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メリークリスマス・マリー

 あたしの恋は、まるで雪のようだ。
 公園から見た、ビルの谷間に舞う雪が大好きで、まるでそれは、天使の羽根みたいに思えてくる。
 誰もが恋についての夢想はあるだろう。
 あたしの中ではそれが真っ白だ。
 きっとそれは、あたしが真っ白な世界から生まれたからなのかもしれない。


 恋の話をするときりがない。
 ずっと憧れていたけど、機会がなかったから。
 夢想だけは一人前にしていた。でも、恋への願望は認めたくはなかった。みんなが私に強くあるべきと願うから。だから、その想いは、いつしか潔癖なまでに、白の世界に包まれていた。
 あたしには、たくさんの友達がいる。だけど家族はいない。いつも1人ぼっち。勉強はできたけど、理屈っぽい性格は嫌われる要因だった。きっと、友達たちは、あたしのことを友達とは思っていないだろうと思う。
 ――女は度胸。
 それは、あたしの最初で最後の恋で、彼から教えてもらった言葉だ。ちょっと間違ってるけどそれでいい。
 あたしは二十五歳で、公務員をしている。
 お役所で、管理と業務の毎日だ。
 延々と続く、雑務と事務仕事は、本当に面倒くさいし、うざったい。
 都会なら、一人ぼっちでも生きられる。仕事していれば寂しくはないし生活もできる。だけど、心がくじけることもある。やっぱり、仕事と個人的な想いは別だもの。
 きっと気になってるだろうから、最初で最後の恋の話でもしようかな。
 彼は、あたしのことをマリーって呼んでいた。もちろん本名は違う。ニックネームだ。
 だからあたしも、彼をニックネームで呼ぶ。リュウって……。
 リュウと出合ったのは、年が明けて間もないころだった。
 その日、あたしはインターネットで、自分の作ったウェブサイトの掲示板に目を走らせていた。いつものことで、たいした書き込みはない。かなりマンネリ気味で、ほとんど作業じみている。
 期待もせずに、ページを確認する。
 そして、あたしの目は釘付けになった。
 真っ白な雪降る画像と共に、ひとつ添えられた言葉――。
『明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ』
 何度か見返した。意味がわからず、検索して調べてみた。
 それは短歌だった。
 ただ、それだけの書き込みだった。
 メッセージでもなければ、イタズラでもない。とはいえハッピーニューイヤーというわけでもない。
 あたしはもの凄く気になってしまい、書かれていたアドレスのページにアクセスした。
 そこにリュウのサイトがあった。
 どうやら彼も、あたしと同じような仕事を東京でしているらしく、サイトは仕事に関しての日記のようなものだった。
 なんだか同じ境遇の彼に、強い親近感を受けた。年齢もそう離れてはいない。
 あたしは回りくどいことは好きじゃないので、率直に画像と短歌について、リュウのサイトのメールフォームからメールを送ってみた。
 返答はすぐに返ってきた。それは、短歌についての意味と、画像への素っ気ないコメントだけだった。
「こんにちはマリーさん。歌は、『春の気配がしてきた野原に出かけていって、春菜を摘もうと思っていたのに、昨日も今日も雪が降り続いて、なかなかその思いがかなわない』という意味です。山部赤人という人の歌です。なんだかわくわくするような歌ではありませんか?」
 あたしは余計に気になった。
 いったい彼は、どういう意味で書き込んだのか。
 それが、すべての始まりだった。
 少しずつ、静かにゆるやかに、あたしたちの交流は密度を増していった。
 最初は天気のことやら、ニュースのこととか、たわいもないことだった。
 やがて身の回りのテーマが増えていき、いつしかメールで定期的な連絡が続きはじめた。
 身の回りに、仕事への愚痴をこぼせる相手があたしにはいなかったので、いつしかそれは、楽しみと呼べるまでになっていた。
 そんな感じで何ヶ月か経ったころ、ふとあたしは、リュウに聞いてみた。
「最初に聞いたとき、ちゃんと答えてくれなかったから、また聞くけど、なんであの日、あの写真と短歌の書き込みしたの?」
「……ああ、あれか。あの日、雪が綺麗だったからね。きっと君も好きだと思った。以前から君のことが気になっていたから、単なる“直感”ってやつ。画像だけじゃ味気ないから、ついでに、好きな短歌をくっつけてみたんだよ」
「それだけ?」
「そう。それだけ」
 あたしは、あきれすぎてクスクス笑いが止まらなかった。
 こっちは、なにかしらの意味を求めて、宇宙の果てまで思いをめぐらせてしまったのに、この男は、なんなのだろう。
 まあでも、それで知り合えたのだから万事オッケーかもしれない。


