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夕立、雨に雲ながれ

 初夏の昼下がり、街は清々しい風を受け、その身を躍らしている。
 人と街も、生命力が溢れる季節である。
 田舎とも、都会ともいえない中途半端なこの街にも、生気が満ち満ちていた。
 学校が終わり、僕はいつものコンビニまで行くと、彼女が不機嫌そうな顔で待っていた。
 彼女は、コンビニの前で、国道を走る車の列を、冷たい目で眺めていた。
 栗色のショートな髪と、愛らしい瞳が、ボーイッシュな雰囲気とあいまって、気の強そうな印象を受ける。
 時計を見た。
 彼女の来てと言った時間を、五分ほど過ぎていた。
 僕は軽くため息をついて、無言で彼女の横に立った。
 彼女は僕をちらりと見るが、なにも喋らない。
 初夏の柔らかな風が、彼女の制服のスカートを揺らし、かすかな汗の匂いが僕の鼻孔をくすぐる。
「で、どうしたん?」
 僕は、変な空気に負けて、口を開いた。
「……なんだ、来たの」
「おまえが、呼んだんだろ?」
「……」
 変なやつだ。
 僕と彼女は幼馴染で、小学校から高校生の今になるまでずっと一緒だった。
 小学生のころの数年間以外は、クラスも同じという、くされ縁だ。
 性格もまったく違うし、趣味も合ってない。
 夢も違ければ、考えることも似通うことはない。
 だけれども、僕らは付き合っていた。
 親友の達也は、僕たちのことを、まさに火と水だなとよく言う。
 例えとしては、ほとんど完璧なくらいに、まったくその通りだ。
 付き合ってるのが不思議なくらいだと自分で思うほど、彼女とは正反対だから。
 彼女は火で、僕は水。
 だからこそ惹かれあってるのかもしれないと、僕はたまに思う。


「入ろうよ」
 彼女は僕の返事も待たずに、コンビニへと入っていった。僕はあわてて追った。
 しばらく二人で新発売のカップ麺や、薄毛を気にしてる担任教師が今年結婚するらしいという話をする。達也がギリギリ赤点を逃れたという話で笑いあう。
 だけど、彼女は、なかなか本題を切り出さない。
 いちおうは恋人同士ともいえる僕らだから、何か用がなければ会わないということでもないが、神妙な顔つきで呼ばれたら気にしない訳には行かない。
 気になって、ちょっとそわそわしてきた所で、彼女がふいに「なんか、鳴ったね」といった。
 僕は首をかしげたが、外を見るといつのまにか、黒い雲が空を覆いはじめていた。
「げ、夕立だ」
「……さすが、雨男」
「夕立は関係ないだろ」
 僕は彼女を急がせて、外へ出た。
 アスファルトにポツポツと染みができて、雨の匂いがした。
「これから、どうする?」
 僕がそう問うと、彼女は帰ろうと呟いた。
 さすがに僕は、今日は、どうしたんだよと聞いた。
 彼女は、なんとなく落ち着かない雰囲気だったが、真正面から見据えるようにして僕を見た。
「あたし、今度留学することになった……」
「留学? どこへ……なんでまた」
「オーストラリアに秋から一年ほど行ってくるの」
「……オーストラリア? 一年も! それじゃ、帰るときには卒業間近じゃないか」
「ねぇ、どう思う?」
「どう思うって言ったって……」
 僕が言いよどむと、彼女は急に歩き出した。
 僕らは近所同士で、家はここから遠くない。
 また、雷が鳴った。少し地面のポツポツが増えてきた。

