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寝台特急北陸・急行能登


北陸・能登号廃止

寝台特急北陸および急行能登号は2010年3月改正で定期運行を終えました。
ここでは廃止前の両列車と、臨時運行の能登号を紹介して行きたいと思います。


北陸・能登号フォトギャラリー

北陸・能登号車内チャイム

特別公開:下り寝台特急北陸号車内放送
●上野発車後
●大宮発車後


北陸号とは?

上野〜金沢を上越線経由で運転する寝台特急列車。3号車がA個室、2,4,6号車がB個室、1,5,7,8号車が開放B寝台となっていた。また、2号車にはシャワー室が設置されていた。これは「カシオペア」「北斗星」「サンライズ出雲・瀬戸」「トワイライトエクスプレス」および「北陸」だけの設備。客車はは14系客車。機関車は長岡車両センターの機関車が使用され、上野〜長岡(運転停車)がEF64-1000型、長岡〜金沢はEF81型が使用されていた。長岡では進行方向が変わる。この列車なき後、上越線を走る寝台特急には「あけぼの」号がある。
停車駅は上野、大宮、高崎、(直江津)、糸魚川、魚津、富山、高岡、津幡、金沢。

沿革

昭和22(1947)年6月29日に上野〜金沢間急行605〜305、306〜606列車が誕生。当初は新潟行き列車との併結運転だったが、翌年の昭和23(1948)年7月1日改正で601・602列車として単独運転に、さらに昭和25(1950)年11月2日改正で「北陸」と命名された。
昭和24(1949)年10月22日改正で上野〜金沢〜大阪という北周り急行になっていたものの、上野〜大阪を通しで乗る乗客は少なかったため、昭和31(1956)年11月9日改正で大阪〜富山間が「立山」として分離され、上野〜福井間の夜行急行になり、福井志向の「能登」が誕生した昭和34(1959)年9月22日改正では上野〜金沢間に短縮された。
昭和43(1968)年10月1日改正では、首都圏対北陸の夜行の供給過剰により「黒部」が廃止され、代わりに不定期運行の「北陸」1・1号が設定され、2往復体制となった。この時点で北陸1・1号は「黒部」の流れを汲む2等座席車のモノクラス編成、定期の北陸2・2号は1・2等の寝台車主体で1等座席車と荷物車連結という編成だった。
転機を迎えるのは昭和50(1975)年3月10日、東京口の東海道ブルトレ「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系に置き換えられ、余剰となった20系客車が上野口の北の夜行列車に転出、不定期の北陸1・1号は20系化され、定期特急に格上げされた。同時に定期列車の北陸2・2号は「能登」に改称された。昭和53(1978)年10月2日改正で評判の悪かった20系客車を現行の14系に置換えた。そして国鉄分割民営化後はJR東日本が運行を引き継ぎ、平成元(1989)年3月11日改正よりA個室「シングルDX」とB個室「ソロ」の連結を開始。平成11(1999)年3月改正で8両に減車された。
平成22(2010)年3月13日改正で廃止された。


能登号とは? 

上野〜金沢を上越線経由で運転する夜行急行列車。「はまなす」「きたぐに」とともに残る3本のJRの定期急行列車のうちの1つであった。全区間で「北陸」と並行する。また「北陸」号とは歴史的につながりが深い。車両は金沢総合車両所の489系H編成が使用され、4号車がグリーン車、1〜3号車が普通車指定席で1号車は女性専用のレディースカー。5〜9号車は自由席、6号車は半室ラウンジカーとなっていた。長岡で進行方向が変わるが、深夜帯のため誰も座席を転換しないので、長岡以降は後ろ向きの状態で着席する事になる。
平成22(2010)年3月13日改正で定期運行が終了するとともに489系車両は引退となり、以降の臨時急行は485新潟車K編成が使用されている。
停車駅は上野、大宮、熊谷、高崎、直江津、糸魚川、泊、入善、黒部、魚津、滑川、富山、小杉、高岡、石動、津幡、金沢。

沿革

昭和34(1959)年9月22日改正で、東海道・北陸線経由(=福井に早く着く)の急行「能登」が誕生。当初は東海道区間で「伊勢」や「那智」との併結運転が行われたが、昭和36(1961)年10月1日改正で単独列車となった。その後列車は寝台車比率を高め13連まで増強したものの、東海道急行の削減と北陸線急行の昼行移転が進み、昭和40(1965)年10月1日改正から「大和」との併結運転に縮小された。しかし利用者減は止まらず、昭和43(1968)年10月1日改正で廃止された。
昭和50(1975)年3月10日改正で急行「北陸」の1往復が特急「北陸」として格上げされた。同時に残った1往復が「能登」に改称され、上越線経由の急行として復活した。
昭和57(1982)年11月15日改正では「越前」と統合され、福井まで延長された。また「越前」を踏襲して信越線経由になり、14系客車に変更された。なおJR化後の昭和63(1988)年〜平成2(1990)年の間、「能登」は初めて臨時として能登半島の輪島までの延長運転を行った。
平成5(1993)年3月18日改正で車両が特急「白山」と共通の489系電車に変更され、寝台の連結が中止された。そして平成9(1997)年10月1日に長野新幹線が開業すると、信越本線の横川〜軽井沢が廃線となり、車両は489系のまま1982年以前の上越線経由へと戻った。平成13(2001)年3月3日には金沢までの運転に短縮された。
平成22(2010)年3月13日改正で定期運行が終了し、以降は多客臨として週末を中心に運転されることとなった。

また、2005年には新潟県中越地震による上越線・信越線の不通と間引き運転のため、2月11日〜3月20日までの週末を中心に、臨時列車「能登」91,92号が運転された。六日町〜犀潟間は長岡を経由しないほくほく線経由に変更され、進行方向が変わらない、トンネル内信号所で時間調整をするなど、少し変わった姿での運行となった。


参考文献:「鉄道データファイル」(デアゴスティーニ社)、国鉄・JR特急のすべて(学研)