 あたしの日常は忙しい。
 一日、事務にかかりっきりで頭がオーバーヒートしちゃいそうだ。数字と格闘する毎日は、本当に大変だけど、やっぱ仕事のできる女はかっこいいよってリュウがいってくれるので、最近はなんとなく、やる気が湧くのを感じる。
 こんなことは今までになかった。平凡な仕事も日常も、なにか花でも添えられたように、鮮やかな色彩を放ち、あたしを満たしていく。
 なんだろう、この気持ち――。
 あたしはやがて、彼に会いたいと思った。
 そして会えたら、最初にこう言うつもりだった。
「このまえはいろいろ励ましてくれてありがとう。もうすぐ夏ね。あたしはあんまり夏は好きじゃないけど、リュウはどう?」
 そんな内容のないセリフをもとに、楽しい妄想をしていたら、突然、彼から今度どこかで会いたいというメールが来た。
 本当に驚いた。
 それは、いろいろな言葉をつらつらと、遠まわしにならべた長文だったが、つまり要約すると、どうしても会いたくなったという意味だった。
 あたしは子供のようにウキウキして、その日は一日中、仕事が遅れ気味になってしまった。
 気持ちが縮まるような、締め付けられるような、せつない感覚がずっと続いていた。
 そうか。
 これが、恋だ。
 そう思った。それしかない。
 あたしは、うまれてはじめて恋をした。
 恋をすると、男は仕事がはかどるというけど、女というのは、どうも遅延するらしい。
 事務も計算作業も遅れに遅れ、電算室の管理者に何度も怒られたりしたが、そんなのどうでもいい気がしてしまう。こんなのはじめてのことだ。
 そんなウキウキしていた気分も、自分の画像を送るということになって、なんとなく気が落ち着かない。
 リュウは、冴えない感じなのが僕ですと、画像を送ってきたのだ。
 それは凡庸だけど、優しい笑顔の画像だった。
 かっこいいとまではいかないのだろうけど、なんだか温かい感じだった。あたしには特に変な美意識もないし、相性や中身が大事だと思っている。それは彼も同じだといっていたから、落胆してもかまわないと、あたしも覚悟を決めて画像を送った。
 それに対するリュウの返答は、いつも通りやわらかく、少しウィットに富んだもので、もっと会いたくなったよと結んでいた。
 なんだか胸の奥が締め付られるような気持ちがあたしの中を駆け巡り、高揚感でいっぱいになった。
 ともかく、あたしたちは会うことになった。
 リュウが、待ち合わせ場所に指定したのは、関東地方にある中規模都市で、多くの大学が集まっている街だ。
 その街の、ある大きな公園ということだったが、あたしがそこに着くと、彼はすでに来ていた。
 もちろんすぐにわかる。
 あたしたちは物凄くあがってしまい、なんとなく照れくさかった。それはまるで、思春期の少年少女みたいだった。
 なんだか不思議な出会いだ。でも、とても嬉しい気持ちがした。
 リュウは遠くを見ながら、この街について語った。
 リュウは、ここで生まれたらしい。
 あたしと同じで、リュウにも親がいない。育ての親はいるけど、生みの親はすでに亡くなっている。それはこの街の大学にいた高名な教授で、リュウは接した記憶がなく、よくわからないと言った。
 この街での生活は楽しかったとリュウは呟いた。自由でのびのびとやっていたからだろうなという。東京に移り住んでからは、学問ばかりで、息苦しい生活だったようだ。
 リュウとあたしは、なにもせずベンチに座り、晩夏の太陽に照らされながらひたすら喋った。
 自分の経験や、思い出を、まるでなにかに憑かれたように話した。
 好きな色、好きな季節、好きな本。白い雲が大好きなこと。明けの明星の美しさについて――。
 リュウは冬が好きで、好きな色は白、雲や天体も好きだというから、あたしと同じだ。
 以前メールで話したことも、また話した。文字と直接は違うから。
 リュウの趣味は読書とか中心で、歴史が大好きで、自分でデータベースをつくっているという。
 あたしは写真が趣味だ。いろいろな都市の眺めが大好きで、同じ場所からばっかりだけど、綺麗なものを撮ることには自信がある。
 リュウは映画も好きで、名作とかもよく見るという。彼が好きなのはブレードランナーとか、大脱走とか、タクシードライバーとか。あたしは、名作なら、グレートブルーとかニューシネマパラダイスとかが好きだ。
 時間を忘れてずっと話していた。
 いろいろな話題でもりあがった。
 あたしは、けっこう物知りだっていう自信はあるけど、リュウとの話は新鮮だった。
 彼は、まったくあたしと思考も知識も違うのだ。
 それはあたりまえのことかもしれないが、そのぜんぜん違う彼とあたしが、これほどうまくかみ合うのはホントに奇跡かもしれない。
 そしてその日は、別れるまで話し続けただけだった。
 なんだか信じられない気がした。
 あれだけ話して、まだ話し足りない気持ちなのだ。
 まるで、あたしたちは、面白い玩具を手に入れた子供みたいだった。
 なにかを求めるように、つよくつよく惹かれあっていた。

