四国(徳島)。HR。
      片道270キロの運転が悪かったか。腕が何度構えても合わない。
      いつ以来?かの330点。振り返ると1年前の7月に今の銃を買ってすぐ、
      まだ肩を相当痛めていたときに324点だったときに次ぐ悪い点。
      困った。            
      的が微妙に高いかも。

2000/ 6/24,25 西日本(広島)。HR、BP。やはり1か月に2度は無茶。
      1日目のHRはなんと初の60発競技。最初から調子は良くなかったが、
      40発を過ぎた頃から徳島の時以上に腕が上がらなかった。
      死ぬかと思いながら撃った。488点。
      2日目のBPは当然ただで済まず305点。
      BPは試合でまともな点を出せたことが少ない。
      広島でしか行われないので疲労しないことが前提条件。
      次回はまた飛行機を使うことにする。

2000/ 7   事務局に、2段の証書コピーを添えて、AP申請を1日も早くと
      直訴。
      しばらくして、講習会修了書コピー、射手手帳の試合出場記録コピー、
      住民票写しを追加で事務局に送付。

2000/ 8/20 国体予選兼中国選手権(西伯)。
      慢性疲労、手首と肘の痛み、得点集計もやらないといけないので、
      今回は成績は二の次ということで、得点集計をメインに。
      ・・というわけで前日少し飲んでしまって、しかし思ったほど点が
      悪くなく345点。しまった。中途半端な点を取ると、いろいろ
      つまらないことが悔やまれる。
      まあ、集計係が無事済んだので、○。

      事務局から、AP申請用書類の追加を言われた。
      許可証のコピー、印鑑。
      1ヶ月以上、放ったらかしだったわけ?

      M80HR(1丁め)の更新。誕生日翌日に許可証を交換するので
      取りに来るよう言われた。

2000/ 9   めずらしく?射撃を始めたい、という人からメールあり。
      ビーム教室とエアライフルについて簡単に説明を返事。
      (別室参照。)
      メンバーが増えることになるかどうか。

      事務局から、AP申請の審査は承認したが推薦書の発行は欠員が出る
      まで保留にする旨の、日ラからの文書写しが到着。
      ・・2年待ち、って言われてるような。
      体調良くないけど、ちょっとうれしいので、月例会に出ることにする。
      でも先週土曜日、風邪で注射打ってもらって、日曜日仕事で、木曜日
      も「動員」で、ちょっと無茶してるかも。

2000/ 9/24 月例会。341点。やっぱり無茶。
      握力がない、肘痛、喉痛、目のかすみ、それとアブ。
      1 腱鞘炎の症状が、とても具体的になっていることに気づく。
       すなわち、銃を構えてグリップを握ると、薬指・小指からの延長で、
       肘外側(構えたときは下になる)に痛みが走り、握力の無いのと、
       肘痛が同時に起こるのだ。以前は別々の痛みのように感じられていた。
      2 喉は夏中治らず。おかげで体もだるい。
      3 目のかすみは、6月ごろから顕著になって来ており、的の黒丸の輪郭まで
       はっきり見えた方がいい自分にとっては、明らかにマイナス。
       以前、結膜炎と書いたが、後日、上強膜炎というのにも罹り、医者が言うには
       視力には影響ないそうなのだが、違和感が払拭できない。直接関係なくても、
       視力も現に落ちている。せっかく買った視力回復機器も、おかげで使えないでいる。
       試しに左足を下げてクローズド・スタンスで左目照準に出来ないかやってみたが、
       見えにくい右目照準で撃った方が、右腕にかかる負担が断然軽く、問題外。
      4 アブは、何度も試合中困らされており、今回も周りを飛び回られてビクつきながら撃った。
       幼少の頃、蜂に刺されて以来、大型の刺す毒虫には神経質。おかげで、アブでなく
       小さい蝶が横切っただけで動揺し、6点を撃ってしまった。馬鹿。寒くなるまでは、強力な
       殺虫剤必携。
      以上、2年間の「猶予」中に解決せねばならない。