 ――思えば、彼女と付き合うきっかけになった日も、夕立だったなと、僕は思いだした。
 一年ほど前、僕は部活をズル休みして、となり街で他校の友達と遊んでいた。
 そのころ、僕はバレーボールに嫌気が差していて、万年補欠にうんざりだったのだ。
 彼女に偶然会ったのは、帰りに寄ったファストフード店であった。彼女はアルバイトをしていた。
 幼馴染で、よく会話はしていたはずなのに、彼女がアルバイトをしていることは知らなかった。
 彼女は、帰り際、誰にも言わないでよと、僕に念を押した。
 基本的に僕らの高校は、アルバイト禁止だからだ。
 ないしょでしている生徒は沢山いたが、学校にばれれば、それなりのペナルティはある。
 なんでも互いのことを知っていて、兄妹みたいな関係だった彼女と僕は、それを境に変な意識を持つようになった。
 それからまもなく、彼女と僕は、下校途中で、ひどい口論をした。
 部活を休みがちになり、成績が荒れはじめた僕を、彼女は本気で怒ったのだ。
 激しい口喧嘩になった。
 空が暗転し、入道雲が天空を覆っても、僕らは罵りあっていた。
 金を稼いで男にでも貢ぐのか、と僕が言えば、万年補欠くらいでこの世の終わりみたいな面して、身の程を知れば、と彼女が応戦する。
 雨が降り、ずぶぬれになって、悪口が尽き始めたころ、彼女は目を赤くしていた。泣いていた。
 なんでも互いのことを知っていると思っていたのは間違いだった。
 彼女は、いつも太陽のように明るく朗らかで、まるで僕にとって火のようだった。
 僕が疲れたとき、彼女はいつだって僕を励ましてくれていた気がする。
 僕は冷めた性格で、いつも冷静だった。彼女は、何か嫌なことが起きると、よく僕に当り散らしていた。
 僕に心を鎮火して欲しかったのかもしれない。彼女にとって僕は水なのだろうか。 
 悪口のボキャブラリーがついに尽きて「この雨男が」と彼女が言った。
 僕は、なにもかも吐き出して、心のもやもやがいつのまにか消えていた。
「ごめん……」と自然に口からでた。彼女は驚いたようにして「私もごめん」と呟いた。
 そう、それからまもなく僕らは、どちらからともなく自然に付き合うようになった。
 いつのまにか、恋をしていた。


 彼女の後ろを歩きながら、僕は思い切って言ってみた。
「本当に行くのか?」
「うん」
「寂しいぜ」
「うん」
「……なぁ、やめろよって言ったら、やめるか?」
「……」
 いきなり止まった彼女に、僕はぶつかりそうになった。
 彼女は、笑顔と不安の混ざったような表情で、僕を見た。
 僕は、彼女の手をとっさに握っていた。
 そのまま、雨が強くなってきたので、裏道の昔ながらの小さな煙草屋の軒先で、僕らは雨宿りをした。
 大粒の雨が地面を叩き、遠雷が地面に響いた。
 僕は彼女の手を握ったまま、黙って彼女を引き寄せた。
 長い間、そのままでいた。
 いつのまにか僕の中で、彼女はひどく大きな存在になってしまっていた。
 好きでいるだけで、不安がこんなにもあるのかと、僕は思った。
 会えなくなるという、さらなる不安に耐えられるという自信はない。
 ――けれども。
「やめない」
 彼女は、僕の胸に顔をうずめて言った。
「そうか」
 僕は落胆を隠さずにつぶやいて、彼女を強く抱きしめた。
「痛いよ……」
「痛くしたんだよ」
「馬鹿」
「どうせ、僕は馬鹿だよ」
「そういう意味じゃないよ」
「わかったよ。どこへでも行って、勉強してこいよ」
「……ありがと……ごめんね」
「謝るなよ」
「うん」
 雨が少しずつ小降りになりつつあった。
「そっちもバレー、レギュラーにはじめてなったんでしょ。頑張りなよ」
「さあ、どうかな……」
 ……勝利の女神がいなくなったら困る。とはさすがに口には出さなかったが。
 彼女は、雨の中へと軽くステップを踏んで飛び出した。
 僕も、もう濡れてもいいやと、雨の中へと飛び出した。
 彼女は、僕のわき腹を肘で軽くこずいた。
「浮気すんなよな」
「おまえもだよ」
 僕は彼女の短な髪をなでた。
「でも、あっちには、いい男がいるかもなぁ」
「ああ、イイ男はいても、良い男は、ここにしかいないけどな」
「……この、身の程知らずの雨男め」
 僕らは笑いあって、空を見上げた。
 雨は弱まり、夕立雲は、風下へと流されていく。
 そう、きっと、あの雲のように、僕らも何処かへと流されていくだろう。
 だけど、ひとつだけ僕は思う。
 みずからの意思で、流れの方向は変えられると。


 遠くに雲の切れ間が見え、茜色の光が少しずつ差しはじめていた。

 かすかに虹が見えた気がした。



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