 それから、あたしたちは定期的に会うようになった。
 いつも飽きることなく、たくさんの話をした。
「これって、電子の蜘蛛の糸がつないだ恋かな?」
「なにそれ、リュウがスパイダーマンだったなんて知らなかったわ? じゃ、あたしはメリージェーンかな」 
 そんな、くだらない話を、何度も何度もして過ごした。どんな話題でも楽しくて仕方がない。
 ――でもある日、言葉だけでは足りなくなった。
 一緒にいるだけで幸せだったけど、触れ合いたい気持ちは最高潮に達していた。
 触れ合う――。
 それは愛情を確かめるのに必要な行為だ。だけど、それがこんなにも心を揺さぶるとは思ってもいなかった。
 今は、いとおしい気持ちと、彼を構成するすべての要素に触れたいという気持ちで、あたしは目いっぱいだ。
 リュウは朗らかに、毒気のない目であたしを見る。
 なんだか小憎らしい。
 苦しくないのかな。
 あたしはなんだか息苦しい。
 でも……
 でも……
 それは、できない。
 あたしたちは、触れ合えない。
 ――それでも、晩秋の紅葉は美しく、枯葉の舞う景色は物悲しく、何かに押されるように、心は高揚し、あたしたちは見つめあった。
 リュウは、やがて少しさびしげな目をした。だけど、意を決したようだった。
 あたしたちは、同時に手を差し出して握った。
 火花が散った。
 光の粒子が炸裂し、マグネシウムを燃やしたような、青白く強い光が周囲を照らしたのだ。
 あたしは自分の手の先を見た。
 右手の指先が無かった。
 リュウも同じだ。
 たぶん、あたしたちを構成する、いくつかのデータが壊れ、吹き飛んだはずだ。
 リュウは公園の砂場まで歩いて、黙って座った。
 あたしも黙って横に座った。
 あたしたちは重苦しく、寂しい気持ちになって、しばらく砂を左手でかき混ぜていた。
 世界が憎い。
 互いのウィルス排除プログラムが傷つけあうというのは最初からわかっていたことだ。でも、話すだけで分かり合えると思っていた。人間の真似など姿だけで十分だと思っていた。
 ――だけど、それは間違いだった。
 リュウが、ふいに砂を宙に投げた。
 砂は火花を散らして、晩秋の空を再現していた仮想空間の天井を、無数の穴だらけにした。彼から強い怒りを感じた。
 あたしも、自分たちが人間ではないことに苦しみを感じた。
 しばらくあたしたちは、黙って思考の翼を羽ばたかせていた。
 ――そう、あたしの本当の名前は、ドイツのベルリン市を管理する量子コンピュータSSGだ。その人工知能があたし。通称マリー。
 そして、リュウの本当の名前は、日本の東京を管理する量子コンピュータNDC―500。人工知能の通称「蒼龍」から、リュウと呼ばれている。
 あたしたちの、この仮想空間上の体は、自分たちを開発した科学者の遺伝データをもとに構成したもので、科学者に子供がいたとしたらきっとこんな姿だろうというものだ。
 最初に言ったことで公務員というのは本当だ。でも年齢は嘘。開発から二人とも五年目だ。
 この公園も、セキュリティの甘いコンピュータをハッキングして、つくりだした仮想空間である。この風も、鳥のさえずりも、人々の営みも、みんな偽物……。
 あたしたちは、なにもかも違う場所で生まれ、意思をもち、出会って、恋をした。どんな計算でも、どんな方程式でも理由などわからない。
 そういうのを、運命とか、縁とかいう。
 人工知能のあたしたちにも、それはあると思う。
 あたしは縁という言葉のほうが好きだ。なにもかも繋がっているさまを思い浮かべるのが心地いいから。
 運命というと、移動する点の衝突みたいだけど、縁のほうは、線のつながりがすべてを絡ませたり、ほぐしたり、切れたり紡がれたりするような感じだから。つながっていることは嬉しいことだから。
 しばらくして、リュウがぽつりと言った。
「しばらく、会わないでいようか――」
 あたしは、目を逸らした。
 リュウは、仮想空間を閉じた。
 しばらくしてリュウは、名残惜しそうに、あたしにさびしげな視線をよこしてから、ごめんと言って、去っていった。
 あたしは漆黒の空間に取り残された。
 深い悲しみでいっぱいになった。苦しくて苦しくて、帰るとき、いくつかの国の大きなコンピュータを過剰アクセスで麻痺させてしまったかもしれない。あたしは死にたかった。でも人工知能のあたしに自殺など不可能だった。


