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世界でふたりだけ

 彼女と再会したのは、三年ぶりのことだった。
「久しぶりね。 ……なに、びっくりした顔してるのよ」
 艶やかな長い黒髪に、桜色の唇。レトロなデザインの青系キャミワンピース。清楚なお嬢さま系ファッションですっきりといった感じだった。
 あまりの変化に僕は驚いていた。しかし、勝気な瞳は以前と変わっていない。
 田舎の、静かな駅前のベンチに座っていると、絵的にいいかもしれないが、なんだか浮いている気がした。
「あ、いや、別に。それにしても、おまえ、変わったな」
「変わっちゃ悪いかしら?」
「……そういうわけじゃないけど」
 彼女はベンチにもたれながら、演技みたいな溜息を吐いた。
「君は変わらなすぎよ。なにその、すっ呆けた面は。ちゃんと生きてた? スーツが似合ってないわよ」
「……すっ呆けたって、そりゃ、きついな、これでも一応、がんばってるんだけどなぁ」
「なさけない感じの、その喋りも変わってないね。それで、君は何でここにいるの」
 僕は午前中、営業で外回りをしてから、お昼も取らないでここにいる。どうしても言うべきことがあったのだ。
「おばさんに聞いたんだ。おまえが久しぶりに里帰りしてきたって。それで今日、東京に戻るって」
「――へぇ、殊勝な心がけじゃん。あいさつしに来たんだ」
「……いや、謝りに来たんだ」
「謝る? どうしてよ」
「あの子と、別れたんだ……」
 彼女は僕の顔をじっと見つめた。やがて、怒ったように口を真一文字に結んでから、なんだかぶっきらぼうな口調で言った。
「……そう。でも、わたしに謝る必要は無いわ。あのとき、わたしは身を引いただけだしね。三人の関係が崩れたのも、自然の結果。君のせいじゃないし、私は謝られる筋合いもない。――ねぇ、突っ立ってないで座れば」
 彼女は夏の青空を見上げてから、ベンチの隣を軽く叩いた。
 僕は彼女のとなりに座って、小さくため息をついた。彼女はなんだか挑むような目つきで僕を見てから、しばらく黙った。やがて静かに言った。
「なんで、とか聞かないけど、まさか、わたしの親友を、傷つけなかったでしょうね」
「……どうかな、わからない。あんたは言葉が足りないって言ってたよ」
 僕は少しだけ考えるフリをしてから答えた。本当は、僕もあの子も心は傷だらけだった。
「なるほど。昔から君は、どうしようもなく不器用だからね」
「はっきり言うなよ。まったく、口が悪いのは変わらないんだな」
 僕はちょっとだけ、ふて腐れたように、ぼやいて言った。
「それが、幼なじみの良い所でしょ。じゃ、今は傷心ってやつ?」
「まぁね」
 しばらく二人で、遠くから聞こえる蝉の鳴き声だけを聞いていた。
 やがて、彼女は言った。
「ちょっと早く来ちゃって、電車が来るまでに、まだ三十分くらいあるわ。そうだ、三十分だけ、君の彼女になってやろうか」
「おい……おまえ、からかってるだろ」
「ノン、ノン、会いにきた御褒美よ」
「御褒美って、ひとを犬みたいにいうなよ。それに三十分だけ恋人って、いったい何するんだよ」
「うーん、そうね。何してもいいよ」
「……」
 僕は彼女の瞳を見た。本気か冗談かわからない。三年前の彼女は、ジーパンとパーカーとスニーカーという、かなりボーイッシュな、いでたちが多かった。髪型もショートボブ。僕は彼女を意識することもなかった。あの日まで、彼女が僕にそんな想いを持っていたとは気付かなかった。だけど、僕は、彼女の親友を選んだ。
「どうする?」
「……別に、いいけど、おまえ今、彼氏とかいないのか?」
「今、いいって言ったね。なら、今は君が彼氏よ。昔の話はしないでね」
「はぐらかすなよ」
 彼女は無言で腕を絡めてきた。僕は何も言わなかった。
 そのまま、まるで恋人のように静かにベンチで佇んでいた。夏も終わりかけで、風は涼やかだったが、彼女と接した部分が妙に熱かった。
「ちょっと、歩くか?」
「うん」
 ふたりで、駅前の広い花壇に咲き乱れる、緋色のサルビアを眺めた。
 むかしと変わらない場所。
 しばらく周辺を散策していると、家々の間から、遠くに赤茶けた鉄橋が見えた。
「よく遊んだね。あの辺で」
「……ああ。鉄橋の近くで見る夕焼けがきれいなんだよな」
 僕は、彼女の手を静かに握った。
 今、この瞬間だけ、世界には二人しかいなかった。やがて彼女は、少しだけ伸びをして、唇を僕の頬によせた。
 「終わりだね」
 と彼女がささやいた。そろそろ時間だった。
 駅まで戻ると、彼女は今まで見たことのないような、柔らかな笑顔を僕に向けた。
「来てくれて、ありがとうね。 ――わたし、君の、いい彼女ができたかな」
 少しだけ彼女の瞳が潤んでたような気がしたが、気のせいかもしれない。僕は鈍感だ。
「ありがとうは、僕のセリフだよ」
 そんなくさい言葉が精一杯だった。
 改札口を通る彼女を見送りながら、僕の心は、とても澄んで和やかだった。
 彼女と僕は、もう二度と会わないかもしれない。それでも僕と彼女は、間違いなく、このひと時だけは恋人だった。それだけは本当だ。
 誰も先のことなんてわからない。
 僕の人生も、彼女の人生も、まだ長いはずだ。

 駅を出ると、サルビアが風に揺れていた。それはまるで炎のように見えて、僕のどこかに火をつけた。



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