「愛知万博 『愛 地球博』」の開会式を見て
しかし,日本の事象では「なぜ日本で行うオリンピックで,日本人がドイツ語の曲を世界に向け て歌うのか」という疑問に明快に答えるのがむずかしい。さらに「南アフリカ,中国などヨーロッ パと異なる文化をもつ国の人にドイツ人の曲を歌わせることの意味は何か」と考えると,釈然とし ない感じが残る。日本人の文化に対する考え方に,偏りがあるような印象を拭いきれない。(拙HP「郷土の音楽を学ぶ意味」より抜粋
愛知万博「愛 地球博」の開会式で同じようなことがなければよいが,と心配していたのだが,その心配は見事に当たった。開会式は3部で構成されていた。第1部が式典で,天皇陛下による言葉や,テーマにあわせた新作の曲が効果的に演じられていた。第3部はエキスポのテーマに沿った環境についての様々な新作狂言などが演じられた。
問題なのは第2部である。ここではホルスト作曲「惑星」より「木星」の演奏,フジ子・ヘミングによるショパンの演奏,ストラヴィンスキー作曲「火の鳥」のバレエが,演じられた。
いったいとってつけたようなこの演目は何なのだろうか。エキスポのテーマとの関連もなければ,なぜその曲を演奏するのかの説明もなく3曲は演奏された。なぜだろう。企画を担当した人が好きな曲だからか?それとも「日本人はヨーロッパ文化をこんなにまねできますよ」というアピールなのか?NHKが大晦日に行う紅白歌合戦で,どうしてその年に活躍もしていない歌手が出演するような,そんな演目であったように思う。
これらは,名曲であり,多くの人が好む曲であることはわかる。しかし,エキスポの開会式で演奏する意味があったのだろうか。これを当たり前だと思っていたら,日本人の文化感覚がどこかおかしい,と思う。恐らくエキスポに来ていたイギリス,ポーランド,ロシアの人たちは奇異な感じを受けたと思う。
また,ロボットがたくさん出演?し,トランペット演奏などを披露していた。これも技術的にはすごいことである。
しかし,トランペットは人間が吹いて初めてトランペットである。ロボットは文明の象徴として,様々なことをやらせればよい。しかし,文化としての音楽はあくまでも人間のものだ。
作家の司馬遼太郎は「アメリカ素描」の冒頭で,文明と文化について定義づけている。それによ ると文明とは「たれもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」であり,普遍的 で合理的である交通信号は,文明であると例示している。 一方,文化とは「特定の集団(たとえば民族)においてのみ通用する特殊なもの」であり,「日本 でいうと,婦人がふすまをあけるとき,両ひざをつき,両手であけるようなもの」であり,「文化 であるがために美しく感じられ,その美しさが来客に秩序についての安堵感を与え,自分自身にも, 魚巣に住む魚のように安堵感をもたらす」と,述べている。(拙HP「郷土の音楽を学ぶ意味」より抜粋)
日本人は,西洋の文化と文明をごちゃごちゃにしている。日本人は高い文明を持っていることはわかる。しかし,自国や他国の文化への視点や畏敬の念はどうであろうか。
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