800形


800形は名鉄美濃町線の新型車として2000年に登場。時代のニーズに合わせたノンステップ低床車を導入することになったが、それまでの低床車は新潟鐵工所製の熊本市交通局9700形、シーメンス製の広島電鉄5000形など、外国技術が使われて高価だった。
そこで名鉄は日本車両に部分低床車の開発を依頼。これにより従来の路面電車技術で製造することを可能とした。車体中央部のみ低床化、前後扉までの間は傾斜をつけて対応し、この傾斜の関係上、台車は前後で車輪径の異なるマキシム・トラクション台車が採用された。

見事にコストパフォーマンスの問題を解決したモ800形であったが、名鉄は採算の悪化により、美濃町線をはじめとする架線電圧600V線の廃線を進めた。これにより車齢の若いモ800形はグループ会社の福井鉄道と豊橋鉄道に譲渡されることになった。

福井市では2003年、トランジットモールの社会実験が行われた。トランジットモールとは自家用車の乗り入れを禁止し、公共交通機関の利便性を高めた市街地や商店街のことであると定義されている。福井鉄道ではだるまや西武(現:福井西武)前に電停を設けて実験に協力した。LRTを想定した実験のため、唯一イベント用として在籍していた元金沢市電のモ562、加えて親会社の名鉄から路面電車型の車両を借用することとなった。その際福井鉄道からの意向により、最新鋭のモ800形802が抜擢された。
このような実績から、モ802、803の譲渡先として福井鉄道が選ばれた。この他に豊橋鉄道にモ801が譲渡されている。

福井鉄道では幸橋の開通記念列車として華々しい再デビューを果たしたが、当日パンタグラフが破損、長期間運用離脱した。2007年より福井駅前〜田原町間にシャトル便が設定されることになり、本形式が主に使用されたが、シャトル便は2010年に廃止となった。輸送力が小さいことがネックとなり、現在は低稼働気味である。

福鉄には2両が譲渡された 一時期は福井駅前〜田原町間のシャトル便としても使用された
豊鉄のモ801は名鉄時代の塗装を纏っている 福井鉄道のトランジットモール社会実験の様子。記念乗車券の台紙から引用。
モ880・770形
モ880形は1980年、名鉄美濃町線の新岐阜直通用の複電圧車として登場した。一方のモ770形は名鉄時代、岐阜市内線と揖斐線の直通用車両として1987年に登場した。モ770は岐阜市内の急曲線に対応するため、車幅がスリムになっている。2005年の名鉄600V線区廃止により、モ880形は5編成、モ770形は4編成全車が福井鉄道へ移籍した。
福井鉄道入線時にはパンタグラフのシングルアーム化、歯車比変更による高速化・弱め界磁追加・複電圧機器の撤去(モ880)、塗装の変更などの改造が行われた。
現在は大型車に代わり、本系列群が主力車両である。
モ880 モ770
モハ200形
モハ200形は1960年に登場した連接式の急行型車両。登場当時、富山地方鉄道・北陸鉄道などに登場していた高性能車と同じ日本車輌製で、車体長を軌道法限界の30mに収めるために連接車となった。
3編成登場したが静岡鉄道から300形が転入すると急行運用からは外れ、他の一般車と共通運用となった。現在は低床車両の登場で、朝夕のラッシュ時を中心に運行されている。
以前は広告車だったが、2007年に歴代の3種のカラーリングに塗り替えられた。
モハ201 モハ202
モハ203
モハ600・610形
モハ600・610形は名古屋市営地下鉄名城線の1100・1200形で、架線集電化、ドア数削減、豊鉄1900系の台車に取替えなどの大掛かりな工事を経て誕生した車両。
モハ600は1997年から導入され、老朽化した旧型車の取替えに使われた。単行で運転するため、両運転台化されている。
一方のモハ610はモハ600で輸送力不足となったので、2両編成で入線した。
当初は全車が黄地に青ストライプの標準塗装だったが、モハ610は広告塗装となり、広告解除後はモハ300形のカラーに変更された。
モハ602はモ562より引き継いでリチウムイオン二次電池の試験車両となり、各種試験が行われた。最近はモハ602が急行色に変更され、ビア電に使用されている。
モハ601は長期にわたって運用離脱していたが、2012年中に日本車両リサイクルに運び込まれ、解体された。
モハ600形旧塗装 モハ602
モハ610
機関車
デキ3
名古屋鉄道→遠州鉄道を経て1975年に福井鉄道にやってきた機関車。東洋電機製。
デキ11

木造有蓋貨車、デワ1が種車の機関車。機関車への種別変更は1980年に行われている。現在は除雪用として活躍中。


ほくりく光速鉄道