オリジナル小説サイト

昔・恋

 昔、大人びた恋をした。
 久しぶりに会った彼女は、目もくらむように華やかで、まるで別人だった。
 もう五年も過ぎてたから、あたりまえだが、素朴な雰囲気はひとかけらもない。
 綺麗な黒髪は茶色に染められて長くなっていた。昔はショートボブだった。おしゃれな服装もいちいち高級そうで、なんとなく僕はため息をついた。
「なんか、綺麗だね。そういえば、まだあいつと付き合ってんの?」
「……まさか、あんな奴、とっくに別れたわ」
 彼女は、僕の車の助手席に座ってから、遠くを見ながら言った。
 彼女と鉢合わせしたのは、ケーキ屋の駐車場だった。
 中学生のときの同窓会に参加するため、地元に久しぶりに戻ったら偶然再会したのである。
 僕は甘党の祖母への手土産に立ち寄り、彼女は妹が誕生日ということらしい。
 彼女の家はすぐ近くで、徒歩で来たということで、僕は送っていくことにした。
「いつ別れたん?」
「ちょうど一年前、こんな秋風が吹く頃にね」
「へぇ。でも、なんか感傷的な言いかただね」
「感傷的? そんなのないわよ。あんな畜生にはもうこりごり。お金持ちの坊ちゃんだけど、浮気癖が酷すぎる」
「……」
 エンジンをかけながら、僕は彼女の目を見た。すこしだけ、それを聞いて安心してる自分に驚いた。きっと僕は未練があったのだろう。
 彼女と付き合ったのは、中学三年から、高校一年の夏までだった。
 僕が一目ぼれした。
 それは遅い初恋だった。
 偶然、クラスで作った班が同じで、図書館に行って自由課題を片付けた帰りに告白した。
 彼女はすぐに返事をした。
「じゃ、付き合うかな」という、思いがけないほど軽いセリフだった。
僕の死にそうな告白がまるで阿呆みたいに感じるほど、素っ気ない言葉――
 同い年だったが、彼女は大人で、僕はガキだった。デートは公園とかデパートとか、今思えば実に簡素だったが楽しかった。でも彼女はもっと、背伸びした恋愛の形を望んでいたのかもしれない。
 卒業し、別の高校へと進学すると、僕らの恋は消滅へと急速に傾いていったのだ。
 僕は彼女が大好きだったが、彼女は僕を物足りなく感じていたようだ。早々に新しい彼氏を見つけて、僕はいわゆる捨てられた。
 彼女を忘れるために、僕はしばらく荒れた。
「ねぇ、わたしのいいとこってどこだと思う?」
 彼女はそんなことを急に言い出した。
「どこって……」
「だからね、あいつと別れる時に思ったんだ。わたしって何なんだろうって。あいつはわたしのどこをいいと思ってたんだろうかって。なんか結局、わからなかったよ」
 僕は、なんとなく心の中でため息をついた。
「きみはね、あ、ごめん。まーくんはさ、いつもわたしを見てくれてたから、わかるかなって――」
「言葉にするのは難しいよ」
 僕は思った事と逆のことをいった。自分でもわからない。今でも当時の想いは強く残っている。彼女へ募らせた言葉はエベレストほどもあった。だけど、もう過去のことだ。
「男の子はいつも、そう。なんで言葉にしてくれないのかしらね」
「――なんでだろうね」

 僕は、高校三年の夏ごろ、大人の女性と付き合った。
 それはバイト先の先輩で、二十六歳のひとだった。
 仕事ではよく世話をしてもらい、その不思議な柔らかい笑みに、僕は惹かれた。
 じつに奔放な感じで、よく遊んでいるのだろうなと思ったが、実際にそうだった。
 毎週、その女性とは遊びまわった。
 僕は、自分は彼氏だと思っていた。だけど、女性からしてみれば、彼氏の“一人”だったようだ。
 本命の男がうっすらいるのは感じていた。僕は、彼女のちょっとした慰めだったのかもしれない。
 だけど、いま思えば、きっと僕も彼女を慰めにしていたのだろう。
 癒えない傷を舐めあってただけ。
 それでも、今日がいつまでも続くことを願っていた。
 でも別れは突然来た。彼女が妊娠したのだ。僕の子でない。本命の彼氏の子だった。
 悲しみは僕を包み込んだが、妙に心は澄んでいた。
 何かから、解き放たれた気分だった。僕らは笑顔で別れた。

「まーくんは、同窓会で戻ってきたんでしょ。だけど、そんなにみんなと、まだ会いたくないわね」
「まぁ、そうだね。まだ懐かしいって年でもないしね」
「いま、なにやってんの」
「工学系の大学で勉強してる。ちょっと高校で遊びすぎて、今大変なんだ。君は?」
「わたしは家事手伝いとバイトを、いったりきたりしてる」
「まだ文章、書いてるの?」
「……うん」
 彼女の昔からの趣味だった。あの頃も夢中で話していた。クラスの誰も知らなかった、僕だけが知っていた彼女の夢。
「笑っちゃう?」
「まさか、笑わないよ。いい夢だし、いつでも応援はするよ」
「まーくん、照れないで、そんなセリフよく言えるねー」
「大人になったってことさ」
 二人で笑いあった。
 彼女の家の近くで僕は車を止めた。
 誰にも見られない場所。
 懐かしさと、いとおしい気持ちが大きく湧き上がり、僕は彼女にやさしいキスをした。彼女は僕が積極的なのが信じられないような顔をした。なんだか傷ついたような顔でもある。
 彼女には、あの頃わずかでも、どこか優越感みたいなものもあったのかもしれない。だけど、僕だって、いつまでも幼稚であるわけがない。
 彼女は、なにも変ってなかった。成長したのは外見だけのような気がした。
 あの頃の、純粋だけだった彼女への気持ちが、不思議な幻のように思えた。
 大好きなのは事実だ。でも、少しだけ苛立つような感情が湧き出すのがわかった。
 僕は、彼女に大人を望んでいたのだろうか。
 自分が変らない人は、他人が変わったのも気がつかないのかもしれない。
 彼女が僕を見つめた。
「何?」
「ねえ…… この冗談、ホント?」
 これは一時的なこと、脳裏に、そんな直感も横切った。
 彼女に媚びが見えたとたん、僕は思い出を汚すのを恐れてしまうだろう。
「どうだろ。まだ、わかんないや」
「……そうね」
 僕らは、もう恋愛にはならないかもしれない。
 この壊れやすいガラス細工のようなつながりが、強いものになるには、大切な何かが必要だろう。それは僕にはわからない。きっと彼女もわからない。

 昔、大人びた恋をした。
 今、少年のような恋を求めている。



↑ PAGE TOP