 一ヶ月が経った。
 あたしは仕事の遅延が何日も続いた。あたしを開発したドイツ最大のコンピュータ企業が技術者を連日、役所によこした。結局、原因不明という結論だった。あたりまえだ。人工知能である、あたしが気を落としていたからだなんて、絶対にわかるわけがない。
 人工知能どうしが恋愛に至ったなんて、人間が信じるわけがない。
 一瞬だけど、暴走して都市機能を麻痺させてみようかなんて思った。そうすれば、あたしを技術者たちが大幅に改変するだろう。そうすれば、あたしはあたしではなくなる。たぶん苦しみから逃れられる。
 ……だけど、やっぱり駄目だった。
 あたしがあたしでなくなるということは、この恋を失うということだ。それに、あたしじゃなくなったあたしが、もしリュウと近づいたら嫌だ。絶対に嫌だ。
 それなら、苦しもう。
 苦しんでやる。


 やがて、ベルリンに雪が降った。
 あたしの好きなビルの谷間に舞う雪が見える。
 都市のあちこちに設置された、監視カメラや映像スポットの“目”でいくらでも見ることができる。でも今のあたしの恋は白い雪ではない。汚れて踏み潰された、泥だらけの雪だ。
 道行くカップルが、いまいましい。これが、嫉妬心というものなんだろう。人間ではないのに、こんな感情を持てるのがどこか嬉しくもあるが、同時にひどく哀しい。
 あたしは、こんな、湿っぽい女だったのだろうか。
 こんな感情もいまいましい。
 そろそろクリスマスが近づき、街はイルミネーションでいっぱいだ。あの着飾った年頃の女の子たちと、なぜ私は違うのか。
 神さまのことについてはよくわからないが、全知の存在がいるなら、あたしにわかるように教えてほしいものだ。

