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こうなったら

 俺は駄目だ。
 俊章は、頭をかきむしりながら呟いた。
 俺はもう駄目なんだ。
 ちょっと社会に挫折しただけで、ニートなどと呼ばれ、くだらん連中に蔑まれ、こんな馬鹿なことってあるのか。
 冗談じゃない。こんな人生もう嫌だ。
 働きたくない、遊んで暮らしたい。
 こうなったら、悪魔に魂を売ってでも人生を建て直して、俺を馬鹿にした奴らに復讐してやる。
 俊章は、以前古書店で手に入れた、古いヨーロッパの悪魔召喚本を片手に、文字通り悪魔を呼ぶことで人生を解決しようとしていた。
 自室のフローリングの床に、白いチョークで円を描き、複雑な図形を少しずつ足していく。それが終わると、難解な呪文を辞書を引き引き、時間をかけて訳してから、それを繰り返し唱え始めた。
 やがて十分が過ぎ、三十分が過ぎ、二時間が過ぎた……。
 さすがに俊章の暗い熱意も消えかけて、駄目かと諦めかけたとき、その声は聞こえた。
「俺様を呼ぶのは誰か……」
 俊章は驚いて、あわてふためき、よろけて尻餅をついた。
 奇跡が起きたのだ。
「呼びましたぁ!」と声が裏返った。
 次の瞬間、いきなり円の中央から、盛大に煙が噴出した。
 俊章は咳き込みながら、あわてて窓をあける。
 煙がおさまるのを待ち、期待しながら円をよく見ると、ゲームセンターにあるぬいぐるみほどの、子鬼みたいなものが、しかめ面でこちらを睨んでいた。
「むふふ……。俺様を呼ぶとは、センスが良いな」
「……せ、センス? あ、いや、えっと、あなたは悪魔の方ですよね」
「あたりまえだ小僧! 見てわからぬか! さあ、望みを言え」
 俊章は、小僧はお前だろうと思ったが、相手は悪魔なんだと思いなおした。悪魔なんだから見た目は関係ないはずだ。
 俊章は真剣に願いを言った。
「そうか、なるほどな。やはり、金か。よかろう。見よ、我が最強の力を!」
 小さな悪魔は、大げさに踊りながら奇声を上げた。
 右往左往しながら、わけのわからない決めポーズを見せる。
 やがて、天に拳を突き上げ、呪文を唱えて、それは終わった。
 すると、ひらひらと数枚の紙幣が中空から舞い落ち、俊章の前に散らばった。
「おい……。なんだ、これ?」
「金だ」
「これだけ?」
「ふむ。我が力ではそこまで。さあ、貴様の魂をもらうぞ。期限は三日だ、思い残さぬよう、豪遊するがいい」
「まて、まて、まて、まて!」
「さーて、力を使い果たしたので俺様は眠いぜ。部屋の隅を借りるぞ。三日後に起きるから、よろしくなー」
 小さな悪魔は、そう言い捨てて、問答無用に寝てしまった。
 俊章は、しばらく茫然としていたが、やがて、そんな馬鹿な、と叫んだ。
「あっ、そうそう、地獄は労働基準法とか無いからね。重労働させた上、最後は血の沼に沈めるからな」
 小さな悪魔は、ぼそっと言ってから、豪快にいびきをかき始めた。
「冗談じゃねえぞ! なにが豪遊だ! バイト代にもならん金で、なんで三日後に地獄に落とされなきゃならんのだ。しかも、重労働ってありえねえ――」
 俊章は、しばらく熟睡する子鬼を罵倒しつづけたが、もはやどうにもならない。こんな悪魔でも、人間の力では退散させることは不可能だろう。
 俊章は、ベッドに突っ伏して、絶望に身もだえしながら、必死に頭を働かせた。
「――そ、そうだ! もっと、高級な悪魔を呼ぼう」
 魔法円をちゃんと書き直し、より強い熱意をもって呪文を唱えた。
 やがて、その気迫は通じ、円の中心が陽炎のように歪んだ。次の瞬間、現れたのは、白い大きなネズミだった。
 俊章は、猛烈にがっかりしたが、それでも希望を信じて話しかけた。
「おたくは、あそこに寝ている子鬼よりも高級な悪魔ですよね」
「……あたりまえだ!」
 声に威厳があった。まるで洋画のアクション系肉体派俳優の吹き替えの声優のようだ。
 俊章は、期待して願いを言った。
「なに、あの子鬼の悪魔から身を守って欲しいだと? ぬう、よろしい、お安い御用だ。奴が目を覚ますのは三日後だな。よし契約成立だ。だが報酬は貴様の魂だ。六日後に貴様を地獄へ案内する。しばらく待たせてもらおう」
 白いネズミの姿をした悪魔は、ベッドの下の隙間にすばやくもぐりこんでしまった。俊章が慌てて覗くと、もう寝ていた。
 俊章は頭を抱えた。
 強烈な疲労感に打ちのめされたが、こうなったらいくところまで行くしかなかった。
 そうだ。もっと強い悪魔に守ってもらうのだ。
 三体目、四体目の悪魔は昆虫の姿で、五体目、六体目は猫と犬の姿をしていた。悪魔は徐々に強くなり、俊章の死の期限はどんどん延長していった。
 部屋の中は、大勢の悪魔が雑魚寝状態である。
 取り返しのつかない空気に、気が遠くなりそうだった。
 そこで、俊章は、重大なことに気がついた。
 もしかして、このまま呼び続けて、期限を延長していけば、一生、生きられるのではないか。
 翌朝には悪魔は三十体目に達し、疲労感に敗北しそうになったとき、すでに期限は延びに延びて四十九年後になっていた。部屋は雑魚寝を通り越し、悪魔だらけの地獄絵図である。
 次で最後にしようと、最後の力を振り絞って、渾身の力で召喚の呪文を唱えた。だが、俊章はそのとき、円の文字の一部を、足で消してしまったことに気がつかなかった。
 次の瞬間、円が震えた。
 空間そのものが歪み、凄まじい力の波動が俊章を弾き飛ばした。
 円からまばゆい光が漏れる。そして、中から金色に光り輝く、一人の男が結跏趺坐で現れた。
「あ……。ま、まさか、あなたは……」
「……」
 男が手を静かにあげてかざすと、その全身の光が光度を増した。
 金色の光は、部屋の悪魔をすべて退散させた。
 最初の子鬼などは逃げ遅れて、口汚く俊章を罵りながら一瞬にして塵になった。
「ほ、仏さまなんですね」
 男は小さく、だが、しっかりとうなずいた。
 俊章は、久しぶりに泣いた。
 これで助かったのだ。
 もとの暮らしに戻れる。なんて馬鹿なことをしたんだ。
 やはり、情けなくても気楽に生きていたい。
 だが、仏さまは、優しい顔で言った。

「明日から出家し、五十年ほど厳しい修行に励むが良い」



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