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スナイパー!

 風が止みはじめていた。
 太陽が天頂から傾きかけ、雲はそう多くない。
 春のやわらかく優しい日差しが、そのビルの屋上にも照り付けるが、今しがた姿をあらわした、黒衣の侵入者にとっては何の感情も湧くことではなかった。
 侵入者は、身長百八十を越える大柄の男で、大型のハードケースを片手に提げていた。
 黒いスーツで身をかため、金髪をオールバックにして漆黒のサングラスをかけている。
 男はビルの縁まで行くと、機械的な動作でハードケースを開いて部品を取り出していく。
 慣れた動作で組み立てたものは、ボルトアクションの狙撃銃であった。
 M24対人狙撃銃と称されるこのスナイパー・ライフルは、アメリカ陸軍でも使用されている高精度の狙撃銃である。
 男はこれで、7.62mmNATO弾を五百メートル先の標的に、誤差五センチ以内で叩き込める腕をもっている。
 男は軽く首を回し、静かに息を吐いてから、サングラスを外して胸のポケットに差し込んだ。
 かなりの美男だった。三十歳とも二十歳ともいえるような年齢不詳の風貌は、威厳と冷徹さに満ちていた。
 男はライフルを構えながら、何度もその感触を確かめる。
 失敗は許されない。
 ターゲットを完全に仕留めることが彼の仕事だ。
 完全な無表情で、リューポルド社製光学照準器の十倍固定四十ミリレンズを覗き込んだ。
 今回のターゲットは、都内のマンションに住む、三十代の女性だった。
 この古いビルの屋上から、マンションは目と鼻の先である。距離にして約三百メートルほどで、男にとっては余裕の狙撃ポイントだった。
 男は、女性がマンションから出るところを狙撃する計画を立てていた。
 下調べでは、女性が土曜の午後には、決まって近くのコーヒーショップに出かけるのがわかっている。
 読書が趣味なのか、店内では文庫本をよく開いている。
 女性は、老人介護施設に勤務しており、一人暮らし。とりたてて美人ではないが、不細工というほどでもない。婚姻歴は無く、彼氏もいないようだ。毎週土曜が休日であり、日々忙しいらしい。
 ――くだらん。
 その人間の生活パターンには何かしら意味はあるのだろうが、まったく興味はなかった。一応調べはするが、人柄にも人生にもプロフィールにも興味はない。
 スナイパーである男にとって、仕留めるための確実なパターン情報だけが重要なのだ。
 やはり几帳面な人間が一番ターゲットとして都合がいい。気まぐれが少ないから行動が読みやすいのだ。
 腕時計を見ると、予定まであと五分十三秒だった。
 男はスコープを覗きながら、精神を集中させていく。
 しばらくすると女性が入り口から現れた。時間通りである。
 女性は、マンションの敷地にある駐輪場へと向かった。乗用車は使わないで自転車を使うことも確認済みだ。
 狙撃まで、あと十秒。
 女性は、今日も冴えない表情で、自転車に乗った。
 狙撃まで、あと五秒。
 女性は、何も起こらないと思ってるだろう。今から銃弾に打ち抜かれるとも知らずにいる。
 狙撃まで、あと二秒。
 女性は、いつもの平凡な日常に疲れていた。しかし、それも、今日で終わりとなるだろう。
 男は引き金を引いた。
 ズキューン!
 女は一撃で心臓を打ち抜かれ、自転車から無様に転げ落ちた。
 路上に仰向けに倒れ、そのまま動かなくなった。
 男は生まれてはじめて笑ったかのような不自然な笑みを浮かべた。そして、すぐさま状況をスコープで確認する。
 近くの酒屋から、女性が倒れたのを目撃した若い男が走ってきた。
 若い男は女性に駆け寄って声をかける。
 当然、答えはなく、若い男は女性の首に手をやって脈を調べた。
 若い男は救急車を呼ぼうとしているのか、携帯電話をポケットから取り出した。
 ――その時だ。
 心臓を打ち抜かれ、即死したはずの女性が、いきなり目を開いたのだ。
 若い男は、女性としばらく見詰め合った。
 少し会話をしたのち、女性は何事もないように、若い男に肩を貸してもらって立ち上がった。
 若い男は、女性の自転車を起こして、女性に何か笑いかけている。
 女性も、照れ笑いを浮かべて笑っている。
 男は、すばやくライフルをハードケースへと収納し、サングラスをかけた。

「Mission completet(ミッションコンプリート)!」

 男は、小さくそう言って、どこからともなく取り出した薔薇の花を、そこに放ってから立ち去った。
 放られた薔薇は、風に花びらを散らせて、不思議なことにコンクリートの床に文字を描き出した。

 ――Love is all(愛こそすべて) Cupido(キューピッド)



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