オリジナル小説サイト

梅花

「私のこと忘れましたか?」
 久しぶりに田舎の実家へと帰る途中で、公園にさしかかったとき、僕は一人の少女に話しかけられた。
 清楚な感じの、なにか品の良さそうな女の子だ。
 黄昏に包まれる故郷の街中で、僕は困惑して立ちすくんだ。
 ちょっと年下くらいで、かなりの美人である。
 その顔は記憶になかった。
「えーと、ですね……」
「……そうですか」
 少し寂しげな顔をした少女だったが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて、その手を差し出した。
 ――握手?
 つい僕は釣られて手を出した。
 暖かな手が僕の手を包んだ。
 少女は、まるで赤ん坊をあやす母親のように慈しみ深くほほえんで、ゆっくりと公園のほうへと立ち去っていった。
 僕の手には、一粒の青梅が握らされていた。

 実家に着くと、母が漬物桶を、なにやら丁寧にかき回していた。見ると、梅干作りのようだ。
 そういえば、ちょうどそんな時期だった。
 都会にいると季節感も鈍くなる。
 すっぱい梅酢の良い香りがした。桶の中には赤シソで色よく染まった梅がのぞいている。
 今年は、町が主催する公園での梅狩りで、いい梅がたくさん取れたのだという。
 もう少し漬けたら土用干しをして完成である。
 僕が青梅を見せると、母は首をかしげた。
「それ、どこからもってきたの?」
 ちょっと拾ったというと、さすがにもう生ってないでしょう、という。
「しかし、残念だわ。こんな良い梅の取れた木が病気で枯れかけてるのよ」
「そうなの」
「しょうがないけどね。でも、あんたと関係深い梅の木よ」
「え?」
「ほら、あの記念の木よ。あら、忘れたの? あんたが幼稚園のときに植えた、梅の苗から育った木」
 僕は手のひらの梅の実を見て、それから外へ出た。
 あの不思議な少女の、寂しげな笑みが気にかかった。
 暗い夜道をひたすら歩き、公園へと向かった。
 葉が散って枯れかけた梅の木は、すぐに見つかった。
 ふと足元を見ると、一輪の梅の花をみつけた。
 まるでドライフラワーのような花だった。完全に枯れてはいるが手に取ると、香りがしたような気がした。

 僕は梅の実と花を手に、しばらく立ち尽くしていた。



↑ PAGE TOP