      ずっと読んだ人は、お気づきと思うが、体調は、おおむね良くないのである。
      要は、程度問題。
 
2000/11/ 5 山陰選手権。当初、19日開催の予定で、所用のため欠場予定だったが、日程がこの日に変更
      されたので、出ることにした。334点。第2シリーズで0点を撃って、苦笑。
      最近、視力が落ちつづけているのが怖くて、1つ前の眼鏡をかけるようにしている。
      また、以前は右目が治療中で使えなかった視力回復機器を時々だが使うようにしている。
      この影響か、前日の練習で、相当に度を強めに作っていたシューティンググラスが今の目には
      きつすぎて使えないことが分かったので、新しい方の眼鏡にシールドと絞りをつけて撃ったのだが、
      第1シリーズ終盤に黒丸がもう見えなくなってしまった。
      ふと、絞り付きの右目より絞り無しの左目のほうがくっきり見えるので、よせばいいのに?左照準で
      撃ってみた。1年以上まえ以来、P34HRでは初めて。妙に左に当たると思っていたら、0点。
      (5点より外を撃つと0点)
      げろげろ。とりあえず第2シリーズはそのまま撃って、第3シリーズで前日きつすぎて×だった
      シューティンググラスをかけた。たしかにマシなのだが、昔ほどくっきり見えない。やはりおかしい。
      とりあえず3,4シリーズはそこそこに当てたが・・むむ?
      月末のAP・HRにむけて、また一考。

           ある日、ふと、鏡の前に立ってみて、右肩が妙に下がっていることに気づいた!
      なにこれ、脊柱湾曲? 意識したことないけど、とにかく右肩をあげるように気をつけつつ、
      今までの「治療」を続けてみよう。そう思ってから今までと少し違うストレッチをいろいろやってみると
      効かなかったストレッチが徐々に効いている感じがする。右肩をあげるとゴキゴキいうようになったし。
      ふむふむ。

      またある日、仕事で、新しい方の眼鏡をかけた方がよいかな、と思ってかけていたら、デスクワークでも
      ないのに、30分もしないうちにクラクラしてきた。完全に合わなくなっている。
      いいことと言えばそうなのだが、それならそうと早く前の眼鏡でくっきり見えるようになって欲しい。
      でもまだ安定してない?
      ・・・内容が変。健康部屋でも作る?(後日、独立部屋 作成開始。)

2000/11/26 西日本秋季AP・HR(岡山)。
      339点、6位。ちなみに春と同じ360点なら3位だった。
      原因:近頃の過労と、風邪、やっぱり直らない腕肩。
      翌日月曜日、仕事にならないほどひどい疲れで、休んだ。
      今月は、毎週のように何かあって疲労がどんどん蓄積してしまった。
      こんな調子で撃ってると、いい時の撃ち方を忘れてしまいそうだ。
      注文して、せっかく届いたグリップ複製材料も、元気が出ないので手つかず。

      鍼灸・経絡関連のHPをまた新たに発見していたので、少し勉強してみる。
      「経絡に沿った刺激」をしないと、どうやら直らないもよう。
      ほら、やっぱり半端じゃない。
      寝る前に8つばかり肩腕周辺に灸をして、半年ぶり?に枕をせずに寝た。この方がいい。

2001/ 3/18 西日本春季AP・HR(岡山)。
      ちょうど1年前が90点平均で360点、2位だったが、
      今回は88点平均で352点、3位。最後に90点を撃って、どうにか、やっと。
      全シリーズ安定してきたので、復調もそう遠くないと思う。
      (調子の悪いときは、合計点がどんなに良くても各シリーズがバラバラの得点になる。)
      2月に入ってから、今までと違う整体に行くようになった。
      1週間前(整体を受けた翌日)は、とても腕肩の調子が良く、満射出来るんじゃないかと思うほど、
      恐ろしいくらい、びったりと銃が止まった。
      わずか1週間で、元(悪い方)に戻ってしまった。仕事してるからしょうがないが。
      とはいえ、完射まで危ぶまれるようなひどい状態ではなく、激痛まではいかなかったのと、
      どちらかというと力が入らない感じだったので、どうにか保たせることが出来た。

      悪いとき、どうすればよいか、という「対応策」をAPに移行する前に出来るだけたくさん集めて、
      その時に備える、というのが、今の自分に課せられた課題だと思う。
      …しかし、策といえるものがどれだけあるか(そもそも役に立つのか)、
      それはその時になってみないとわからない。
      今回得たもの?難しいこと聞かないで(実はよくわかってない)。
      とりあえず、次の西日本秋季AP・HRは前日に整体を受けてみることに。
      他の遠征では前日から出発なので、どうかな。

      去年の2位の銀メダルより、今年の3位の銅メダルの方が立派に見える。こっちの方が、高そう。

2001/ 6/16 日本ライフル射撃協会から電話あり。
      「APの順番が来ました。銃はファインベルクバウの何ですか?」「P34です」
      友人やクラブのメンバーに携帯でメールするも、舞い上がってて普通のことが出来ない。はははは。
      今の予定では、公式戦にはAPのみ出場し、HRは練習、調整用にと考えている。
      今のP34HRをAPにして、HRはM80で。でも、グリップ+ストック、何とかしたいなあ。
      …HRを始めて3年、P34HRに移行して2年。
      地味なHPを少しだけ改良することに。

2001/ 6/21 仕事が忙しいくせに、でも、3月の、試合1週間前の整体が忘れられなくて、受けてみた。
      うーん、前と違う。効いてない。というより、やる前より悪い!!


