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最強を求めて

「よし、やってくれ」
「本当にいいのですか、チャンピオン。いえ、ビリー。本当に奥様に別れの挨拶はしないのですか?」
 白衣の科学者は、ビリーの入ったカプセル状の機械の最終チェックをしながら聞いた。
「いいさ、きっと、わかってくれるだろう。ここで泣かれても困るしな。俺はもう抑えられないのだ。このたぎる力の奔流を」
 ビリーはガラス越しに力こぶしを見せた。凄まじい筋肉である。
 カプセルの中に横たわる、二メートル近い筋骨隆々たる巨体は、まさに戦うために生まれてきたような見事なものである。
 科学者は半ば呆れ顔で、さすがチャンピオンとつぶやいた。
 ビリーは、総合格闘技のチャンピオンであった。それも普通のチャンピオンではない。
 世界最強の王者として、十年近くも頂点に君臨する、史上最強の呼び声高き男である。
「では、最後に契約の確認をしておきます、この冷凍睡眠装置の解除は、あなたを超える強さを持つものが現われた時しかおこないません。それは五十年後、百年後になるかもしれません。良いのですね」
「くどいな。だから財産の半分をつぎ込んだんだぞ。俺はもっと強い奴と戦って勝ちたい。今の時代にいても負ける気がしない」
 ビリーは遠い目をしてから瞳を閉じた。
 長く空虚な日々をすごしたことが頭をよぎる。
 最強の名を手にしてから、一度も負けたことがない。近年は一分も相手は持たず、たいがい病院送りになった。ついには挑戦者がいなくなった。
 やがて、ビリーは自分の衰えを恐れた。このまま、まともに戦えず頂点へ到達した力を無駄にするのはひどく悲しかった。そして、達した結論は、冷凍睡眠で最強の敵を待つこと……。
 西海岸の新興企業が、開発したばかりの冷凍睡眠装置に入ることを決断し、今まで稼いだ莫大な財産の半分を企業に払って契約した。
 契約の内容は、払った資金の続く限り眠らせること。複数の格闘専門家が、自分の強さを超えると判断するものが現れたときのみ覚まさせること。
 おそらく五百年先までは、眠り続けて待つことができるだろう。
「さらばだ、脆弱なる我が時代よ。さあ、やってくれ」
「では、ご武運を」
 ガスがカプセル内に充満し、ビリーを昏睡させた。長い時間をかけ、特殊な液体が流れ込み、やがて冷却が開始された。

 けたたましいベルの音が聞こえる。
 遠くから呼ぶ声。
 次の瞬間、咳き込んでビリーは目を覚ました。
「ここは……」
 白い壁に白いシーツ、そして白い服。どうやら病院の一室のようだ。
 扉が急に開かれ、医師らしき男が入ってきた。
「目を覚ましましたか」
「わたしは…… そう、そうだ。強い奴は現れたか! おい、今は何年後だ?」
「……はい、現れました。とてつもない強さです」
 ビリーは不敵な笑みを浮かべた。やがて、医師の後ろから見覚えのある科学者が入ってきた。
「なんだと。おまえ、年を取ってないじゃないか、なんなんだこれは、まさか、貴様ら、俺をかついでいるのか!? 今はいつなんだ」
 それは、冷凍睡眠装置を作動させたあの白衣の科学者だった。
「落ち着いてください、ビリー。今は、あれから五年後です」
「五年だって!? まさか、たったそれだけで現れたというのか」
「……はい。もう、おいでになられています」
「なんだと。こっちの準備が整ってないぞ」
「大丈夫です。冷凍睡眠では、筋力、体力が低下することはありません」
 ビリーは、ベットから降りた。パンチを繰り出して試す。
「そうか、なるほど。そいつを連れてこい。ふふ、なんなら行ってやってもいいぞ」
「――もう来てるよ」
 その声で医師と科学者は、怯えたように部屋の隅へ逃れた。
 部屋に入ってきたのは、ビリーの体をひとまわりも上回る、巨体の女性だった。ギロリと鬼の形相で睨み付けてくる。その筋肉の量が人間とは思えない、まるで肉の化け物だ。
「……おまえは!?」
 医師が完全に取り乱した声で説明した。
「そ、それが、去年バイオテクノロジーとマイクロマシーンの分野で革命的発明がなされまして、人体を強力な戦闘マシーンへと変える技術が完成して……」
「そんな、馬鹿な」
「ビリー、あなたがいなくなり、非常に嘆き悲しみ、財産の残り半分を研究に寄付され、その実験台に、自らすすんでおなりになったのが……」
「リディア!?」
 人間の限界を超えた、鋼の肉体をもった彼女の正体は、ビリーの妻であるリディアだったのだ。
「どれだけわたしが寂しく、悲しい思いをしたかわかるか、この、身勝手なバカ亭主め!」

 岩をも砕くような、強烈な鋼の拳が空を裂き、チャンピオンを一撃で地面に沈めた。



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