気動車で大型車体を初採用した一般型気動車のキハ20系は、1957年に登場しました。その後、山岳路線には2機関搭載車が必要であるとして、翌年の1958年に登場したのがキハ52形です。初期車はDMH17Cの機関を搭載し、0番台を名乗っていました。こちらは、旧来の気動車の通りに車内の中央部に排気管がありましたが、1962年に100番台が登場し、機関はDMH17H、排気管は車体端として近代的な車両となりました。
JR西日本では大糸線で115・125・156の3両が最後の活躍をし、それぞれ国鉄一般色・省線色・首都圏色となっていた。

キハ120系導入により、2010年3月13日の改正で引退した。キハ52-115は津山で保存されている。
キハ52-125はJRでの引退後、いすみ鉄道に売却され、いすみ鉄道で観光急行列車に使用されている。車体塗装は大糸線時代の省線色から国鉄色に変更された。



キハ52-115は国鉄一般色 -156は首都圏色。かつて高山・神岡線などで活躍していた
-125は100番台に存在しなかった省線色を纏っていた E217系(左)とキハ52-125(右)が並ぶ
JR九州のキハ52形は早くに全車引退した リバイバル白馬では、大糸線内でキハ52-156が増結された
キハ52ありがとう号 キハ52ありがとう号
最後の3連回送 今はなき赤レンガ車庫での3両並び
-125はいすみ鉄道で観光急行として現役 Hゴムが灰色となり、より国鉄時代の姿に近くなった
ほくりく光速鉄道