2001/ 6/23,24 西日本大会(広島)。
        昨年ひどい目にあった2日続きのやつ。仕事が大変かも知れないので、ひょっとすると欠場のおそれも
        あったが、何とか出場できた。
        1日目、HR40。86,81,82,77で326点。腕の筋肉より、肘の痛みが大きい。筋力を
        補えば何とかなるんじゃないか、というもくろみはひょっとして今回で早くも崩れた?
        2日連続のエントリーは、やはりよせば良かった、と後悔した。
        2日目、BP40。73,80,81,82で316点。点は前日のHRより悪いが、1年ぶりにやって
        この得点なんだから、これはいけると思った。将来への「確信」を得た、貴重な試合であった。
        3時方向に飛ぶ3点を無くすだけでも、直ぐにいい点が出るようになるはず。
        HRを卒業してAP・BP向けの筋トレをせねば。

  AP推薦状はまだかな。

  (AP編に続く…)

  おまけ。三段峡 2枚。
きれーい。川下りしてみたーい。

こんな「高そう」なとこ、泊まれないよーだ。

                               
(HR・BP編 編集後記)

…と書きながら、思い出したように本編も書き換えるかも知れないけれど。
こんな意見があるので、ちょっとここでふれてみたい。

Q.ずっと体調の不調を書き続けているが、書かない方がいいのでは?
A.射撃ノートの代わりの日誌のようなものなので、体調、特に肩肘関係は、本当はもっと克明に書いていった方が
  いい、とさえ考えている。同じ悩みを持つSHOOTERは他にもいると思うし、何かの参考になれば、とも。
  (本音は、情報交換したかったりする)

Q.成績の不振の理由を、体調の悪いことで逃げてないか。甘えがあるのでは。
A.そうならないように気をつけているつもりである。「逃げている」のでなく、そうでありながらも挑戦し続けて
 いる、と解釈していただけるとありがたい。毎回、試行錯誤。
  また、成績不振自体は自分に降りかかってくることなので、甘えがあるという指摘は当たらないと思う。
  ただ、本編途中にも書いたが、一流選手は調子が悪くてもきちんと結果を出せるので、何かヒントが欲しい、と
 いうのは前から思っていることである。

Q.「事情」は誰にでもあることだから、やはり書くべきでないのでは?
A.家庭の事情なら私にもあるので、その指摘もどうか。体調に不調なところがない、という人には、このような指
 摘をする権利はないと思う。医者が患者の気も知らないでおおざっぱな治療しかしてくれないようなもの。
 医者は患者の気持ちにならなければ本当の治療など出来ないでしょう(そんな立派な医者、お目にかかりたいけど)。
 アドバイスも同じ。本気でアドバイスしてくれるなら、不健康な人間の身になったアドバイスを願いたい。
 でも、技術論とかは万人共通だから、ありがたく拝聴します。

Q.努力が足りなくないか。
A.厳しいご指摘ですが、申し訳ないが現状はこんなものです。
 不足していても、本人は大真面目に、時間もエネルギーもお金もつぎ込んでます。

Q.やり方が悪いのでは?
A.技術論は、参考になるものがあればお教えいただけるとありがたいです。
 ただ、体調にあった、自分にあった方法しか出来ないので、「なぜ教えたとおりにしないのか」とか言って怒らない
 でください。


…射撃が好きで、射撃を続けること、続けられることが嬉しくて試合に出続けているので、結果は結果であり、最悪、
成績不振でAP所持許可を失っても、それは仕方のないこと。でも、せっかく夢を持って始めたことだから、あわよ
くば大きな大会に出て、活躍できれば、もっといい。
現状は、残念ながら、いっぱいいっぱいで戦っているので、練習とか体力維持に今以上力を出せ、と言われてもかなり
難しい。
最近になって新しく開いた<健康部屋>も、射撃をやってなければ書くことは何もない(そもそも、このホームページ
自体の存在価値が無くなる)。でも、いつまでも現状維持や成績に大きな波があるようでは、将来は明るくないと考え
て、「無理矢理元気」になろうと、これまたいろいろ試してみているのである。

AP再推薦の基準が大変になってるということだけど、「どこから来る自信だ」と言われそうだけど、余り心配してい
ない。さっさと3段取ってしまって、毎年、初段相当の点を取れるように頑張ればいいんでしょ。やります。
(…諸般の事情で再推薦取れなかった人、ごめんなさい。)
その程度じゃ国体すら出れない?きゃー、それもそうね。

                                          2001/ 7/12 H・M

last update:2001/ 7/12
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