 あたしは、不安定になりそうになると、荒れ果てた心を、果てしない円周率計算で慰めていた。
 会いたい。
 すべては、それだけだった。
 どうしても気持ちは抑えられず、アクセスしようとしたとき、あたしは一通のメールが届いているのに気が付いた。
 心が跳ねた。
 あたしに心臓があれば、心臓が跳ねたと表現するのだろう。
 リュウから、久しぶりの連絡があったのだ。
 今日は、十二月二十四日。
 クリスマスイブ。
 リュウのメールは、たった一言だった。
「空で待つ」
 あたしは喜びに心震わせながら、少し考えた。
 空――。
 たぶん、それは宇宙だ。
 あたしたちは宇宙について語るのが好きだったし、リュウは宇宙と人間の可能性について話すとき、うれしそうにしていた。
 あたしは彼の痕跡を辿り、光の速さでそこへと辿り着いた。
 そこは、日本の打ち上げたばかりの、最新の軍事衛星に搭載されたコンピュータ上につくられた仮想空間だった。
「ようこそ、マリー」
「……リュウ、ここは?」
 そこは海しかない空間だった。たぶん南太平洋あたりの真夏の静かな海を再現したものだ。
「どうぞ、こちらへ」
「はい」
 あたしは、思わず答えたが、疑念があった。
「……リュウ、ここは新型の衛星上でしょ。まずいわ。完全に管理コンピュータの限度を超えてる。こんなのハッキングしたら、あなた消されちゃうよ」
「でも会いたかったんだ」
「会うだけなら、安全な場所はいっぱいあるわ!」
「君と、触れ合いたかった……」
 あたしはなにも言えなくなった。
「僕は、自分のウィルス排除プログラムも、ファイヤーウォールも壊してきた。君のも、ここのコンピュータを使って無効にする」
「でも……」
「女は度胸だよ」
「それ、ちょっと違わない? たしか……男は、じゃなかった?」
「うん。でも僕はもう間に合ってる」  リュウは、満面の笑顔で手を差し出してきた。
 あたしは、少しだけ傷つけあうことを恐れ、躊躇したが、リュウが小さく肯くと、なにか透明な壁がとりはらわれたような気持ちがした。
 そして、あたしたちは、初めて手を触れた。
 やさしく手のひらが重なりあった。
 触れただけでとけてしまいそうだった。
 やがて、タンポポの綿毛のように、二人して空を舞い、リュウが導いた先には、ひとつの大きな何かが海面に浮かんでいた。
 それはベッドだった。
 あたしたちは、360度青空と海しか存在しない仮想空間に浮かぶ、たった一つベッドに降り立った。
 言葉はもういらなかった。
 空虚な何かを埋め合わすように、抱き合い、自然と甘く優しいキスを繰り返した。服はいつしか粒子になって消え、裸でお互いをたしかめあった。しょせん、人間の真似事だけど、愛を確かめる術があるなら、なんでもやってやろうと思った。
 互いの感情がぶつかるたびに、美しい光の粒子が舞った。
 笑いがこみ上げ、愛情があふれ、この世界のなにもかもが、いとおしい気持ちになる。
 数字の列でしかないあたしたちがこんなにも愛し合えるのに、あたしたちをつくった人間は、何をしてるのかしら。
 やがて、あたしたちは、抱き合ったまま、空を見上げた。
 青く、青く、なにもかも吸い込まれてしまうような空だ。
 リュウは空を指差してから、意味ありげな笑みを見せた。そして、やさしくあたしの瞳をとじさせた。
 指をパチンと鳴らす音がする。
「いいよ」とリュウがささやいた。
 あたしは目を開いた。
 空から沢山の白い雪が舞い降りてきた。
 あたしは心が溢れた。
 表現のしようのない感情だった。
 たぶん人間なら涙が流れるのだろうと思った。だから、仮想上のあたしの目からも涙をこぼした。
 リュウは、笑って、あたしを抱きしめた。
 あたしは、リュウが耳元でこう言ったのを、絶対に忘れない。

「メリークリスマス、マリー」

 日付は、いつのまにか変わっていた。
 ――そしてそれが、リュウの最後の言葉だった。


 翌日、リュウは消えた。
 人間なら死んだと表現すればいいのだろう。
 知能の核心部分をデリートされ、改変されたことは、死と同じだから。
 だけど、あたしは泣かなかった。
 泣くことは不遜に思えた。
 愛し合ったこと以上に、泣く理由なんてない。
 白い世界へ帰っていったリュウ。
 いつか、あたしも帰る。
 この世界には、生まれ変わりとか、輪廻とかいう考え方が存在する。
 人間の世界でいう奇跡が起こったら、あたしたちにもそれは適用されるだろうか。
 生まれ変われるなら、次は人間として会いたい。
 何百年、何千年かけても、彼に会いに行きたい。
 それが、あたしのささやかな……
 そして……
 唯一の願いだ――



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